映画『パリ20区、僕たちのクラス』
昨夜、映画『パリ20区、僕たちのクラス』を観にいきました。一昨年のカンヌ映画祭においてパルム・ドールを受賞した作品で、フランス映画としては21年目の受賞でした。高崎のミニシアターは、雨の降る月曜日の夜とあって、観客はたったの5人だけ。ゆったりとして気分での、久しぶりの映画観賞でした。
パリ20区にある中学校の教室。ここでは、多様な人種の移民の子供たちが学んでいます。生徒たちは、出身地も母国語も肌色も違い、学力も様々です。ただ今後、フランス社会で暮らしていく、ということを共有しています。担任で国語教師のフランソワは、これら24人の生徒たちに、社会へ出て生きていくための糧として、正しいフランス語を学ばせようと奮闘します。教師と生徒たちの格闘技のような授業風景は、まるでドキュメンタリー映画を観ているようです。
ドラマは、荒れる教室に熱血先生が登場し、数々の葛藤の後やがて生徒たちと心を通わせ、教室に希望がよみがえる、という具合には展開しません。フランソワは熱血先生ではありますが、必ずしも生徒から共感を得、信頼される先生ではありません。ただ、生徒たちに真正面に向き合い、妥協もなく逃げもしません。だから、生徒たちとの関係は、時にはのっぴきならない局面を迎えます。
成績評価会議での教師たちの発言が、会議に出席した生徒代表によって、教室の生徒たちに漏れます(生徒代表の同席は驚きです)。教師たちによる学業や行動の評価が、生徒たちの前に、赤裸々となりました。フランソワは会議で、クラス一番の問題児スレイマンについて、行動を擁護しながらも学力の限界について指摘しました。このことが、本人の耳にはいり、スレイマンはキレタあげく女生徒を傷つけ、教室を飛び出しました。
スレイマンと母親が、処分を決める会議に、呼び出されました。マリ共和国からの出稼ぎ労働者である母親は、フランス語を話せません。母親は息子を必死にかばって弁明し、それをスレイマンが訳します。「息子はよく手伝う、兄弟の勉強も見てやっている・・・」。しかし、退学処分。スレイマンは転校を迫られますが、恐らく父親によって、祖国マリに帰されることになりそうです。
中国人ウェイは、成績がよく温厚な性格によつて、教師たちからの評価も高いのですが、ウェイの母親は、不法滞在の罪で逮捕されます。教師たちは、彼女の弁護士費用に当てようと、カンパを募ります。
学年末の授業でフランソワは、この1年間で何を学んだかを、生徒たちに質問します。生徒たちは、1年を振り返りながら、思い思いに語り始めます。化学変化が面白かった、ピタゴラスの定理を学んだ、プラトンの『国家』の1節を暗誦した、など等。稚拙な回答もあれば驚くほど高等な答えもあり、フランソワは満足気です。しかし、最後の1人が寂しそうに発言します。「何も学んでいない」「1年間、何にも分からなかった」。フランソワは、冷や水を浴びせられるような感覚に襲われました。
移民を受け入れてきたフランスのある中学校の、国語の授業を通した1年間の物語は、このようにして終ります。映画や演劇経験のない素人の子供たちが、この映画の撮影を通して見事に成長していく様子は、確かに素晴らしい。しかし、この映画で描かれた生徒たちは必ずしも、授業を通して成長していくようには描かれていません。小さな教室には、希望と絶望が混在したまま、学年を閉じます。教育映画とみるよりも、移民社会あるいは多人種社会を描いた映画というべきかと思います。そうした意味では、日本社会の近未来像が、ここにあります。
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