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2010年5月17日 (月)

それぞれの定年後

Img_4273_1  週末、かつて職場が同じだった仲間とともに、蓼科高原で合宿をしました。「私のそれから」というテーマをもって、30分づつ報告しあうというもの。「それから」の「それ」は、定年退職を意味します。8人の男たちの「それから」は・・・・・。(写真は蓼科・後泉水自然公園のダケカンバ)。

 あみだくじで最初の報告者になったのは、このグループ最年長のTさん。毎年、尾瀬ヶ原を背に、詩吟を聞かせてくれています。そして今回、漢詩や詩吟との出会いについて、報告された。東京近郊に住むTさんは、在職中から、近所の農家を手伝って農作業をしていました。その農家の年老いた主が、Tさんの詩吟の先生。休日の農作業のあと、詩吟を習ったとのことです。詩吟も、他の伝統芸能同様に、若い人たちの愛好家は少なく、60台後半のTさんが、最年少のようです。発表会では、80歳台の人生の先輩たちと声を合わせて吟詠しています。いまや、流派の後継者として期待され始めていると、頭を掻いていました。今回の演題は、白居易「酒に対す」と朱熹「勧学」の二首。前者の七言絶句を記しておきます。
   蝸牛 角上 何事をか 争う
   石化 光中 此の身を 寄す
   富に 随い 貧に随い 且く 歓楽せん
   口を開いて 笑わざるは 是れ 癡人
 Tさんの吟ずるあとを、みなで復唱し、これを何度か繰り返して最後に、先生がゆっくり且つ堂々と吟じて終えました。音楽愛好であるとともに、漢詩の暗記術であり腹式呼吸による健康法でもあり、いい趣味だなあ、と思いました。そして、58歳の白楽天の詩は、肩の力を抜いた、超俗の俗ぶりが、なんとも好もしい。
 2番目に登場したのが、「それから」を「心身の老化防止」に、ひたすら費やしているHさん。まずは、野菜と花栽培の家庭園芸。5坪の市民農園で、周年栽培を実現し、17種類の野菜を作っています。余剰野菜は近所に配り歩き、お返しに土産物をいただき、物々交換の経済ができました。「老化防止」の二つ目は、体力維持のためのプログラム。バトミントン週1回・午前中、太極拳週1回・午前中、トレーニング週2回・午前中、ゴルフ打ちっぱなし週1回、ゴルフプレー月1回、そして少年サッカーのコーチ土・日の週2回。1週間に10日ほど欲しいようなスケジュールですが、本人はケロッとしていいます。「そんなにきつい事ないよ」。そして、アンチ・エイジングの3番目は、「頭の体操」。週2回の囲碁、ときどき麻雀、そして暇を見てはひとり、連珠と数字遊び。合宿での演習は、数字の「4」を4個使って1~10までの数字をつくること。(4+4)÷(4+4)=1、4/4+4/4=2、(4+4+4)÷4=3、といった調子で10まで作るというもの。みんなで頭をしぼりました。かくのごとく老化防止に努めるHさんは、いまだ愛煙家のひとり。
 3人目の報告者は、一線ラインから退いたとはいえ、いまだ現役のNさん。監査役を務めるNさんの報告は、「孤独な監査役はどのように自己主張するか?」 。退職者には懐かしい職場ですが、私たちの在職時と比べ今は、事業環境は一層厳しさをましており、後輩たちにいたく同情しました。また、Nさんが監査役として、役員や責任者とは別に、職場のすべての職員との面談をおこない、業務実体と社員の気持ちの掌握に努めているとの報告に、感心しました。彼もこの夏には、定年を迎えます。
 仙人のような髭をたくわえたNoさんは、蒟蒻とお酒が大好き。お酒は夜に楽しむとして、「私のそれから」の報告は、「蒟蒻のあれこれ」。現役時代、蒟蒻の仕事についていたNoさん、退職後も蒟蒻好みに変わりがありません。尊皇攘夷の急先鋒、水戸藩士たちのスポンサーに、大子町の蒟蒻製粉屋がいた話や、蒟蒻製粉の秘術が群馬・南牧村にもたらされた話など、蒟蒻談義はつきません。
 私は5番目に、「竹林整備と地域おこしプラン」と題した報告をしました。内容は既に、このブログで紹介済みのものですので、レジュメを添付します。05_17_1_1_1_4
 私の後には、このメンバーいきつけの蕎麦屋の主人。今回の参加者の中では最年少で、勿論現役。退職されると、我々が困るという関係です。報告は、連休中に行った普天間基地はじめとした沖縄報告と「かちあるき」参加記。沖縄への関心の深さには、意外な感じを受けましたが、しかし今や、普天間基地問題は、全国民的関心事。鳩山首相の数少ない功績といえるでしょう。「かち歩き」?。もしかして、「徒=かち」かなと思っていたら、かち=勝ち&徒とのこと。
 Wさんの報告は、「実兄の死」について。悲しいことはさておき、葬儀とお墓のこと、お寺との付き合いのことなどについて興味深い話を提供しました。多額の葬儀費用と基準不明の戒名料、ビジネスに徹する僧侶の様子が、体験にもとづき報告されました。さて、自分のとき、葬儀をどうするか?墓はどうするか?無宗教葬やそもそも葬儀をしない、といったことが話題となりました。散骨にしょうと、夫婦で話し合っている人もいました。しかし彼は、愛犬のお墓をつくっていました。この話題が一番、熱心に語られました。
 最後の報告者は、登山愛好者のSさん。退職後はもっぱら、奥さんと共に好きな山登りに傾倒し、過去1年の間に、ヒマラヤの山々やキリマンジャロ登山をはたしました。100名山制覇もあとわずかで、ますます意気軒昂です。今夏このグループで、尾瀬の燧ケ岳登山を予定していますので、Sさんから登山心得を聞くことになりました。Sさん以外の7人は、山登り1年生。熱心に登山心得を学びました。
 以上のように、合宿「私のそれから」が、予定時間通り無事終了しました。さ~て、本番はそれから。  

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竹林整備と地域おこしプラン、
今度の「カンファレンス」で聴きたいです。

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