統一地方選挙と原発事故
一昨日、市役所支所の投票所で、市長・市議会選挙の期日前投票の立会人として、朝8時半から夜8時までの半日を過ごしました。一人の投票管理人(市役所職員)と二人の立会人(住民)が見守るなか、6人の投票実務者(職員)の運営のもとに、有権者による投票が行われます。この日、投票にやってきた市民は、142名。平均1時間に12人ほどの来場でした。暇が苦痛な半日でした。
ただ、閑なうちにも、こんなことがありました。
中年女性と車椅子に乗った高齢女性の二人-母娘か姑嫁-が、投票所にやってきました。受付で期日前投票の手続きのあと、二人は一緒に、投票台にいこうとしました。その時、係りの職員が、「車椅子は私が押します」と申し出ました。投票の時に、二人が相談することを防ぐためでした。すると嫁(娘)さんが、「母は、私がいないと何もできないの」といって、車椅子を係りに任せるのを、拒否しました。そこで、投票管理人が立ち上がり、「お母さんが不自由でしたら、代理人がお手伝いします」と云いましたが、聞き入れません。「人に頼まれた候補者に、間違いなく投票しなければならないから、私がついていないとダメなの」と云い張ります。管理者と立会人は、選挙人の自由意志による投票を、保証しなければなりません。丁重に説得しょうとする管理人に対して、嫁(娘)さんは激昂してしまいました。車椅子の母(姑)さんはただただ、オロオロするばかり。そして、嫁(娘)さんは「もういいわ」と捨て台詞を残して、投票所をあとにしました。が、しばらくたって、戻ってきました。母(姑)さんの手には、候補者名を大書した白い紙がしっかりと、握られていました。
また、こんな慌てん坊の市民もいました。投票台に向かって用紙に記入する段になって、「あれ~ッ」と大声をあげました。意中の候補者が名簿に乗っていない、というのです。選挙区を間違えたのでした。市町村合併による特例措置-旧町選挙区の残存-のいたずらでした。11時間半の間の出来事らしい出来事は、この2件だけでした。
深刻な原発事故の渦中での統一地方選挙ですが、必ずしも原発の是非が選挙争点にはなっていません。群馬県でも、野菜の放射能汚染による出荷停止があったにもかかわらず、例えば高崎市長選挙では、候補者4人のうち一人を除き、防災対策の強化を訴えるものの、脱原発・自然エネルギーへの転換を訴えるものはいません。市議選では、10人の候補者中二人だけが、脱原発を公約しています。しかし、これが争点になっているわけではありません。他の候補は、原発について全く触れないのですから。
では、原発のある市町村では、どうなのか。「原発、争点にならず 刈羽村議選告示 地縁・血縁が優先」「泊原発が立地して約22年。現実を受け入れる住民が大半を占める中、原発の是非を問う選挙戦の論争にはなりそうもない」(asahi.com4/20)。「不安だが職も-柏崎」「「共存」継続を訴え-敦賀」(毎日JP4/18)。「敦賀原発や高速増殖炉「もんじゅ」を抱える福井県敦賀市の市長選でも、原発の安全確保や防災対策が争点」(jijicom4/17)。勿論、共産党や社民党などの候補者は、脱原発・自然エネルギーへの転換を訴えているのですが、大勢は、引用した新聞記事にある状況です。福島第一原発の周辺市町村が、大地震と巨大津波による災厄に加え、原発事故と放射能汚染によって、ゴーストタウンとなる可能性が出てきている状況下での選挙です。職も住まいも暮らしも奪われ、大気と土壌と海が汚染され、村と町と市そのものがなくなってしまおうとしている渦中での選挙にもかかわらず、その原因である原発の是非が争点とならない国が、私たちの日本なのです。大震災のなかにあって、日本人の秩序正しさや我慢強さ、共に支えあう精神などが、諸外国の人びとに強烈な印象を与えたと報じられました。そしておそらく、世界の多くの人びとは、直接被害を受けている福島の人たち以外の日本人が、原発事故に対してさほど激怒せず、加害者の東電や政府に寛容で、これを契機に反原発・自然エネルギーへと向かわず、なお原発を容認し続けようとしていることに対して、奇異の念を抱くのではないでしょうか。
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