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2011年3月31日 (木)

福島原発事故のこと

 一昨日の夜、福島県伊達市の友人は、電話の向こうから呻(うめ)くように、当市の様子を報告してくれました。
 「大きな地震の被害はなかったものの、ほとんどの工場や商店は閉鎖され、多くの人びとが、職を失う危機に遭遇している。農家は、原発事故の影響で、農畜産物の出荷もできず、春の作付けも出来ない。須賀川市の60代の野菜農家は、長年、有機農業をつづけてきた篤農家だったが、キャベツの出荷直前に政府からの「摂取制限」の指示があり、そのあと自ら命を絶った。」

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2011年3月25日 (金)

中井久夫さんの手記『災害がほんとうに襲ったとき』

  昨日の朝日新聞で、精神科医の中井久夫さんの手記『災害がほんとうに襲ったとき』が、ネットで無料公開されていることを知り、早速、読みました。ノンフイクション作家の最相葉月さんの尽力で、ネット公開となったものです。

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2011年3月18日 (金)

大津波は「想定外」だったのか?

 何一つ手に付かず、ただただ、被災者の過酷な境遇に涙し、統御困難となった原発の映像に、心は恐怖するばかりです。昨日、福島・いわき市からの避難者が、私たちの町にもやってきました。福島原発から避難してきた人びとです。今朝方、自家製ジャムとクラッカーを、差し入れてきました。

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2011年3月15日 (火)

東日本大震災について-ベルギーの人びとの受けとめ方-

 ベルギーに住む娘から、この度の大震災についての当地の人びとやメディアの反応について、メールが来たので転載します。

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2011年3月14日 (月)

宮古の漁師のブログ

 昨日の朝日新聞に、宮古市田老の被災状況が、報道されました。「津波が防潮堤の倍ぐらいの高さまで上がっていた」と、難を逃れた女性の言葉を、伝えています。同じ日の岩手日報(ネット版)は、「津波来襲から一夜明けた宮古市田老町の中心部は12日、むき出しとなった地面に倒壊家屋の残骸や押し流された乗用車が散乱。無残な光景が見渡す限り広がった。」と報じました。被災直後の田老町の状況は、空撮映像で見ることができます。これが「津波防災の町」田老町の、惨状です。

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2011年3月12日 (土)

巨大な地震と津波

 大きな鉄骨造りの体育館が、にぶい音をたてて軋み、捩じれてしまいそうな感じでした。体育館が安全なのか否かの判断をする余裕もなく、ただ呆然と、激しく揺れる天井の水銀灯を、見つめていました。インストラクターの女性が、青ざめた顔を強張らせて、「ミナサン、オチツイテクダサ~イ!」と声を震わせました。高崎市、震度5強。

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2011年3月10日 (木)

箕郷の梅は三分咲き

Img_9216_1_3  群馬県の梅の三大産地の一つ、高崎市箕郷町へ梅を観にいきました。好天とはいえ空気は冷たく、時々吹き付ける強風に、震えあがりました。 箕郷梅林の梅まつり会場になっている蟹沢地区の白梅は、現在三分咲き。一方、数の少ない紅梅は、満開をやや過ぎた頃でした。

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2011年3月 8日 (火)

シンポジウム「多胡碑は何を伝えようとしたのか」

 711年(和銅四年)3月9日、現在の高崎市吉井町に、片岡郡・緑野郡・甘良郡3郡に属した300戸からなる新たな郡、多胡郡ができました。この建郡のいきさつを刻した石碑が、多胡碑です。それから丁度、1300年。一昨日、高崎市の群馬音楽センターで、多胡郡建郡1300年記念事業のひとつ、シンポジウム「多胡碑は何を伝えようとしたのか」があり、聴講しました。

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2011年3月 1日 (火)

京都小旅行

P1140294_1  先週末、同窓会と墓参のため、京都へ行ってきました。どちらも、過ぎ去った日々を、今に確かめるための習い性ですが、何時まで続くことか、不確かな感じがします。ただ、京都の町は、故郷であると同時に、訪問のたびに新しい発見を提供してくれる魅力的な土地であり、帰路はいつも、次の訪問を心に期するのです。

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