ドキュメンタリー映画『牛の鈴音』
老いた牡牛が、大きな口をあけて自慢の臼歯を、獣医にのぞかせています。その動作は、いかにもゆっくりとして、まのびするばかりに平穏です。そして獣医が、寿命の長くないことを告げます。それでも老牛は、健気にも働きつづけます。この40歳にもなる老いぼれ牛が、このドキュメンタリー映画の大切な主人公のひとり(一頭)です。
春、田圃には水が引かれ、老いた農夫が、牛に馬鍬(マグワ)を牽かせて代掻きをしています。農夫は、少年時のハリ治療の失敗から、悪い足をひきつりながらの農作業です。この寡黙な79歳になるお爺さんが、もうひとりの主人公。隣りの田圃では、働き盛りの農夫が、機械で田植え作業をしています。
お爺さんが、機械も農薬も飼料も使わずに、ただひたすら老牛とともに、働きつづけることに不満なお婆さんは、いつも悪態を吐いています。お爺さんの農業は、重労働でしかも安い作物しかとれません。お婆さんは、16歳で嫁いできて以来半世紀の間、お爺さんとともに、こうした農業を営んできました。このお婆さんが、三人目の主人公です。
この作品は、この三人(二人と一頭)の二年足らずの、労働の日々を追ったドキュメンタリー映画です。
韓国の四季折々の農村風景が、我々のそれと似て、野の花は目に美しく小鳥たちのさえずりは耳を楽しませてくれます。農作業は、季節の変化にともなって、忙しく変わっていきます。代掻き・田植え・野菜苗の定植・田畑の除草・病虫害防除・収穫・・・。そして、この間変わらないのが、牛の餌やりです。畦畔や山で刈った草を、篭いっぱいに詰め込んで、お爺さんは牛小屋まで運びます。お婆さんが、他の農家と同じように農薬を使うことをすすめるのですが、お爺さんは、農薬のかかった草を牛にはやれないと、頑なに拒みます。季節が変わっても、お爺さんとお婆さんと老いぼれた牛の、ゆっくりとした重労働の日々は、変わらずつづきます。
三人(二人と一頭)に、老いと死が、迫ってきます。しかし、その迫り方は、悲しみを含んでいますが不幸を含んでいません。三人(二人と一頭)にとっては、自然のなりゆきなのです。だから、「死」に直面して、悲しく寂しげな表情が現われますが、静かに受け入れていきます。私は、老牛の死に、涙しました。
イ・チュンニョル監督の初めての映画作品で、韓国では累計観客数300万人に達する大ヒットを記録しました。ドキュメンタリー映画『牛の鈴音』は、韓国の多くの人びとの心をとらえたようです。市場化とグローバリズムの波をかぶった韓国農業は、必死になって、現代化は進めようとしていますが、わが国同様、規模の零細性は克服できず、持続的な経営が困難となっていると想定します。こうした時、主人公たちの農業は最早、消えていくばかりなのでしょうか。
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