お花見
朝夕は花冷えがするものの、さすがに春の日差しは暖かく、日中は思わず眠気をもよおします。西上州の地は、どこへいっても、桜が満開です。彼岸前に、高崎市吉井町小串に、カタクリを見に行ったことは既に報告しましたが、そのすぐ近くの農家の裏庭に、りっぱな枝垂れ桜が咲いていました。農家の敷地を被いつくすほどの大木です。
隣町の藤岡市に、七輿山古墳を訪ねました。6世紀前半にできた前方後円墳です。全長146メートル・高さ16メートルという大きな古墳をすっぽり包みこむように、染井吉野の花が咲いていました。昨年の今頃は、死の床に伏していた母が絶食(不可食)となって一週間ほど経っていましたが、看病のためにきていた姉たちとともに、寂しいお花見をしたことを、思い出します。子供のころから、お花見は欠かせません。
古墳の小高い丘の上には、三体の仏像があり、二体は座し一体は立って、東の方向を見下ろしていました。座した二体には、首から上がありません。さらに驚いたことには、これら三体の仏像の真下の丘の裾部には、首のない仏像が、たくさんありました。市教育委員会の史跡案内板には、このことには、何ら触れられていません。明治維新時の廃仏毀釈の嵐のなかで、切断されたのでしょうか。昨夏訪ねた中国の古都、洛陽郊外の龍門石窟の仏像たちも、同じように首から上が切断されていました。
列条に並んだ首のない仏像たちは、書を読み、合掌し、胸に手をあて、膝に手をおき、腕を組み、また扇を持ったり、多様で豊富なパフォーマンスをしています。顔がない分だけ、仕草が彼らの表情を雄弁に語ります。これらの首の切られた仏像については、少し調べてみたいものです。どこの寺院にあったものか、切断した者とその動機、そして何故、ここ七輿山古墳にあるのか。現代では、アフガニスタンのイスラム原理主義者といわれるタリバンによるバーミヤン石仏の破壊があったのは、9.11の年の春でした。
午後は甘楽町に移動し、小幡の武家屋敷跡の桜並木を見ました。この地に住む孫二人が、春祭りの山車にのって、太鼓を叩くとのこと。家内とともに、桜見物をしながら、山車が来るのを待ちわびます。明日は、恒例の武者行列が、この桜並木の下を、行進することになっています。町は、春の祭典を前に徐々に、にぎやかになりつつありました。ああ、孫たちののった山車がやってきました。写真撮りが、多忙です。
今年のお花見の最後は、菩提寺である宝積寺の、枝垂れのエドヒガンザクラ(江戸彼岸桜)。染井吉野よりも、桃色は格段に鮮明で、夜間、ライトアップされた姿は、妖艶ですらあります。息子の嫁とその母親も同行したのですが、墓参りもそこそこに、一同、枝垂れ桜の美しさに、うっとりしました。
こうして、今年のお花見も、無事終えることができました。
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