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2011年3月18日 (金)

大津波は「想定外」だったのか?

 何一つ手に付かず、ただただ、被災者の過酷な境遇に涙し、統御困難となった原発の映像に、心は恐怖するばかりです。昨日、福島・いわき市からの避難者が、私たちの町にもやってきました。福島原発から避難してきた人びとです。今朝方、自家製ジャムとクラッカーを、差し入れてきました。

 大震災翌日の12日から、宮古市田老町の被災状況を、ネットで追っています。岩手日報河北新報の地元2紙と、毎日新聞産経新聞の中央2紙が継続的に、当地を報道しています、各社の問題意識は恐らく、「津波防災の町」田老の被害の実態を通して、約80年にわたる行政と住民の懸命の防災努力が、何故、報われなかったのか、を問うことだと思います。私も、同じ問題意識を、共有します。
 吉村昭著『三陸海岸大津波』を読み返しました。この書で吉村氏は、1896年と1933年の二度にわたって最大の津波被災地であった田老町(死者数1896年1859名、1933年911名)が、1933年の被災直後から、防潮堤の建設、避難道路の整備、警報器の設置などのハード面の整備とともに、町あげての津波避難訓練の徹底などソフト面での対策も十分に講じてきたとし、その結果、その後に起こったチリ津波(1960年)や十勝沖地震(1968年)で人的被害は発生しなかった、と高く評価しています。しかし吉村氏は、次のようにも書いています。 「しかし、自然は、人間の想像をはるかに越えた姿をみせる。・・・田老町の壮大な防潮堤は、高さが海面より10.65メートルある。が、明治29年、昭和8年の大津波は、10メートル以上の波高を記録した場所が多い」。吉村は、1896年に田野畑村を襲った大津波で、海水が50メートル近くも這い上がってきた事例を、見聞しています。「そのような大津波が押し寄せれば、海水は高さ10メートルほどの防潮堤を越すことはまちがいない」としたうえで、なおかつ田老町の「頑丈な防潮堤は津波の力を損耗させることは確かだ。それだけでも、被害はかなり軽減されるにちがいない」と期待感を示しました。
 吉村氏の指摘どおり、今回の大津波は、田老町の10メートルの防潮堤を越え、かつ崩壊させました。では、軽減効果はあったのでしょうか。いまだ被害の全容が不明のなか、解明は、今後にまかされます。
 いま、「想定外」と云う言葉が、多用されています。勿論、田老町の被災も、例外ではありません。はたしてそうなのか。吉村氏は、10メートルの防潮堤を越える大津波を、想定していました。また、「1000年に一度の災厄」ということも、いわれます。2004年に東南アジア諸国を襲ったスマトラ沖地震は、マグニチュード9.3でした。たった6年前のことです。これらの言説は、今回の大津波は、人智を越えた自然現象で仕方ないことだ、という一種のニヒリズムにつながります。私は、そうは思いません。人類は、今回やスマトラ沖地震のレベルの大津波に対して、必ずやその克服策を発見するだろうと思います。科学と国家は、そのためにこそ存在価値があるのです。
 いま現地では、被災された多くの人びとが、家族と友人をなくし、行方不明者を捜し求め、そして自らの寒さと空腹に打ち震えています。とりわけ、病人や老人などのことが、気がかりです。一刻も早く、救援の手が差し伸べられることを、強く願います。いま、国家の存在価値が厳しく、問われています。

追記:福島原発の危機についての原子力資料情報室からのメッセージが出ています。

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コメント

本当に目を覆うような惨状で自然の凄さと人智の無力なることを感じざるを得ません。故郷として愛着を持ち何年もかけて作り上げてきた風光明媚な町が一気に根こそぎさらわれ、万を数える犠牲者を出すなんてことは一体誰が予測しえたでしょうか?どこかの知事が天罰などと言っていたがこのような発言で被災者の心が癒されるはずがない。もし天罰があるとすればこのような傲慢な考えに対してではないだろうか。 問題は今後の復興をどのように進めるかだと思うが、ばか高い防潮堤を築く訳にもいかないだろうし、さりとて彼の地を離れるのも簡単ではないだろうし、復興ビジョンも容易ではないですね。自然との相克が人類の歴史の一面とは言え被災者の方々が早く深くて大きい苦難を乗り越えていって欲しいものです。

コメントありがとうございます。
ご指摘のとおり、復興ビジョンの作成は、極めて困難だと思います。しかし、いまは被災者となった人びとが、長年かけて復興に向かって歩み出した時には、必ずや自分たちの街・町の、最も適切な復興ビジョンを作り上げていくことが出来ると、楽観的に考えます。そのためには、科学と国家の全面的な支援が、絶対的な条件になるものと思います。

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