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2010年9月11日 (土)

加藤周一と読む一休宗純著『狂雲集』-下-

Takiginosato_4   一休宗純著『狂雲集』に集められた千余首の詩は、加藤氏の分類によれば、①臨済宗の禅を説くもの、②禅宗寺院批判、③盲目の侍者森女との恋、の3種のカテゴリーからなっています。前二つについては、昨日の記事で紹介しました。伝記作者や研究者の間で異論が多いのが、第三の「好色の詩」です。
  森女とは何者か、そして一休と森女との出会いは、如何。水上勉はその著書『一休』(中公文庫)で、次のように記しています。「森女は、文明二年(1470年)、住吉の薬師堂に野宿して、艶歌をうたう鼓うちの盲女であった・・・。一休は、その盲女をみて魅かれたのである。美貌と、その歌と、身のこなしに魅かれた。」一休77歳、森女30歳(推定)での邂逅。(『一休と森女絵図一部』大阪・正木美術館所蔵)

 好色の詩と森女との恋の詩を、加藤周一著『序文』に引用されたもの中心に、書き記します。
   如意庵退院、養叟和尚に寄す
 住庵十日、意忙々、脚下の紅糸線、甚だ長し。
 他日、君来って、如し我を問わば、魚行、酒肆、又た婬坊。79
   如意庵をやめる、あいさつの詩、養叟和尚につきつける。
 如意庵に住んで、わずか十日だが、胸の内は落ちつかず、下半身の赤い糸が、待ち切れんという。/今後、ボクを尋ねてくれるなら、魚屋か酒屋か、あるいは女郎屋とおもってくれ。

 狂雲は真に是れ、大灯の孫、鬼窟、黒山、何ぞ尊と称せん。
 憶う昔、簫歌、雲雨の夕、風流の年少、金樽を倒せしことを。84
 (前句略)
 想い起すのは、雲雨の恨みを簫や歌ではらした夜、まだまだ花やかな年頃ゆえに、樽いっぱいの高貴な酒を、一気に呑みほしたことだ。(注:雲雨は性交のこと)

  婬坊に題す
 美人の雲雨、愛河深し、桜子老禅、桜上の吟。
 我に抱持啑吻の興有り、竟に火聚捨身の心無し。140
     女郎の部屋で 
 痴語愛話が深まって、越えられぬ河岸にいることを、桜子老人は桜上の女の歌で悟った。/ボクの方は(悟りなど無用)、ただ抱いて口づけするのが願いで、火あぶりも、八つざきもいとわぬ。

   美人の婬水を吸う
 蜜に啓し自ら慚ず、私語の盟、風流、吟じ罷んで、三生を約す。
 生身堕在す、畜生道、潙山戴角の情を超越す。544
   妻の聖水を口にして
 ひそかに口に出た、二人だけの愛の誓いを、自分で気恥ずかしく思いつつ、生命花やぐ二人の歌が終ると、二人はすでに三度目の輪回の身である。/生きながら、毛もの道に迷いこんで、 潙山和尚が牛になった気持ちを、そんなことかと見おろすのである。

   美人の陰、水仙花の香有り。
  楚台応に望むべし、更に応に攀ずべし、半夜、玉床、愁夢の間。
 花は綻ぶ一茎、梅樹の下、凌波仙子、腰間を遶メグる。551
   妻の股間に、水仙の匂うのを。
  楚王が遊んだ桜台を拝んで、今やそこに登ろうとするのは、人の音せぬ夜の刻、夫婦のベッドの悲しい夢があった。/たった一つだけ、梅の枝の萼ガクがふくらんだかなと思うと、波をさらえる仙女とよばれる、水仙の香りが腰のあたりに溢れる。

  近侍の美妾に寄す。
 淫乱、天然、少年を愛す、風流の清宴、花前に対す。
 肥えたるは玉環に似、痩せたるは飛燕、交りを絶つ、臨済正伝の禅。433
    そばつきの男色たちに。
 生れつきの色好みが高じて、男色を楽しむようになり、生命花やぐ宴席では、いつも花のような(君たちが)相手。/ふとった男の子は、玉環とよばれた楊貴妃、細っそりした男の子は、漢の孝成帝に仕えた飛燕そっくりで、(君たちと遊んでいる限り)臨済禅の正室など、ぷっつり縁が切れている。 

 前三作は、酒肆婬坊、好色の詩。中二作は、老いらくの恋、森女とのセックスを赤裸々にうたいます。そして最後の詩は、少年愛、男色について。この種の詩が、『狂雲集』の中に沢山出てきます。加藤氏は問います。「禅の高僧とこの詩境とはどう関係するのか」。水上勉は、「実際は、清貧にして所業清浄なる聖者だった」という研究者たちの説に対して異論を挟み、女性を愛し、淫情をおぼえることは男性の自然であるとしながら、一休の老いての旺盛な活力は尋常でない、と感心しています。加藤氏は、弱点が人間味を際立たせている、という説に対して、「室町時代を知らず、禅を知らず、今日の中産階級の保守的な性道徳を場ちがいのところに適用するものにすぎない。室町時代の人間にとって女色は必ずしも弱点ではない。男色もまた同じ。しかも禅にとって、「人間味」は超越すべきものであって、積極的価値ではない」と反論します。上掲の「美人の婬水を吸う」の「婬水」を「聖水」と訳するのも、訳者の一休像を反映しているようで、おもしろい。私なら、「婬水」とそのまま訳したい。

