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2010年12月11日 (土)

不干斎ハビアン著『妙貞問答』と『破提宇子』

Zabieru  昨秋、加藤周一著『日本文学史序説』(ちくま学芸文庫、75年初刊)を読みはじめて、はやくも1年たちました。しかし読む速度は遅く、やっと「第6章 第三の転換期」(文庫版1,100ページの内400ページ)に入ったところ。すべてを読み終えるのは、何時のことか。
 さて加藤氏は、日本文学史の第一の転換期を、輸入された大陸文化が「日本化」された9世紀とし、第二の転換期を、武士が権力を握り鎌倉仏教が起こった13世紀としました。そして、第三の転換期が到来します。16世紀半ばから17世紀半ばまでの100年間で、つぎの二重の意味で日本史の転換期だと、加藤氏は記しています。
 第一は、西洋の影響 がはじめてこの国に及んだこと。第二は、分散化していた武士権力が求心化し、全国統一から幕藩体制確立にいたったこと。(写真:ザビエル像・神戸市立博物館所蔵)

 文芸復興期の西洋が日本にもたらしたのは、鉄砲(軍事技術)とポルトガル商船(外国貿易)とキリスト教の3つでした。イエズス会のキリスト教は、多くの大名にひろがり、農民層にも浸透していきました(ピーク時で70万人と推定)。鉄砲は、武士団の戦法を変え、いちはやく採用した織田信長の全国統一に、大きく寄与しました。貿易による経済的利益は、大名たちの心をとらえ、そのためにキリスト教に回心する者が多くいました。しかし秀吉による宣教師追放令(1587年)後は、ほとんどのキリシタン大名たちは、棄教しました。「日本の指導者層の西洋に対する態度は、・・・・軍事技術に対する関心、貿易による経済的利益の追求、キリスト教の政治的役割(植民地化の危険、大衆の反抗と結びつく可能性)に集中されていた」と加藤氏は指摘します。
 キリスト教が日本文化に及ぼした影響は如何。加藤氏は、16世紀末・17世紀初の日本の知識人が、カトリックの教義をどう受けとっていたかを、不干斎ハビアンの著作に求めます。そこで今回は、加藤氏の『序論』とともに釈徹宗著『不干斎ハビアン 神も仏も棄てた宗教者』(新潮選書09年刊)を併読しながら、不干斎ハビアンとその著作に触れたい。
 本論に入る前に、キリスト教を伝道するにあたって、西洋の言葉がどのように翻訳されたのかをみておきます。キリスト教でいうDeus(神)は、初期には「大日」「天帝」「天道」「天主」などと翻訳されましたが、後には「デウス」「Ds」などと、ポルトガル語やラテン語をそのまま外来語として使用されました。「さきりひいしょ」(犠牲)、「でうす・ぱあでれ」(父なる神)、「ぱっしょむ」(イエスの受難)などは、そのまま使われました。宣教師たちは、仏教語や日本語への翻訳によって、教義内容の誤解を生むと懸念したようです。このことを加藤氏は、明治の日本人が西洋語のほとんどを日本語に翻訳したことと「大いに異なる」と云います。すなわち、キリスト教布教における外来語の採用は、「原語の意味の歪曲」を避けるのに役立ったが、「思想の普及」には障害になり、逆に明治の徹底した翻訳主義は、「西洋思想の普及」には役立ったけれど、「訳語の意味が原語のそれから遠ざかる」のを防げなかった、と指摘します。西洋と向き合った16世紀と19世紀との相違点。
 不干斎ハビアンの略歴を、ハビアンに関する最新の研究成果を踏まえた釈徹宗氏の上記著書から記します。
 1565年 北陸にて生まれる。
 1583年 修行僧であった禅仏教を棄てて、キリシタン入信し、高槻セミナリオに入学。
 1586年 イエズス会イルマン(修道士)となり、大分・臼杵の修道院へ。その後、長崎にて神学を学ぶ。
 1590年 イエズス会の重要会議に出席。
 1592-97年 天草で日本語を教えながら、『平家物語』『伊曾保物語』など執筆。
 1603年 京都・下京教会へ。
 1605年 修道女教育のために『妙貞問答』を書く。キリシタン護教の書。
 1606年 新進気鋭の朱子学者、林羅山と論争。
 1608年 突然、修道女とともに駆け落ちし、イエズス会脱会、行方不明になる。
 1616‐19年 江戸・長崎でキリシタン取締りに協力。
