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2010年12月26日 (日)

説経節『小栗判官』のこと

Photo_2  江戸時代初めの大衆は、『きのふはけふの物語』に笑いを求め、『説経節』に涙を求めたと、加藤周一氏は『日本文学序説』に書きました。『説経節』は、ささら、胡弓、三味線などの楽器を使って神仏の霊験、縁起などを門前で語った語り物で、操り人形芝居と結びついて流行しました(広辞苑ほか)。代表的な外題には、「山椒大夫」「小栗判官」「苅萱」などがあります。
 今日は、『説経節 小栗判官』を、原文をサイト「ちいさな資料室」掲載の「小栗判官」で読み、そして原文を忠実に漫画化した近藤ようこ著『説経 小栗判官』(ちくま文庫03年刊)を併読しました。

 加藤氏は、説経節に共通する特徴を、次の四点に要約しています。
 ①いずれも七五調を主とし、主人公が言語に絶する苦難に出会う場面を語って、人の涙を誘うことを主眼とする。
 ②苦難を脱した主人公は、話の最後に出世して、嘗て彼を残酷に扱った人物に復讐する。
 ③女主人公を理想化し、誇り高く、意志の強い性格を描く。
 ④「説経節」の仏教には、奇蹟と地獄との往復という二点が、目立っている。
 ここでは、「小栗判官」最高の見せ場である、主人公の男女(小栗と照手)再会の場を、記しておきたい。それはまさに、③の女主人公の「誇り高く、意志の強い」ことを表現している場面であり、この物語でもっとも印象深かった場面です。加藤氏の要約を若干手直しをし、原文と近藤氏による現代語訳を追加します。
 照手の姫は、零落の身となり、名を常陸小萩と変えて、「君の長」夫婦に水汲み女として酷使されている。そこへ昔彼女と結ばれ、そのために苦難をなめた後、今は国守となった小栗が乗りこんで来る。国守は「君の長」夫婦を通じて、常陸小萩を呼び出す。小栗は、苦難の旅の時助けてくれた常陸小萩に、一目会いたいと思っている。しかし、常盤小萩が照手とは知らない。一方、照手は、自分を呼んだ国守が、よもや小栗だとは夢思っていない。「君の長」夫婦が、国守の館へ酌に行けといったとき、照手は次のように断ります。
 「おろかな、長殿の御諚(おおせ)やな。いま御酌に、参るほどならば、いにしへの、流れをこそは、立てうずれ。御酌にとては、参るまい」(今さらお酌にまいるくらいならとっくの昔に遊女になっております)。しかし、彼女が行かなければ、夫婦が成敗されるというので、ひきうける。夫婦は喜び、十二単を着て行けという。これに対して彼女は、「おろかな、長殿の御諚(おおせ)やな。流れの姫(遊女)とあるにこそ、十二単もいらうずれ、下の水仕(水汲みの女)とあるからは、あるそのままで参らん」と昂然といい捨て、「襷がけの風情にて、前垂れしながら、銚子を持って」酌に立つのである。国守(小栗)から、本名を尋ねられたときには、銚子を捨てて、啖呵を切る、「さてみずからは、主命(しゅうめい)にて、御酌にこそは、参りたれ。初めて御所様と、懺悔物語には、参らぬよ。酌が、いやなら、待とうか」。小栗は答えます。「げに道理や、小萩殿。人の先祖を聞く折は、わが先祖を語るとよ」といって自己を語ります。そして二人は、小栗であり照手であることを相知り、これから先は、復讐劇へとうつります。
 いまから400年も前に、かくも明確に自己主張し、プライドも高く意志強固な女性が、主人公として流行文学(説経節)に登場していたことに、大変驚きます。この語りを聴いた大衆、とりわけ女たちは、どのように照手のことを、受け止めたのでしょうか。この物語の流行の背景には、女たちの照手への強い共感があったのだと想像します。加藤氏は、次のように言い表しています。「この女主人公は、地方豪族の娘とされているが、徳川体制がまだ飼い馴らすに到らなかった(そして遂に完全には飼い馴らすには到らないであろうところの)、日本の女の独立心を示しているだろう。このような女人像は、その後、体制内部の別天地「廓」に、投影されるにほかなくなるのである」。
  この説経節は17世紀末になると、義太夫節にその座を奪われ、衰えていきました。竹本義太夫の竹本座は、座付作者に近松門左衛門を擁し、操り人形浄瑠璃を大成します(広辞苑より)。時は、元禄時代へと移っていきます。

 今回の読書ではじめて、説経節のことを知りました。ネットで検索していると、YouTubeで説経節の実演を見ることができます。小栗判官と縁深い藤沢市遊行寺では、野外劇として「小栗判官」が上演されていますし、八王子市では、第十三代薩摩若太夫による説経節「小栗判官一代記」を公演しています。近藤ようこ著『説経 小栗判官』の巻末に、山口昌男氏が解説を寄せていますが、その中で紹介されている二代目若松若太夫の「奇跡の復活」の話も、興味深い。ある女性保護司が、生活保護を受けている盲目の老人を保護しているうちに、奇妙なことを口づさむのに気づきます。よく聴くと、物語のようなものでした。断片的な章句をつなぎ合わせると、それは大きな物語の部分でした。この老人が説経節の伝承者であることが判ったのです。そして彼女は、老人を励まし、本人が忘れていた曲を思い出させ、公演会にこぎつけた、と山口氏は紹介しています。復活の公演は、1980年のことです。若松若太夫の奇跡の復活は、「日本文化のためにも幸いなことであった」と、山口氏は述懐しています。伝統芸能が衰微し消滅しつつある中で、まさに奇跡だったといえます。そして現在、ネットの力で容易に、こうした伝統芸能に触れる事ができることもまた、幸いなことだと云えます。問題は、そのチャンスを生かすか否かです。

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