年末や大晦日のこと
定年後といえども、やはり、年末は忙しい。地区子供会の注連縄(しめなわ)作りや餅つき大会の手伝いにはじまり、自宅の庭の手入れや部屋の掃除が、待ち構えています。自宅裏のタモの大木が、大量の落ち葉を降り注ぐものですから、屋根の樋の清掃はこの時期、必須です。
年明け早々に、地元の里山再生グループによって、炭焼き竈(かま)造りが始まります。その準備のため、この年末は、竹林に度々足を運びました。昨日は、真竹を伐って竹の湯呑みを作ったり、太い孟宗竹で2メートルほどの小さな橋をつくりました。晦日に竹薮に入っているのは我々ぐらいかね、と三人の男たちは笑いました。竹林の足下に、美しい瑠璃色の実が生っていました。リュウノヒゲ(竜の髭)の実です。
2010年最後の読書には、和田春樹著『日本と朝鮮の100年史-これだけは知っておきたい』(平凡社新書2010/12刊)を選びました。今月15日に発行されたばかりで、新聞広告で知りました。韓国併合100年の年を終えるにあたり、最もふさわしい本の一冊だと思います。日韓・日朝100年の歴史が、最新の研究成果を踏まえて、大変わかり易く簡潔に記述されおり、一気に読むことが出来ます。興味深い事項を、いくつか紹介します。
まず、司馬遼太郎が生前、『坂の上の雲』のテレビドラマ化に反対していた理由あるいは背景が、述べられています。その部分を引用します。「やはり、『坂の上の雲』の世界の中に問題ありということになったのです。つまり明治は素晴らしく、昭和が悪いということではなく、明治という時代そのものに問題があったのではないかと司馬氏も認識したはずです。明治の時代の帰結は日露戦争であり、韓国併合なのです。そこまで含めた明治の時代について司馬氏考えざるをえなかった。『坂の上の雲』が断ち切れたように日本海海戦の勝利のあとで終っているというのは、やはり司馬氏としては構想のある破綻を感じたからなのでしょう」。司馬氏の原作同様、NHKのドラマでも、韓国・朝鮮についてはほとんど触れられていません。もっぱら、ロシアと日露関係が描かれます。そして明治の軍人たちの気骨と先見性が強調されます。しかし史実は、「日本は朝鮮の主権を奪うために日露戦争をやっ」た、のです。和田氏の指摘は、説得的です。
1919年3月1日、ソウルでは朝鮮独立万歳を叫んだ民衆が市内をデモ行進し、運動は全国に波及しました。これに対して、憲兵による厳しい弾圧が加えられました。これが三・一独立運動です。このとき朝鮮の知識人から出されたのが、三・一独立宣言です。和田氏は、この三・一独立宣言を次のように性格づけています。①三・一独立宣言によって朝鮮民族が日本人を説得しょうとした。②この宣言の思想は「非暴力革命」の思想である。和田氏のこの認識は、1975年獄中から釈放された詩人の金芝河の声明から導き出されたと云っています。
もう一箇所だけ紹介します。2000年10月に、オルブライト米国務長官が金正日委員長と対談した時の話です。長官の「どこをモデルにするのか」との質問に対して、金正日氏は、スウェーデンとタイを挙げたという。「タイは強い王政を維持しており、長い嵐のような歴史を通じて国の独立を保ちました。しかも市場経済を持っています。私はタイのモデルにも関心を持っています」。この金正日氏の発言に対して、和田氏は次のように述べています。「オルブライトの回想のこの箇所を見て、私ははっと思いました。金正日という人はタイのモデルに興味を持っている。小国として大国の狭間を切り抜けて独立を保つのが自分たちの道だと考えていることがわかりました」。和田氏はあくまでも、金正日氏を等身大の人間として見ようと努めています。彼を悪党呼ばわりし、ならず者呼ばわりばかりすることは、結局、「ピョンアンをたたけ」という論理しかなくなります。
以上三項目を、前後の脈絡なく紹介しました。日本・韓国・朝鮮の現在と未来を、真摯に読み解こうとする人にとっては、必読の書だと思います。2011年、金正日氏と北の共和国は、どのような行動をとろうとするのか。また日本政府は、断絶状態の日朝関係に、打開策を持ち得るのだろうか。来年が、私たち東北アジアの平和にとって、画期的な前進の年になることを、心から念願します。
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