 1620年 キリスト教批判の書『破提宇子(はでいうす)』を書く。
 1621年 長崎に死亡。
  年譜に見る不干斎ハビアンは、大変興味深い人物です。
 彼の手になる相反する2冊の著書、キリスト教についての護教書『妙貞問答』と批判書『破提宇子』について、包括的に紹介している釈徹宗氏の著書から要約します。
 まず『妙貞問答』について。この本は、妙秀と幽貞という二人の尼僧の問答形式をとって、仏教、儒教、神道を批判し、キリスト教の教義について説明しています。
 釈氏は、ハビアンの仏教批判の骨子として、仏教は、①無や空に帰着するので救いがない、②絶対者の概念がなく、釈迦も諸仏も人間であり造物主ではない、という2点に集約しています。以下に、少し詳しく見て行きます。
 ①について妙秀は反論します。「仏教がすべて無に帰着するから来世を否定するというのも間違っております。なぜなら仏教では断見(すべては無である)も常見(死後も存続する)も両方否定するからです。この無と有から離れるところに悟りがあるのです。これを中道と言います」。これに対して幽貞は、次のように一蹴します。「一応はそのように言うのであるが、つきつめれば仏教が説いているのは、すべての存在は四大五蘊と呼ばれる構成要素によって成り立っており本体は空である、ということにつきるのです。・・・中道というのも、仏性というのも、心の有り様を説いているだけであって、これも空の異名なのです」。釈氏の注釈。「確かに仏教では永遠不滅の魂が否定されている。・・・すべては一時的状態だと考えるのである」。仏教語が理解できません。断見、常見、四大五蘊、悟り、空等々、広辞苑で調べてみても、さっぱり分かりません。だから、理解の可・不可にかかわらず、前にすすみます。
 ②に関する議論は次のとおりです。幽貞は釈迦について、「インドではブッダと呼び、中国では覚者と呼ぶ。覚者とは覚った人ということ」と解説し、何を覚ったかというと「畢竟は空である。ゆえに仏も衆生も地獄も極楽もつきつめればないのだ」と断じ、終には「釈迦は人間ではないか。元は一人の凡夫ではないか」という結論に至ります。だから仏教では、人の後生には救いがない、ということになります。ハビアンの仏教批判の要点は、以上のとおりです。
 ハビアンは仏教のほか、儒教、道教、神道についても批判の矢を放ちつづけますが、ここでは省略し、ハビアンのキリスト教護教論に移ります。ポイントは、後生の救いと救い主のことです。この項も釈氏からの引用とします。
 まず、キリスト教の神デウスは、「絶対にして唯一」であることについて幽貞が説きます。
幽貞「天地が自然に出来上がったことなどあり得ず、必ず造り主がいる。この行灯や家屋だって、作り手がなければ存在しない。まして、月星の運行、昼夜、四季のうつろい、いにしえより今に至るまで規則通りである。これが勝手に出来上がったものであるはずがない。私たち人間だって、神によって創造されたのです」。これに対して、妙秀が疑問を投げかけます。
妙秀「では、その神はなぜ始まったのですか?」
幽貞「いや、デウスはすべての始まりだから、デウスに先立つものはないのです。デウスは永遠の存在なので、始めも終わりもないのです」
妙秀「では、そのデウスさまとはどのような存在なのでしょうか?」
幽貞「スピリツアル・ススタンシア(霊的実体)て申して、色も形もありません」
妙秀「では、見えないし、ふれないのですね」 
幽貞「見えないし、触れないと言っても、存在しないとは言えません。なにしろ無量・無辺、永遠の存在ですから。それはサビエンティシモ(最高智)であり、ミゼリカラルヂィシモ(最高愛)であり、限りなき慈悲の根源シュスチイシモ(最高義)なのです。オムニホテンテ(全能)なのです」。
 仏教語が難解なことは先に書きましたが、キリスト教のスピリツアル・ススタンシア、サビエンティシモ、ミゼリカラルヂィシモが、原語のまま著わされたのだとすれば、こちらは難解をとおり越して、解読不可というべきかもしれません。それはともかく、ハビアンによる『妙貞問答』の結論は、キリスト教の神デウスは、絶対にして唯一ゆえに、救い主となる、ということでした。
