« 若松孝二監督作品『キャタピラー』 | トップページ | 熱帯夜に舞う白い妖精たち »

2010年8月19日 (木)

「骨の戦世 65年目の沖縄戦」

20100811_hone_tirasi_01_1  『世界』9月号巻頭のグラビア・ページには、写真家比嘉豊光氏の「骨の戦世」と題した作品が、掲載されています。沖縄の赤土に埋もれていた遺骨が、発掘現場に、大きく口を開いて、横たわっています。比嘉さんは、ボランティアたちが遺骨を掘り出していた現場で、「瞬間、鳥肌が立ち身体が凍った」経験をします。(写真は、宜野湾市の佐喜眞美術館で開催中の「比嘉豊光展」のポスター) 
 

 「今年3月31日、那覇市真嘉比の道路工事現場から出た泥まみれの頭蓋骨を、沖縄県遺骨収集ボランティア団体の具志堅隆松さんと京都の女性が洗い清めていた。ビデオで撮影していると、頭蓋骨の泥からポロリと、土の塊か鉄の破片のような物体が出てきた。ジーと焦点を合わせて確認した。三人同時に顔を見合わせ、誰からともなく「脳みそ・・・」と言葉がもれた。確かにその塊にはヒダ状のしわがはっきり見えた。・・・興奮状態で撮影した写真は乱れていて、その日のうちに冷静に時間をかけて撮り直した。」(『世界』巻末の比嘉豊光氏のエッセイ『骨の戦世』より)
 『世界』9月号には、この比嘉豊光氏の撮った「骨の戦世」に寄せて、三人の方たちが、寄稿しています。仲里効イサオ氏は、沖縄には、あのイクサを忘れさせない物がふたつあると指摘します(『珊瑚のカケラをして糺しめよ』)。不発弾と遺骨。いまなお米軍の投下した不発弾が、2000トン以上地中にあり、その処理は半永久的に続くといわれています。その不発弾は、「開発のパワーシャベルの切っ先に触れて、ときに暴発もする」。昨年度に発見・処理された不発弾は、19,918発29.4トン、届出件数1,124件。驚くべき数字です。東京や大阪で不発弾が発見されると、日本中の人びとは、テレビと新聞のニュースで即日、そのことを知ります。しかし、沖縄で発見され、届けられた1,124件の不発弾のニュースについては、沖縄以外の地域で、そのニュースを知ることはありません。沖縄の不発弾は、沖縄においてのみ、「戦争の記憶を蘇らせる」のです。骨もまた、開発現場の地中から、掘り出されます。筆者の仲里氏はいいます。「骨は不発弾のように物理的な殺傷はしないが、しかし、その異形さから沖縄戦を生き延びた人々の記憶を蘇らせ、戦争による暴力の痛点を衝いてくる。・・・骨は語らない。だが黙して語る。問われているのは、沈黙の言葉を聴き取る耳である。」仲里氏は、写真家比嘉豊光氏の撮った骨たちの「沈黙の言葉」に、静かに耳を傾けます。
 西谷修氏は、比嘉氏の見た頭蓋骨から転び落ちた脳髄について、記します(『〝黄泉かえる〟骨の見る六五年目の沖縄』)。「この脳髄は何を感知し、何を考えていたのか?そこにどんな記憶を凝固させているのか? 状況がどうあれ、転がり出た脳髄は、それ自体どんな意図をもたなくとも、あるいは何を語らなくとも、立ち会った者にその意志を感じさせ、その思いを聴きとらせてしまう。そしてそのときから、いままでおとなしかった他の骨たちもいっせいに表情をもち始め、何かを語り始める。」西谷氏は、こうして沖縄の人たちによって拾い集められ、洗い清められた元日本兵の遺骨が、「沖縄を何とかしてくれ!」と訴えている声を聞きました。
 比嘉豊光氏の写真撮影を可能にしたのは、遺骨収集ボランティア団体の具志堅隆松氏。北村毅氏は、この具志堅さんたちの遺骨収集について報告しています(『遺骨は誰に遺されているのか 沖縄戦の死の現場から』)。具志堅氏は、28歳で遺骨収集をはじめてから25年間、毎週末1人でガマにいき、遺骨を拾ってきました。そして、1995年ころ新都心の開発工事現場で、無数の骨片が散乱している光景を目撃し、遺骨収集を広く呼びかける決心をしました。遺骨の混じった土砂は、県内各地の埋め立てや土壌改良に、転用されていたというのです。具志堅さんは県内二紙で、「何台ものトラックで運び出された土にあった骨は犬や猫のではありません。人間の骨です。今度はどうか人間らしく扱って下さい。」と訴えました。この結果、市民参加型の遺骨収集が実現します。
 北村氏は、具志堅氏の提案する遺骨収集を、文化財発掘作業に近い手法だ、と評しています。つまり、「機械力に頼るのではなく、人の手で丹念に地表面を掘り起こしていく考古学的」方法がとられたのです。その結果、「遺骨とともに、印鑑、万年筆、認識票、観音像、ジーファー、お守り、千人針、石けん箱、飯盒、水筒などの遺品が数多く発見」されました。戦死者の身元の解明につながる可能性が出てきました。土建会社に委託されている厚労省の遺骨収集事業は、「基本的に重機で遺骨がありそうな場所の土砂を一気に掘り出し、その土塊の中から遺骨だけを選り分ける」といったもの。これだと、遺骨が入り混じって固体識別が困難となり、また「遺骨と遺品との対応関係や遺骨の持ち主の死亡状況」が、わからなくなります。すべての遺骨が、無縁死者となってしまっているのです。
 北村氏の紹介している具志堅氏の活動、「ホームレスや生活困窮者を優先的に雇用する非営利の事業として遺骨収集の機会を活用」していることには、強い感動を覚えました。
 比嘉豊光氏の写真に触発されて寄稿された三人の論考について主に、そこで紹介された事実について紹介しましたが、遺骨たちの発する沈黙の言葉を三人三様に聴き取り、深められた思考については是非、本文を読んでいただきたい。
 
 ネットで調べてみると、冒頭掲げた写真展の東京での開催は、下記の予定となっています。
 名称:「骨からの戦世 65年目の沖縄戦 比嘉豊光展」
 期間:2010年10月29日(金)~11月5日(金)
 場所:明治大学駿河台校舎アカデミーコモン1F

   
   

« 若松孝二監督作品『キャタピラー』 | トップページ | 熱帯夜に舞う白い妖精たち »

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/155294/49188299

この記事へのトラックバック一覧です: 「骨の戦世 65年目の沖縄戦」:

« 若松孝二監督作品『キャタピラー』 | トップページ | 熱帯夜に舞う白い妖精たち »