ドキュメンタリー映画『モダン・ライフ』
写真家でドキュメンタリー作家であるレイモン・ドゥバルドンは10年余にわたって、南フランスの山間部の村々を訪ね、そこに住む農民たちと交流しながら、彼らにカメラを向けてきました。これら山間の厳しい環境のなかで、農民たちは、山羊を放牧し酪農を営んでいます。作家の関心事は、今後、これらの農家が生き残れるのかどうか、ということでした。(写真はドキュメンタリー映画『モダン・ライフ』から)
88歳の兄と83歳の弟は、どちらも現役の農民です。兄弟はともに独身であるため、甥が彼らの後継者となっています。その甥は都会から、15歳の娘をともなった妻を迎えます。兄弟は口々にカメラに向かって、甥と嫁の働きぶりを評します。二人ともよくやっているが、何かが足りない。そう、農業に対する情熱が足りない。厳しい土地で農業やるには、情熱が必要なんだ、と兄弟はうなずき合います。
カメラは、大型テレビを間近に見つづける、長髪の痩せこけた男を映しだします。男は、教会での葬儀ミサに見入っているようです。監督は、この異形の農民も独身であることを、インタビューで語っています。
年老いた両親とともに住む中年の農民。彼の本心を聞き出そうと、執拗にインタビューが続けられます。農業は楽しいか?ノウ。では町へ出て工場で働けば?ノウ。独立は?ノウ。彼は、一切の変化を拒むかのようです。そして彼もまた、独身です。 若い夫婦が登場します。夫は建設業労働者ですが、妻は4頭の羊を飼い、将来、夫婦で羊牧場をもつことを夢みています。しかし数年後のインタビュ-では、暗い顔をした妻が、土地が手に入らず羊飼養はあきらめた、と小さくつぶやきます。飼っていた羊は既に、手放していました。
兄弟の年老いた牝牛が乳房炎に罹り、処分されることになりました。農夫は寂しげに、老牛のそばにたたずみ、最早、営農意欲を失ったことを告白します。
『モダン・ライフ』は、このようなドキュメンタリー映画です。フランスの限界集落ともいえる山村の農民たちの「現代の生活」を、克明かつ執拗に追いかけています。山村は、高齢化が進み後継者がいません。畑や牧草地は荒廃し、家畜はその数を減らすばかりです。一方、農業経営を夢見る若者たちには、土地問題が大きく立ち塞がります。この春にみた韓国のドキュメンタリー映画『牛の鈴音』の映像が、『モダン・ライフ』の映像に重なってきました。ユーラシアの東端の農民たちの「現代の生活」がそのまま、同じユーラシアの西端の山村で、静かに営まれているのです。
日本の外務大臣が、「農業など第1次産業の1.5%を守るために98.5%が犠牲になっている」という趣旨の発言をしたと、ニュースは伝えています。農業も、市場主義とグローバリズムのもとで競争すべきだ、と云うことです。そうなれば、限界集落の「限界」地は、日本列島を覆いつくしてしまうだろうと、危惧します。『モダン・ライフ』をみて、そのように思いました。
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