加藤周一と道元『正法眼蔵・現成公案』を読む
加藤周一は『日本文学史序説』において、日本文学史の最初の転換期は、9世紀(平安初期)の、それまでに輸入された大陸文学が「日本化」された時期としました。この期には、空海と菅原道真があり、在原業平と紀貫之があり、そして『竹取物語』が書かれました。そして、つづく「源氏物語」と「今昔物語」の時代を経て、第二の転換期へと展開します。13世紀、鎌倉時代。貴族支配体制が崩壊し、武士階級が新たに、権力を掌握します。しかし、文学・芸術の創作を支えたのは、依然として、貴族と僧侶でした。
加藤氏は、この第二の転換期の特徴を、次の3点に要約しています。①新興の仏教とその新しい階級との係り、②武士権力の強大な社会のなかで疎外された貴族階級の反応、③読者(聴き手)層の拡大と武士・大衆の世界の表現。そして、①については、仏教の「宗教改革」という項をたて、貴族支配体制の崩壊は、その体制に依存していた貴族に不安感を生み出し、その結果、個人の救済を約束する新しい仏教が出現した、としています。13世紀、鎌倉仏教の誕生です。加藤氏はいいます。
「「鎌倉仏教」は、現世利益的・呪術的な平安時代仏教に鋭く対立し、仏教の彼岸的・超越的な面を強調した。その画期的な意味は、・・・土着の世界観、その此岸的・日常的な現実主義を遂にうち破ったという点にある。日常的現実に超越する価値、―その価値への「アンガージュマン」は、日本史上はじめて、またおそらくは最後に、13世紀において、時代思潮の中核となった。・・・比喩的にいえば、「鎌倉仏教」は、日本の土着世界観の幾世紀もの持続に、深くうち込まれた楔であった。」
さて、加藤氏に導かれて日本文学の古典(現代語訳)を読みつづけているのですが、仏教経典は、その読解の困難さから臆病にならざるを得ず、この項パスして先へすすもうとも思ったのですが、上に引用した加藤氏の刺激的な言説を読むと、そうもいかない。では何を読むか。法然・親鸞と日蓮の項も、難しいなりに魅力的な議論がなされており、特に、親鸞の思想とカトリシズムやプロテスタンティズムとの相似と相異を論じたところなど、古今東西の知的世界に通暁した著者ならではの壮大な論議です。しかし今回は、加藤氏が「13世紀日本語散文の傑作の一つ」と評価している道元著『正法眼蔵』のさわりの部分を読んでみることにしました。『正法眼蔵』(ショウボウゲンゾウ)は、曹洞宗の根本経典で、道元が1231年から亡くなる1253年まで、生涯かけて著した87巻におよぶ大著です。このうち、最重要な巻とされる「現成公案」(ゲンジョウコウアン)を、ネットで検索して読みました。大雑把にいって全巻の87分の1、たった1%強のボリュームですが。
加藤氏がふれている冒頭の一節を引用し、ネットで検索した現代語訳を付加します。
諸法の佛法なる時節、すなわち迷悟あり、修行あり、生あり死あり、諸佛あり衆生あり。
萬法ともにわれにあらざる時節、まどひなくさとりなく、諸佛なく衆生なく、生なく滅なし。
佛道もとより豊倹より跳出せるゆゑに、生滅あり、迷悟あり、生佛あり。
しかもかくのごとくなりといへども、花は愛惜にちり、草は棄嫌におふるのみなり。
すべてのものごとを仏道の立場から見るとき、迷いと悟り、修行のあるなし、生と死、解脱した人とそうでない人の違いが明らかになる。
総てのものごとを無我の立場から見るとき、迷いもなく悟りもなく、解脱した人もなく解脱しない人もなく、生もなく死もない。
もともと仏道は、有るという立場にも、無いという立場にも捉われないものであるから、生死を解脱したところに生死があり、迷悟を解脱したところに迷悟があり、解脱のあるなしを問題としないところに解脱があるのである。
しかしなお、そのことがわかっていながら、解脱し愛し求めれば解脱は遠ざかり、迷いを離れようとすれば、迷いは広がるばかりである。(高杉光一訳)
高杉訳には、次の要約がついています。
人間は現実のものごとに執着して縛られているが、そのような状態から自由になって、ありのままの真実を知ることが、「解脱」である。一度この境地に至れば、あらゆる差別観から自由になって、解脱することそのものにも捉われなくなる。それは理論によってできることではなく、あくまでも実践によって達成されることである。
加藤氏のいう「日本語散文」とは、漢字かな混じりによる日本語表記を指します。鎌倉仏教の他の祖たちが、漢文つまり中国語で経典や理論書を書いたのに比して、道元の日本語散文の選択は、際立っています。道元は、「禅体験をもって足れりとせず、その体験を言葉によって客観化しょうとした。体験の直接性は母国語の表現につながり(「思フママ」)客観化({理」)の概念的道具は外国語による。その間の緊張関係こそは、おそらく『正法眼蔵』に独特の文体の迫力を生み出したものである」と加藤氏は指摘します。
原文にある「花は愛惜にちり、草は棄嫌におふるのみなり」について。上記訳は、意訳過ぎる感が強いので、やはりネットから別の訳をつけます。「華は愛し惜しむ気持ちによって早く散ってしまうように感じられ、草は斥け嫌う気持ちによって、あちこちに生い茂っているように見えるだけである(そのことを認識し自覚していなければならない)」(角田康隆訳)。
加藤氏は、この対句形式は、大陸の詩文に由来するが、その用法は道元のものであり、その用法の妙は、「前後に「万法」を語って、日常身辺の感情(愛惜・棄嫌)を点出した工夫にあるだろう。この花と草は、見事に具体的であり、同時に抽象的である。すなわち『往生要集』の漢文も、『源氏物語』の和文も果たさなかったところ、鎌倉時代が日本語の散文に加えた新しい要素である」と指摘します。「現成公案」には、こうした「万法」(物事の普遍的原理)を語るのに「日常身辺」に題材をとった話が、くり返し出てきます。ひとつだけ紹介しておきます。
「人、舟にのりてゆくに、めをめぐらして岸をみれば、きしのうつるとあやまる、目をしたしく舟につくれば、ふねのすすむをしる」がごとく、身心を乱想して万法を弁肯するには、自心自性は常住なるかとあやまる、もし行李(アンリ)をしたしくして箇裏に帰すれば、万法のわれにあらぬ道理あきらけし。
人が船に乗って岸を見れば、岸が動いていると思い、目を下に向けて船を見れば船の進んでいること知る。そのように自己の心身を動揺させて、物事の真実を知ろうとすれば、自分の心や本質が永久不変であると思い誤る。もし自分の行いを正しくして、それによって事実を直視するならば、どのような物事も永久不変でないことがわかるはずである。(高杉光一訳)
やはり仏教の経典は、難しい。読んで論理的に理解しょうとしても、論理の糸をうまく紡ぐことができません。このあたりが最早、限界です。私は、「現成公案」原文をくり返し読み、さらにキーボードを叩きながら写経よろしく、画面に書き込んでみました。すると、道元の文章が、ほんのすこし見えてきた感じがしました。しかし、それを自分の言葉で表現してみようとすると、お手上げとなります。大著の『正法眼蔵』全巻はともかく、「現成公案」については再び三度、読みつづけてみたい。
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