 遠藤周作は、以上のような『妙貞問答』の根底には、スコラ哲学のトマス・アクィナス的論理が流れているといいます。つまり、「宇宙のすべては動くもの、動かすもの、作るもの、作られるものの二つの分かれる。だからその動力の最初の中心が考えられるし、最初の創造者を想定せねばならぬ。それが神(デウス)だという論理」と敷衍します。そして『妙貞問答』のなかのイエス論はあまりに貧弱であり、ハビアンは「イエスの生涯とその死、また復活の意味を考えたことがなかった」。従ってハビアンのキリスト教は、「ほとんどイエスぬきの基督教である。もしくはイエスの意味を重視しない基督教である」と断じています。(遠藤周作稿『日本の沼の中で』(『切支丹時代 殉教と棄教の歴史』小学館ライブラリー、初稿79年)
  ハビアンは、『妙貞問答』を執筆した3年後に修道女と駆け落ちし、キリスト教を棄てます。やがて幕府のキリシタン弾圧に協力し、ついに、キリスト教批判の書『破提宇子(はでいうす)』を書くにいたります。次に、『破提宇子』について、やはり釈氏の現代語訳で紹介します。『破提宇子』でのキリスト教批判の論議は、『妙貞問答』で仏教、儒教、神道を批判するのに用いられたのと同じ論法が使われます。
 「仏神をすべて人間とみなすことは間違いである。仏には三身(法身・報身・応身)がある。応身は人間として人びとを救うが、法身は無始常住なのである。・・・・・仏神を罵倒するデウス教は仏罰神罰があたるだろう。豊後の大友宗麟などはデウス教徒になってから武運がつきた。小西行長、高山右近、・・・みんなキリシタンとなってからは悲惨な末路を遂げている。釈尊は浄飯王を父、摩耶夫人を母として生まれ(たので)人間というのであろうが、デウスの本尊、ゼズ-キリストも、ジョゼイフという父、サンタ-マリアを母としている。これも人間に違いない」。
 ハビアンは『妙貞問答』では、仏教が「無や空に帰着するので救いがない」と批判していたのですが、『破提宇子』では次のように逆転します。
 「無の一字も、そんな簡単なことではない。キリシタンは"無"の一字さえもきちんと理解していない。また、無智無徳こそ、真実である。デウスは有智有徳というが、智慧あるところには、必ず憎愛の選択が生じる。デウスに憎愛があるならば、それは人間性に他ならない。つまり、すべて人間が創り出した説なのである」。あっと驚くような逆転です。
 以上、主に釈氏の著作からの引用(原典からの孫引き)で、ハビアンの 『妙貞問答』と『破提宇子』の一部の論点のみを紹介しました。ここで、加藤の『序説』に戻ります。加藤氏は、ハビアンの2書における宗教と「王法」、つまり国家権力との関係に注目します。『妙貞問答』では、キリシタンはまず、デウスを崇めなければならない。そして次に、天子将軍はじめ、主人を心から大切に敬うべきだと教えている。だからキリシタン国には、謀反叛逆心がなく、仏法がなくても王法(国家)はさかんであると、結論づけています。ところが『破提宇子』では、仏教を擁護しキリスト教を厳しく非難します。つまり、神道・仏法があればこそ王法も盛んであり、王法があるからこそ仏神の権威も増すのだ。キリシタンは、王法(国家)を傾け仏神を滅ぼし、日本の風俗を除去して、日本国を奪わんと謀反の企てがある。また、国家転覆の大逆も、バテレン(司祭)に告白すれば許される、と教えている。まさにバテレンは、残賊の棟梁であり謀反殺害の導師である、と口汚く罵っています。
 このハビアンの護教から棄教への転向について、加藤氏は次のようにコメントします。「ハビアンの棄教は、・・・キリスト教から仏教への「転向」ではない。・・・普遍的とされる価値乃至原理の擁護から、特殊具体的な日本の国家をすべての上におく立場へ移ったのである。一つの超越的価値から、他の一つの超越的価値へではなく、具体的な所属集団(国家)に超越するすべての価値の否定へ」。
 このように16世末・17世紀はじめの日本の知識人は、キリスト教の教義を受容し、そして自らそれを破棄したのです。後に何が残ったのか。キリスト教とは異質の隠れキリシタンが、秘密裏に細々と生きのこっただけで、キリスト教の思想と世界観は無惨にも、この国から跡形もなく消え去ってしまいました。
 
 
 
 

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