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2010年4月25日 (日)

井上ひさしさんの追悼読書 上

Photo_2  井上ひさしさんが亡くなり、半月たちました。好きな作家の一人でした。小説 『吉里吉里人』に抱腹絶倒し、宮沢りえ主演の『父と暮せば』に嗚咽を漏らしたことを、思い出します。また、小田実さんや加藤周一さんとともに「9条の会」の呼びかけ人のひとりとなり、平和憲法を護ることを訴えつづけた姿に、つよく共感しつづけました。井上さんへの哀悼の気持ちを込めて、未読であった代表作のひとつ『東京セブンローズ』(文春文庫2002年刊、単行本は1999年刊)を読みました。

 文庫で900ページを超すこの長編小説は、東京・根津の団扇(うちわ)屋主人・山中信介(54歳)が、昭和20年4月25日から翌年4月10日までの間、自分とまわりの日常を書き綴った日記から成り立っています。著者の井上ひさしさんは、多くの詳細な文献を読みこんだうえで、まず、戦時下と敗戦直後の東京の下町の庶民の暮らしを、いきいきと活写しています。これは、戦争文学のカテゴリーに入れてよいと思います。そして後半は、GHQによる民主化の一環としての日本語改革について、日米のせめぎあいが主題となります。国語論争文学といってよいと思います。
 「今朝はやく、角の兄が千住の古澤家へ結納を届けに行つてくれた。兄に托したのは、このあひだ、團扇二百五十本と物々交換で手に入れた袴地一反、それに現金五百圓である。材料不足でしばらく團扇を作つてゐないわが家としてはずいぶん張り込んだつもりだし、これぐらゐが精一杯のところだ。」
 これは冒頭文ですが、「澤・團・圓・あひだ・ゐない」などと、旧字旧仮名遣いをしています。また、馬穴・雪花菜(おから)・蚯蚓(ミミズ)など、現在ではカナ表示することの多い語も漢字表記し、ルビをふっています。井上さんらしく、文章がやさしい所為(せい)でもありますが、難しい漢字の多用にかかわらず、読みづらいということはありません。この旧字旧仮名遣い(正字正仮名遣いともいうようですが)は、本書の後半のテーマの伏線となっています。(この正字正仮名については、ネットで興味深い論文がありました。小池和夫稿「井上ひさし『東京セブンローズ』の文字について」)
 さて戦時下の暮らしです。数年前まで東京に250軒もあった団扇屋が、現在では3軒に減り、しかも3軒とも、今は仕事をしていません。そこで山中信介は、中古のオート三輪を手に入れて肥料や闇物資を運び、一家6人がなんとか食いつないでいます。結婚記念日に妻の希望で沸かした風呂のエピソードがおもしろい。水は、巡査の月給が60円というときに木桶二つ分を80円で買い、薪は、庭の板塀を壊して手に入れます。信介は1ヶ月ぶりの妻は半月ぶりに入浴を楽しみます。隣組の人たちも、手に練炭一個、木炭ひと包み、古新聞紙、ラッキョウなどを土産に、やってきます。のどかな下町の光景が、目に浮かぶようです。Photo しかし戦時下です。信介は、新潮社出版部の伊藤さんから、空襲の話を聞きます。「防空壕には人間の脂が馬穴で五,六杯分もギトギトと粘つて貯つてゐるそうです。・・・・・互ひに首を締め合つてゐる佛がゐる・・・・・隣りの死人の目玉に指を突き入れたまま焦げている佛がいる・・・・・」。作者はこの伊藤さんに、自分の思いを語らせます。「とにかく、いつまで生きるか分からぬ今、僕は充分に見、充分に讀み、そうして見、聞き、讀みしたことや、自分の生活を、充分に書き残さなければと考えてゐます」。
Photo_2  5月25日夜の大空襲で、信介は、長女と兄夫婦と長女の嫁ぎ先の両親を、一度に亡くします。長女の嫁ぎ先の古澤殖産館は、肥料や農業資材を商い、戦時下でも景気がいい。大相撲の入場券を手に入れ、家族や従業員、農商省の役人と芸妓などとともに、闇商売を利用して旅館を借りきり、鋤焼と麒麟麦酒で大宴会のうえ前泊したその夜、焼夷弾の直撃を食らいました。古澤家の先代当主は、息子夫婦と孫の嫁を同時に亡くしましたが、次のように諦観して、つぶやきます。「一家全滅が日常茶飯事といふやうな劇しい御時勢じや。七人家族のうち半分の四人までが生き残ったことを、勿體ないとも仕合せとも思わねば・・・・・」。
 戦時下の絶対的な物不足のもと、飢えに苦しみ寒さに震える多くの人びとがいる一方で、闇商売と縁故と特権を利用して、贅沢を享受している少数の人びとがいたことが、描かれます。しかし焼夷弾は、双方に平等に、襲いかかります。
 信介は、不穏言動にて国防保安法を犯した思想犯として逮捕され、昭和20年6月7日から9月26日までの110日間、千葉県八日市場刑務所に服役します。信介の放った不穏言動とは。「若い人たちの死を美しい言葉でほめたたへてゐる高級軍人や指揮者たちの生活ときたらどうだろう。高級軍人はコンクリの堅固な防空壕に守られてゐる。識者たちは疎開先の田園にせせこましい菜園を設け、己れと己れの家族のためにのみ鍬を持つ。お偉方の言葉は美しいが、その志はまことに低いのだ。つまり結構な御身分の方々ほど若い血を吸つて肥えておいでだ」。信介を売ったのは、町会長でした。
  戦争がおわり、刑務所から解放された信介は、謄写版の筆耕(ガリ切り)の才能を買われて、警視庁官房文書課の臨時雇員として働くことになります。警視庁本館倉庫で、神田の古本屋主人とともに、思想犯で検挙された人たちから没収された書籍の仕分け作業をしたときのエピソードは、作者がまさに、後世に「充分に書き残さなければ」ならないこととして書き留めたものです。
「古書商は・・・・・不意に動かなくなつた。黑表紙の本の見返しを凝と睨んでゐる・・・・・主人は俄かにぶるぶると震え出した。
「先生の筆蹟だ」
顔の色が死人とでも出遭ったやうに靑ざめてゐる。・・・・・その本の見返しに二百字詰の原稿用紙がはさんであつた。・・・・・人間はいづれ帰るべき所へ帰るのだ(と書いてあつた)。原稿用紙の左下に小さく「三木清用紙」と刷つてある。・・・・・終戦後四十日も経つた九月末、この哲学者は豊多摩刑務所で死んだ。それも疥癬が昂じての急性腎臓炎で。発見されたのは午後三時、真赤に染まつた着衣の前をはだけたまま床に転がり息絶えてゐたと新聞にあつた」。(つづく)
 

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