福島原発事故のこと
一昨日の夜、福島県伊達市の友人は、電話の向こうから呻(うめ)くように、当市の様子を報告してくれました。
「大きな地震の被害はなかったものの、ほとんどの工場や商店は閉鎖され、多くの人びとが、職を失う危機に遭遇している。農家は、原発事故の影響で、農畜産物の出荷もできず、春の作付けも出来ない。須賀川市の60代の野菜農家は、長年、有機農業をつづけてきた篤農家だったが、キャベツの出荷直前に政府からの「摂取制限」の指示があり、そのあと自ら命を絶った。」
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一昨日の夜、福島県伊達市の友人は、電話の向こうから呻(うめ)くように、当市の様子を報告してくれました。
「大きな地震の被害はなかったものの、ほとんどの工場や商店は閉鎖され、多くの人びとが、職を失う危機に遭遇している。農家は、原発事故の影響で、農畜産物の出荷もできず、春の作付けも出来ない。須賀川市の60代の野菜農家は、長年、有機農業をつづけてきた篤農家だったが、キャベツの出荷直前に政府からの「摂取制限」の指示があり、そのあと自ら命を絶った。」
昨日の朝日新聞で、精神科医の中井久夫さんの手記『災害がほんとうに襲ったとき』が、ネットで無料公開されていることを知り、早速、読みました。ノンフイクション作家の最相葉月さんの尽力で、ネット公開となったものです。
何一つ手に付かず、ただただ、被災者の過酷な境遇に涙し、統御困難となった原発の映像に、心は恐怖するばかりです。昨日、福島・いわき市からの避難者が、私たちの町にもやってきました。福島原発から避難してきた人びとです。今朝方、自家製ジャムとクラッカーを、差し入れてきました。
ベルギーに住む娘から、この度の大震災についての当地の人びとやメディアの反応について、メールが来たので転載します。
大きな鉄骨造りの体育館が、にぶい音をたてて軋み、捩じれてしまいそうな感じでした。体育館が安全なのか否かの判断をする余裕もなく、ただ呆然と、激しく揺れる天井の水銀灯を、見つめていました。インストラクターの女性が、青ざめた顔を強張らせて、「ミナサン、オチツイテクダサ~イ!」と声を震わせました。高崎市、震度5強。
711年(和銅四年)3月9日、現在の高崎市吉井町に、片岡郡・緑野郡・甘良郡3郡に属した300戸からなる新たな郡、多胡郡ができました。この建郡のいきさつを刻した石碑が、多胡碑です。それから丁度、1300年。一昨日、高崎市の群馬音楽センターで、多胡郡建郡1300年記念事業のひとつ、シンポジウム「多胡碑は何を伝えようとしたのか」があり、聴講しました。