加藤周一と観る「能と狂言」
日曜日の夕方、甘楽町の薪能を観にいきました。雨模様の天気のため、昨年同様、町の文化会館での公演となりました。この日の演目は、狂言は「清水」、能は「殺生石」。「清水」は昨年と同じ演目ですが、今年は野村万作が太郎冠者を演じます。能の「殺生石」は、宝生流家元の宝生和英と辰巳満次郎他が出演します。当代を代表する能楽師による能と狂言を、年一度であれ、地元で手軽に観劇することができ、ありがたい。
昨秋から読みつづけている加藤周一著『日本文学史序説』(ちくま学芸文庫)は現在、室町時代(14世紀後半~16世紀前半)に入っており、既に、『徒然草』と『狂雲集』の現代語訳をあわせて読み、この章の前半を終えたところです。加藤氏は、この時代を文学史の視点から『能と狂言の時代』として括り、支配層と大衆が対峙した封建時代を特徴づける文学として、能楽を位置づけています。はからずも『序説』「能と狂言」の項と能楽観賞との時期が重なったのですが、きょうのブログ記事は、観賞したところの能楽を胸におきつつ、加藤氏の「能と狂言」論を整理したい。。
加藤氏は、猿楽(能楽)の完成をもって「日本人はそのときはじめて、感情生活と世界観の重要な表現手段としての演劇を獲得し・・・戯曲ははじめて、日本文学の主要な表現形式の一つとなった」と評価します。また、この猿楽(能楽)を完成させたのは大衆から出た専門的芸術家であり、それ故に、従来の支配階級による支配階級のための貴族文化とは異質な画期的な芸術となった、と指摘します。その画期は、日本文学において初めて、大衆が前面に出てきたところにあります。作者(演者)と読者(観者)は、支配層と大衆の双方からなっていたのです。だから猿楽(能楽)の劇場では、「支配階級と大衆とが同じ時に同じ場所で同じ娯楽に興じ」ました。このことは、大衆社会といわれる今日を除くと、『能と狂言の時代』の前にも後にもありません。
加藤氏の記述に従いながら、今回観た「清水」と「殺生石」を題材に、「能」と「狂言」の比較をしてみます。
①演劇形式
能:主役は仮面をつけ、歌舞と科白の部分をつり合せる。楽隊(笛と鼓)と合唱隊(地謡)を伴う豪華な仮面歌劇。
「殺生石」の場合:前シテ(主役)若い女の面、後シテ(主役)妖狐の面。ワキとアイ。歌舞と科白。楽隊(大鼓・小鼓・太鼓・笛の4人)と合唱隊(地謡8人)。狭い能舞台に15人の役者たちが、歌舞音曲をくりひろげます。
狂言:早い対話と「ものまね」の動作を主とする少人数の笑劇。楽隊・合唱隊はなし。
「清水」の場合:太郎冠者と主(あるじ)。二人の丁々発止の会話が主で、前者が鬼面をつけて鬼の「ものまね」をするシーンがある。舞台は、二人だけ。
②科白の用語
能:高度に様式化された文学的用語、和歌・経典の引用、掛詞(かけことば:同音異義を利用して、1語に二つ以上の意味を持たせたもの)の駆使、などにより独特の複雑な文体
「殺生石」の場合:ワキ「げにやあまりの悪念は、却って善心となるべし。さあらば衣鉢を授くべし。二度現し給ふべし。」
シテ「あら恥ずかしやわが姿。昼は浅間の夕煙の」(浅間:浅間山と浅ましいの掛詞)
狂言:同時代の口語、単純・明晰・活気にみちた言葉。
「清水」の場合:太郎冠者「いで食らおう、ああ、ああ。やいやい、やいそこなやつ」
主人「はあー」
太郎冠者「おのれは憎いやつの。七つ下がって人の来ぬところへ来おった。さだめて武辺だてであろう。あたまから一口にいで食らう」
実際に観劇して、「殺生石」はせいぜい三割程度しか聴き取れず、「清水」はほぼ全部聴き取れました。
③登場人物
能:超自然的な存在(神、鬼、天狗、亡霊)と過去の伝説的人物(平安時代の有名な男女、『平家物語』の武将等)
「殺生石」の場合:前シテ 玉藻の前(鳥羽院に寵愛された女御)、後シテ 妖狐、ワキ 玄翁道人(南北朝時代の禅僧)、アイ 玄翁の供
狂言:同時代の地方名主層(大名、小名)とその従者(太郎冠者、次郎冠者)、盲人、盗人、法師、農夫、職人など
「清水」の場合:太郎冠者と主人(茶人か)
加藤氏は、この登場人物の特徴から、能の世界の背景が支配層にあり、狂言の背景は大衆にあった、と推測しています。先に、支配階級と大衆が能と狂言をともに楽しんだ、と書きましたが、大衆は「狂言」をたのしんだばかりではなく、「能」に彼らの英雄を見出して感動したに違いない。他方下克上の時代の武士支配層は、「狂言」の世界を理解できないほど大衆の生活から遠ざかっていなかった。「足利将軍家と大衆の間は、いずれの側も、「能」と「狂言」の双方をたのしむことができるほど近かった」との加藤氏の指摘は、大変興味深い。
④世界観
能:加藤氏の指摘。「世阿弥の「能」では、ほとんど常に、主人公が人間から亡霊へ「変身」し、此岸から彼岸へ移り、自然的(社会的)な世界から超自然的な世界へ向う。」「此岸と彼岸の接点は、死であるから、・・・(夢幻能の)主題は、死に至る情熱、殊に恋と戦いである。」つまり、仏教の彼岸思想=超越的思想が、能において芸術化されたのだ、と結論づけています。
「殺生石」の場合:前シテの里女(または玉藻の前=鳥羽院の女御)は、人間の姿でワキ(玄翁道人)の前に登場します。ワキの質問に答えながら遂に、その素性を明かします。中入り後、女は妖狐(後シテ)に変身して登場し、帝の命を狙ったため那須野へ追放され、武将の矢に倒れたことを、幽玄な歌舞で表現します。この能最大の見所です。終には「げにや余りの悪念は、却って善心となるべし」として、玄翁道人によって成仏します。
狂言:加藤氏は云います。「全く此岸的・日常的であり、仏教とは無縁の土着的世界観の枠組みのなかで、しばしば権威に対する揶揄を含んでいた。」
「清水」の場合:主人から茶のために、清水に水を汲みにいかされた太郎冠者は、清水には鬼が出ると嘘をいい、水汲みから逃れようとします。太郎冠者は、主人が大切にする水桶を、簡単にうち捨ててしまいます。このように内容は、加藤氏の評するとおりです。
そして最後に、「能と狂言の時代」の結論に至ります。
「日本文学史のあらゆる時代に、外来の世界観(ここでは仏教)と土着の世界観とは併存し、それぞれの文学的表現をもっていたが、14,5世紀が特殊なのは、それが「猿楽」の二面性として同じ舞台にあらわれたということである。二つの世界観が二つの階級に応じていたのではなく、同じ人間の意識の二つの層として存在したということを、これほど鮮やかに示す事実はないだろう」。
時代は、室町時代末期、鉄砲が種子島に伝来し、キリスト教が九州から近畿に浸透し始めた転換期へと移ります。
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