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2010年7月 4日 (日)

梅のこと

Img_49312_1_2  区の役員会での話が、切っ掛けでした。畑に落ちた梅の実を放置しているのは勿体ないので、これを利用して、梅ジャムを作りたい、と私が云いました。すると、班長のTさんが、脊髄炎からくる腰痛で、医者から農作業を止すように云われているので、うちの梅を使ってくれるように、と申し出られました。それは、ありがたい。今年から、梅ジャムがわが家のジャムメニューに本格登場か、と楽しみにしていました。

 ところが、今年の3月の大霜や4月の寒さで、私の住む地区の梅は、壊滅的な被害を受けてしまいました。わが家の1本の豊後梅も、毎年3㎏程度の収穫があるのですが、今年はなんと、とれたのは1個だけ。昨秋から始った近所の女性たちによる「ジャムの会」も、梅ジャム作りはパスせざるを得なくなりました。ここ数年ジャム職人となった家内は仕方なく、桑の実をとってマルベリー・ジャムを、せっせと作っていました。すると、梅をいただく約束をしていたTさんから、品質は落ちるが使ってくれと、20㎏ほどの梅をいただきました。白加賀シラカガという品種で、この農家では梅干しにして、農産物直売場で販売しているものです。さすがに生産農家だけあって、大きな被害を受けたといっても、必要最小限の収穫量は、何とか確保されたようでした。半分諦めかけていた家内は、俄然元気を出し、梅ジャムづくりを始めました。
Img_49451_1 出来上がった梅ジャムを早速、Tさんに持参したところ、もっと欲しいのなら、箕郷の梅農家を紹介する、との申し出がありました。7月上旬からは、南高梅ナンコウウメというジャムにはうってつけの品種の収穫が始るとのこと。家内はやる気いっぱい、箕郷の梅農家へ「集荷」に出掛けました。箕郷は、群馬県では榛名、安中市秋間とともに三大梅林といわれている梅の大産地。榛名・箕郷はともに高崎市に属し、高崎市は市町村単位では、和歌山県のみなべ町(3万トン)、田辺市(2.4万トン)に次ぐ3番目(5.4千トン)の生産高となっています(05年、農水省統計)。なお群馬県は6.3千トン・シェアー6%で、断トツの和歌山県の7.2万トン・62%についで、第二位の生産量です(09年)。
 さて、箕郷の梅生産農家Sさんを、訪ねました。お宅は、榛名山の南東山麓の丘陵地にあり、周りはほとんどが梅林となっています。Sさんは、70代中頃の研究熱心な、梅主体の専業農家。梅苗木を作らせば、群馬県内には、Sさんの右に出る人がいないという。初対面の私たちに、梅のあれこれについて、次のように語られました。S夫人が作られたイチヂクの砂糖煮を食べながら、耳を傾けました。
 S家では先代が、1930年代はじめに梅の生産を始めたが、40年、戦時色が濃くなるにつれて、梅は贅沢品ということで生産を中止、梅の木も移植したり伐採したりした。戦後再び梅生産に戻り徐々に生産を拡大し、とくに1962年の酒税法改正で家庭で個人消費用に梅酒を作ることが適法になってから、家庭での梅酒作りが大ブームとなり、価格が高騰、びっくりするような値段で売れた。このころに増反した梅林が、現在も活躍している。Sさんの自宅の裏には、50年経ったという、直径50㎝ほどの梅の木が、林立しています。その後仕向け先は、家庭用と並んで、加工用が年々増加してきました。チョーヤなどの梅酒メーカーや、カリカリ梅向けなどです。しかし最近では、梅酒をつくる家庭が激減し、スーパー等へ行く市場出荷が振るわず、価格も低迷気味だという。そういえば最近、スーパー店頭で、梅と容器と氷砂糖からなる梅酒セットの姿を、一時ほどには見掛けないようです。梅の木は、50年もたつと、やはり生産性は落ちるようです。また、樹高が高くなり、枝の剪定作業や収穫作業が大変です。Sさん夫婦は、若い梅の木に更新したいのですが、息子はサラリーマンで跡継ぎの意志はなく、新たな投資を躊躇っています。こんな話を1時間近く、聞きました。
Img_4947_1 写真の梅が、いただいた南高梅です。白加賀が、梅酒用に青梅で出荷するのに対して、この南高梅は写真の通り、赤・黄色に完熟させて出荷します。この完熟した南高梅でジャムを作ると、透きとおったような、きれいなオレンジ色に仕上がりました。味は、梅と杏の中間のような美味。自宅で焼いたフランスパンに付けて食べます。贅沢な朝食です。
 

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