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2011年5月20日 (金)

市民科学者・故高木仁三郎さんの遺言

 テレビ・カメラは、無人となった町のなかを、牛たちの群れが走り去る様子を、とらえました。「放牧」された牛たちとアナウンスされましたが、正しくは、「遺棄」された牛たちというべきでしょう。原発避難地区の光景です。勿論牛たちは、高濃度放射線に曝され、人間同様に、急性あるいは晩発性の障害を負うことでしょう。牛舎に繋がれたまま餓死していく乳牛たちの姿も涙をさそいますが、餌と水を求めてさまよい続ける牛たちも、哀れでならない。犬や猫も、虫や鳥や魚たちも、生きとし生ける物すべてが、放射線に曝され、その生命(いのち)が脅かされています。

 原子力資料情報室代表だった故・高木仁三郎の遺作『鳥たちの舞うとき』(工作舎 2000年刊)は、ダム建設によって棲処(すみか)を奪われようとした森の鳥たちの、工事阻止のための闘争が、モチーフになっています。鳥たちの権利、即ち、自然の権利を、人の権利同様に認めようとのメッセージを、読み取ることが出来ます。長年にわたって、脱原子力社会実現のために闘いつづけた市民科学者・高木仁三郎が、私たちに残した最後のメッセージです。壊されるのは勿論、鳥たちだけではなく、人も同じような運命にさらされるのです。ダムは、人と鳥と獣たちの棲処を、奪います。そして原発は、棲処とともに生命をも奪い取ってしまうことを、示唆します。
 G県天楽谷のダム工事現場で、大型トレーラーやクレーン車の転落事故が、あいつぎました。ついに、6人の作業員が死亡するという事件に、エスカレートします。ダム建設推進派と反対派との対立、推進派内での工事利権をめぐる対立と政争を背景に、人とカラスとの戦争が繰り広げられていたのです。そして、天楽地区の長(おさ)が、逮捕・起訴されます。反対派に対する弾圧です。反原発運動にかかわる草野浩平は、肺ガンにおかされ半年の余命だと宣告されていますが、裁判の支援を頼まれ、天楽谷にやってきました。物語は、このようにすすみます。
 この小説で唯一、原発について語られるのは、草野浩平が原告側証人として、宮城県の漁村にあるO原発の認可取り消し裁判で、総論部分を証言する場面だけです。論旨は、次のとおりです。
1.ひとつの原発の建設は、その他の選択肢をすべて圧殺してします。
 (1)漁民の漁業権や、他の手段によって生活する可能性をつぶしてしまう。
 (2)巨大資本によって地域経済が支配される。
 (3)電力産業が基幹となり、全エネルギーが電力に支配される、巨大権力集中型のエネルギー社会システムを生み出す。 
2.人間と自然の関係も一方的になり、人間がなんの権利もないのに、動物や植物に対して絶大な危害をおよぼしていく。
 (1)人間の設けた「許容量」は、「海に棲む魚たちや森に棲む鳥たちの了解をとったものではない」。
 (2)原発のような巨大システムは、「人権だけでなく他の生物の生きる権利を圧殺する度合いが極限的である」。
 最後に、次のように論じて、証言を終えました。
 「人間と他の生物が共生すべき21世紀にむかっては、そういう人間の側の一方的な押しつけになる技術を減らしていくのが、われわれのなすべきことではないか、人間は自分の開発した巨大技術で自然界を支配する権利など、宇宙と自然界全体の名においてないのではないか」。
 小説『鳥たちの舞うとき』の全編にわたり、通奏低音のように奏でられているのが、この「人間と他の生物との共生」という思想です。テーマや舞台が、原発であれダムであれ、そのことが変わることはありません。
 しかし、小説『鳥たちの舞うとき』を紹介するのに相応しいのは、裁判の場面ではなく、例えば、次のようなシーンだと思います。
 
