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2010年12月31日 (金)

年末や大晦日のこと

Img_85301_1  定年後といえども、やはり、年末は忙しい。地区子供会の注連縄(しめなわ)作りや餅つき大会の手伝いにはじまり、自宅の庭の手入れや部屋の掃除が、待ち構えています。自宅裏のタモの大木が、大量の落ち葉を降り注ぐものですから、屋根の樋の清掃はこの時期、必須です。

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2010年12月26日 (日)

説経節『小栗判官』のこと

Photo_2  江戸時代初めの大衆は、『きのふはけふの物語』に笑いを求め、『説経節』に涙を求めたと、加藤周一氏は『日本文学序説』に書きました。『説経節』は、ささら、胡弓、三味線などの楽器を使って神仏の霊験、縁起などを門前で語った語り物で、操り人形芝居と結びついて流行しました(広辞苑ほか)。代表的な外題には、「山椒大夫」「小栗判官」「苅萱」などがあります。
 今日は、『説経節 小栗判官』を、原文をサイト「ちいさな資料室」掲載の「小栗判官」で読み、そして原文を忠実に漫画化した近藤ようこ著『説経 小栗判官』(ちくま文庫03年刊)を併読しました。

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2010年12月22日 (水)

加藤周一とともに仮名草子『きのふはけふの物語』を読む

 加藤周一著『日本文学史序説』「第六章 第三の転換期」を、今しばらく読みつづけます。
 加藤氏は、16世紀半ばから17世紀半ばにいたる100年間を、日本文学史上第三の転換期と称し、日本が初めて西洋と直面したことと武士権力が中央集権化を果たしたことを、この時期最大の特徴としました。西洋との直面については前回、キリスト教の受容と放棄で触れました。武士権力の中央集権化は、貴族・武士・町人・農民の世襲的身分の固定化と差別化をともない、このことが徳川時代の支配層と大衆の文化の二重構造をもたらします。室町時代、将軍から大衆までが、身分や階層を越えて一緒に、猿楽(能楽)や連歌を楽しんだのと好対照だとしています。

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2010年12月13日 (月)

竹林整備と竹炭焼き

P1130268_1_3 近くの放置竹林を整備し始めて、そろそろ1年近くになります。毎週日曜日の朝、のこぎり1本とペット茶をもって、竹林に出かけます。 農作業の忙しい夏から秋にかけては、非農家の私ひとり、あるいは家内と二人で作業することが多かったのですが、稲の刈り取りも終った11月からは、月1回の定例日には、数人の仲間がぼつぼつ、参加するようになりました。そして昨日、年明け早々に建造予定の炭焼き竈(かま)に使う竹を伐採するために、区内外から20名の人びとが、集まりました。

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2010年12月11日 (土)

不干斎ハビアン著『妙貞問答』と『破提宇子』

Zabieru  昨秋、加藤周一著『日本文学史序説』(ちくま学芸文庫、75年初刊)を読みはじめて、はやくも1年たちました。しかし読む速度は遅く、やっと「第6章 第三の転換期」(文庫版1,100ページの内400ページ)に入ったところ。すべてを読み終えるのは、何時のことか。
 さて加藤氏は、日本文学史の第一の転換期を、輸入された大陸文化が「日本化」された9世紀とし、第二の転換期を、武士が権力を握り鎌倉仏教が起こった13世紀としました。そして、第三の転換期が到来します。16世紀半ばから17世紀半ばまでの100年間で、つぎの二重の意味で日本史の転換期だと、加藤氏は記しています。
 第一は、西洋の影響 がはじめてこの国に及んだこと。第二は、分散化していた武士権力が求心化し、全国統一から幕藩体制確立にいたったこと。(写真:ザビエル像・神戸市立博物館所蔵)

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2010年12月 4日 (土)

都心の前方後円墳を訪ねる

P1130138_1   一昨日の夕方、東京へ行く用があったので、昼間、都心の古墳を訪ねました。先月初め、高崎にある保渡田八幡塚古墳をみたとき、その形の美しさと大きさに驚き、その後、広瀬和雄著『前方後円墳の世界』(岩波新書10/8刊)を読んで、ますます古墳に魅せられました。広瀬氏の「各地の古墳公園を散策し、歴史への想像力をおおいに飛翔させてほしい」とのメッセージにこたえ、この日の東京古墳巡りとなりました。(写真:宝莱山古墳の案内板にあった平面図)

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