加藤周一とともに仮名草子『きのふはけふの物語』を読む
加藤周一著『日本文学史序説』「第六章 第三の転換期」を、今しばらく読みつづけます。
加藤氏は、16世紀半ばから17世紀半ばにいたる100年間を、日本文学史上第三の転換期と称し、日本が初めて西洋と直面したことと武士権力が中央集権化を果たしたことを、この時期最大の特徴としました。西洋との直面については前回、キリスト教の受容と放棄で触れました。武士権力の中央集権化は、貴族・武士・町人・農民の世襲的身分の固定化と差別化をともない、このことが徳川時代の支配層と大衆の文化の二重構造をもたらします。室町時代、将軍から大衆までが、身分や階層を越えて一緒に、猿楽(能楽)や連歌を楽しんだのと好対照だとしています。
そこで今回は、徳川時代初期の大衆文学を取りあげます。加藤氏は、「大衆の涙と笑い」という項目をたて、笑いを「仮名草子」に、涙を「説教節」に原典を求めています。まず、笑いの文学、仮名草子から。仮名草子は、江戸初期の読み物で、平易な仮名文字で書かれた啓蒙・娯楽・教訓のための物語や随筆など。室町期の御伽草子をうけ、その後の浮世草子に引き継がれます。そのなかから、徳川初期の笑いを直接反映していたという『きのふはけふの物語』(作者不詳、1620年ころ)を読みます。前回読んだキリスト教批判の書、ハビアンの『破提宇子』と同じ頃に編集・出版されています。
『きのふはけふの物語』(『昨日は今日の物語』)は、性と食にまつわる笑い話を230ほど集めたもので、僧侶の話が多い。原文はネットで検索し、駒澤大学「情報言語学研究室」サイトで読むことができます。
まずは、僧侶の飲食破戒の話。②は、加藤氏が紹介している小話。
①親の命日に寺へ参ったら、僧侶は留守のようで玄関が開かなかった。そこで台所へまわってみたら、僧侶は鮑を料理していた。檀家に見られて隠す間もなかったので、「お参りにこられようと思って、酒を用意しょうと思ったが精進で飲まないとのこと。そこで、この鮑を調理しているところですよ」と云った。檀家はこれを聞いて、お心を掛けていただいて、まことにありがたいといったので、「是をとて子もちにくわせよ、なまみだ」と口惜しくも与えてしまった。
②ある人が寺へ行き、長老を訪ねたら、留守だといわれた。遠くから来たのでしばらく休み、竹薮をのぞいたら、長老が雁の毛を抜いていた。近くにそろっと寄って声をかけると、長老は仰天して、この鳥の毛を枕に入れれば、通風に効くときいたのだが、馴れないことだからうまくいかん、という。するとこの男は、「其は易ひ事で御座候。是へ下されよ」といって、毛をむしりとり、「此身はこなたにいらざる物よ」といって、雁の肉を持って帰って賞翫した。
次に性的な逸話。まずは加藤氏の引用する③にて。
③夫婦が「昼一儀をくわだてん思へども、子供二人ありければ、ならず候程に、なにとかして、子供を使にやり候はんと」、鉄輪を川で洗って来るようにと言い聞かせた。子供が川へ出かけた後、「くはだてて、しみたる最中」、子供二人が帰ってきた。親はうろたえて、「何で鉄輪を洗わずにかえってきたのか」と叱った。すると兄のほうが、「昼つびがはやるやら、川に、鉄輪洗がつかへて、洗われぬほどに帰りた」と答えた。(つび=陰門の古称。広辞苑)
④尼僧たちが、寄り合っていろいろと語っていた時、ある腕白者が戸の節穴より、「わたくし物を、いかにも見事にしたてて」にょっと出した。主の尼僧がこれを見つめて、「やれやれ、ここへ何やら知らぬ、蟲めが出た。そこな金火箸を、焼いておこさい。取りて捨てふ」といった。すると金火箸の音を聞いて、「かの物をひきければ、比丘尼うろたへて、「今までここにあったまらがない」といはれた」という。(まら・魔羅=(もと僧の隠語)陰茎。広辞苑)
⑤ある女房が、川へ洗濯に行った際、「何としてか、女のさねを、大きなる蟹がはさみて、何としても離さず」。女房は困り果て、家へ帰って青くなっているところへ、男が帰ってきたので、ありのままを話した。男は、まだ離さないかと女房の前を開けて見たが、したたかなる蟹は挟んだままで、いろいろ工夫をしてみても、この「蟹すこしもくつろげず」。近所の人が、「穴に望みてつきたる、生霊にてにて候程に、祈祷をさせて見よ」といったので、山伏を呼んで、女の前をひろげて祈祷した。するとこの蟹は、錫杖の音に驚いて、ますます締め付けた。どうしょうかと議論していたところ、山伏は、「むなしく帰り候まじ。所詮此蟹を噛みわりて、捨てん」といって、大口をあけて「股ぐらへさし入れ、噛みつかんとしければ、かたかたのはさみにて、山伏の頬さきを、しかと挟みける」。いろいろ工夫してみたけれど、両方とも蟹は離さない。そこで女房は、「蟹のつらに、ししをかけて見ん」といって、したたかに放尿したところ、山伏の顔が滝に討たれたようだった。男はこれを見て、女房のことは仕方ないが、「お山伏の顔にししのかかりたるが、何より迷惑」なことだといったら、山伏は次のように答えた。「ししのかかったも、蟹のはさみたるも苦しうも御内儀さまの、へへの臭いで、鼻がもげていぬる」。
古今東西、下ねたほど、罪もなく面白い話はありません。蟹に挟まれた女房の話を読んで思わず、吹き出してしまいました。広辞苑の「尿・しし」の項には、事例として、この『きのふはけふの物語』の「蟹のつらに、ししをかけて見んとて」がまさに引用されていて、再び笑いました。17世紀はじめの江戸の大衆たちも、21世紀はじめの私たち同様に、この書を読んで、腹を抱えて笑ったのだろうと想像します。江戸の大衆は、普及し始めたところの木版印刷で読み、現在の私たちは、ネットを利用して読む違いはありますが。上に紹介した駒沢大学のサイトにて、一度、読まれんことをお勧めします。
加藤周一氏の『序論』に戻ります、加藤氏は、上の②③を題材にしながら、「坊主に対して檀家、親に対して子供が機智を発揮するのは、主人に対して従者(太郎冠者)が機智を示すのに似ている」という意味で、「狂言の世界が、『きのふはけふの物語』の世界に連続していた」と論じます。しかし、狂言の笑いは、「割りあてられた社会的役割と人物の能力とのくいちがいによるものが多い」一方、『きのふはけふの物語』では、役割・能力ではなく、「人物をつく動かす食欲や性欲の期待を超えた強さが、笑いの中心になっている」と指摘します。この違いの背景について、「狂言が社会の階層の上下を貫く娯楽として発達したのに対して、『きのふはけふの物語』が身分制社会の特定の身分層に訴えようとしていたことに由来する」のかもしれないと、推測しています。いずれにせよ、「『きのふはけふの物語』は、食欲と性欲を中心として動く大衆の日常生活のなかでの笑いを要約している」のです。しかし大衆は、と加藤氏は続けます。「常に笑いだけをもとめていたのではなく、また涙をもとめていた」。17世紀前半に流行した「説経節」が登場します。次回の『序論』関連の読書は、説経節の代表作、『小栗判官』を読む予定です。
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