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テレビ・カメラは、無人となった町のなかを、牛たちの群れが走り去る様子を、とらえました。「放牧」された牛たちとアナウンスされましたが、正しくは、「遺棄」された牛たちというべきでしょう。原発避難地区の光景です。勿論牛たちは、高濃度放射線に曝され、人間同様に、急性あるいは晩発性の障害を負うことでしょう。牛舎に繋がれたまま餓死していく乳牛たちの姿も涙をさそいますが、餌と水を求めてさまよい続ける牛たちも、哀れでならない。犬や猫も、虫や鳥や魚たちも、生きとし生ける物すべてが、放射線に曝され、その生命(いのち)が脅かされています。
原子力問題でいちばんの悪者はいったいだれなのでしょう。
原子力を発見した科学者でしょうか。
原子力発電を考案した人でしょうか。
それを使おうとした電力会社でしょうか。
それを許可した国でしょうか。
そのおそろしさに気づかなかった国民でしょうか。
そのように考えてきて、私はふと、私がいちばん悪かったのではないかと気がつき、りつ然としました。
私は放射線が人体にどのような影響をおよぼすかをよく知っていました。
放射能廃棄物の捨て場が問題になっていることも知っていました。
けれども、原子力発電の恐ろしさについては私はあまりにも無知でした。
― 柳澤桂子著『いのちと放射能』(ちくま文庫・初版は1988/11刊)より ―