 六階の浩平の部屋に入るや、ガラス戸をコンコンと叩く音がした。
 「あらっ、きたわ」
 摩耶はすぐに障子を開け、ロックをはずしてガラス戸を少しだけ開けた。
 パサバサッと羽音高く黒い影が舞い降りてきた。
 「アオです」
と摩耶は紹介した。
 たしかに立派なトンビだった。・・・翼をひろげればゆうに1メートルのワシほどにも見えた。毛並みも鮮やかな鳶(とび)色をしていて、嘴が青く光っていた。その青色は、・・・深海の奥から取り出してきたような独特の深みをたたえ、それでいて部屋の明かりに鮮やかに光っていた。
 アオはバルコニーから入り込むと、部屋の片隅に二本足で立った。
 「アオからも草野さんにぜひこの事件のことで弁護をお願いしたいというのです。ぜひ、そのご挨拶をということです」
 浩平は少しあっけにとられて、しげしげとアオを見つめた。・・・・・

 この後、浩平とアオが摩耶を仲介にして、会話を交わす場面が続きます。深い森のなかで、人と鳥の共生する様子が、ファンタスティックに描かれます。そして、物語のクライマックスには、感動的なシーンが描かれます。
 野外ステージでは、G県フィルハーモニー管弦楽団によって、モーツァルトの「ジュピター」が演奏されています。

 すると第一主題にのって、アオたちトンビの仲間が、文字どおりトンビの舞をきれいな輪を描いて舞った。あらかじめ焼沼上空にこの時間に上昇気流が発生することを、計算していたのだろうか。鳥たちはゆっくりと上昇気流に乗って、焼沼一帯に最初に小さな輪を、しだいに大きな輪を描いて舞った。
 第二主題に入ると、今度はカラスたちが出てきて、トンビを真似るように舞った。
 あとは大きな鳥、小さな鳥たちの音楽に合わせたオンパレードだった。いや、音楽に合わせてというより、鳥たちが自由に舞い飛び、音楽がそれをバックグラウンドとしてうまくフォローしているようだった。鳥たちのあるものは高く上空を舞い、あるものは低く人々の周りにきてさえずった。 ・・・・・・・・・・
 舞の輪はアオを先頭にしだいに大きくなり、それにつれて鳥の数も増えていつた。何十万という鳥が空一面を埋め尽くすようになり、曲が終りに近づくにつれて、天楽平を離れ、天楽の森に降り立つように舞っていった。曲が終わったちょうどそのとき、鳥たちは天楽の森の彼方に消えていた。

 高木仁三郎さんは、最初にして最後の小説『鳥たちの舞うとき』を短期間に口述した後、2000年10月8日、永眠されました。この書の「あとがき」に、高木(中田)久仁子さんが、つぎのようなメッセージを寄せています。

 仁さんはいつも「〈しかたない〉や〈あきらめ〉からは何もうまれてこない、あきらめずにやってみなきゃ。人々の心のなかに希望の種をまき、いっしょに助け合いながら育てていこう」というのが口癖でした。原子力時代の終焉を見とどけられなかったのは心残りだったでしょうが、これからの社会をどのようにしたいのかは、これから生きていく人ひとりひとりが考えて実現していくことでしょう。

 阪神淡路大震災のあと、高木仁三郎さんが日本物理学会誌に寄稿された論文が、ネットで読むことが出来ます。「核施設と非常事態-地震対策の検証を中心に-」。そこには、地震や津波による原発事故の危険性が指摘されています。脱原発派の人々の冷静ながらも真摯に警告する様子が、目に浮かぶようです。『鳥たちの舞うとき』とともに読まれることを、お奨めします。

 窓外の水田では、アオサギが悠然と歩きながら、餌を啄ばんでいます。さっき今年初めて、ホトトギスの鳴き声を、聞きました。農家は、田畑を耕し、種を播き、間もなく水田に水を入れようと多忙な日々を送っています。しかし、高い放射能が漂う福島の農村では、人々の姿が、消えてしまいました、

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