 禅の古公案「婆子焼庵」について。
 むかし、ある老婆が20年余り、庵に青年僧を住まわせていた。若い娘に食事を運ばせていたが、あるとき娘に、僧に抱きついて何といったか報告せよ、と命じた。娘はそのようにし、抱きつかれた僧は、「枯木が寒岩によりそうように、真冬でも血の気がない」と応えた。すると老婆は、「20年も俗漢を養っていたか」と叫んで、僧をたたきだして庵を焼き払った、という。この公案を引いて、詩一首。
 今夜、美人、若し我に約せば、枯楊、春老いて、更に稊ヒコバエを生ぜん。88
 今晩、その娘がもし、ボクを抱いてくれたら、枯れた柳にも春がかえって、思わぬヒコバエが生えようものを。
 
 こうして一休宗純の詩を読んできて、いっこうに風狂というものを理解できない自分に、やや苛立ちを覚えます。加藤氏の云う「中産階級の保守的な性道徳」にとっぷり浸かっていることを、自覚せざるを得ません。しかし、一休の奔放な言動が、歴史に埋もれることなく、現在もなお読み続けられていることに日本文化の強靭さを感じ、今回の読書を通してそのことに触れることができ、加藤氏の著作に感謝するのです。

 加藤周一氏の一休宗純著『狂雲集』に関する評論の結語部を、すこし長文ですが、引用します。

 『狂雲集』では、禅即風流、風流即禅である。鋭く絶対化された宗教的感情と肉感的な愛の陶酔とのつくる詩、形而上学的で同時に感覚的であり、しかし決して日常生活の心理的な要素を容れないこの詩の世界は、十五世紀の日本では禅を媒介して成立したが、十六世紀スペインでは十字架の聖ヨハネにおいて、十七世紀英国では「形而上学的詩人たち」、特にジョン・ダンにおいて典型的に成立していた。日本では、一休以前にも、以後にも全く例がない。禅宗の世俗化の時代に、一休宗純だけは、外来の「イデオロギー」を肉体化し、その宗教性を、放浪無頼の生活として生き、肉体的な愛の裡に感覚的な陶酔として経験し、独創的で孤独な詩的世界を作りあげた。「辞世詩」に曰く、
 十年花下に芳盟を理す、一段の風流、無限の情。
 別れを惜しむ、枕頭児女の膝、夜は深し、雲雨三生を約す。
 花とむすんで、十年たって、まだまだ飽きない、同なじ言葉。
 さらばさらばと、美人の膝に、夜がふけてゆく、来世の雨も。

 今回の読書の過程で、加藤周一著『狂雲森春雨』(ちくま文庫『三題噺』)という短編小説に出会いました。「くるいぐももりのはるさめ」と読むこの小説は、一休とともに生活をするようになった森女が、春雨の音をききながら湯ぶねに身をしずめ、一休との出会いと再会の日々を思い起こし、一休の言動と二人の関係を、そして森女自らの心の動きを詳細に語ったものです。『狂雲集』に素材をもとめ、一休の思想にも触れられます。なによりも驚くのは、森女の妖しいまでのなまめかしさが、文面にあふれ出ていることです。上にも引用した加藤氏の評論の文章からは窺い知れない艶のある文。例えば、
  「脇腹のくびれから腰のふくらみまで指をすべらせてみれば、しっとりと薄い肌ざわりの弾むような手応えもふっくらとして、わが眼にみえぬものを、人の眼をとおして眺めることのはずかしくもおそろしいよろこびを、たとえ地獄へおちようとも、今ここで知りつくしたいと思えば、どきどきとうずくからだの、人の歯のかんだところは足は小指から耳の端までそっとふれてもぴりりと慄えるようで、指先もわなわなとさ迷いつづける・・・・・」
 一方で、一休の禅の哲学が語られます。
 「森よ、色即是空という、色があって色は即ち空ならば空、有ならば有じゃ、色がなければ、空即是空の悟るまでもないことじゃ、万法色において差別あり、色において常滅なり、悟っても悟らなくても、念仏を唱えても唱えなくても、戒をまもってもまもらなくても、そのことに変わりがあろうか、この机上の梅花の香り、森が腰間の水仙花の香り・・・・・」
 加藤氏の小説は、これが初めてです。この短編を読みながら、加藤詩の一休宗純への思い入れの強さを、強く感じました。

   

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