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2011年5月 9日 (月)

今年のバンブーウィーク

Img_9877_1_2 今日の午後、家内と二人で、いつも竹刈りに行く竹林にタケノコ掘りに行きました。4月末、東北の被災地にいったとき宿を提供してくれた友人たちへ、タケノコの瓶詰めを送るために、少し多目に掘りだしてきました。昨日夜のニュースは、福島県のタケノコは、放射能汚染のため、出荷制限となったと伝えました。勿論、福島の友人にも、この瓶詰めを送る予定です。

Img_9841_1 今年は、春先来の極端な少雨のため、タケノコの出が大変遅く(悪く)、ここへきてやっと最盛期を迎えたような感じです。例年だと連休をあけると、地元の農家はタケノコ掘りを止すため、タケノコは伸び放題になるところですが、昼間入った竹林には、伸びきったタケノコはなく、食用に手頃な大きさのものが、あちこちに顔をのぞかせていました。町の野菜即売所での値段も、中程度のもので700円前後と、まだ値崩れしていません。P1140697_1_2
 竹林整備を始めた昨年から、5月の連休は、バンブーウィークとして過ごしています。メーデーの日には、竹炭の会のメンバーとその知人たちが50人近く集まり、「タケノコ掘ってタケノコ料理を食べる会」を催しました。福島県から高崎市に避難してきた人びとを招待したところ、親子三人が参加しました。細っそりとした4才の男の子を連れた母親は、放射能から逃れるために、須賀川市から当地に避難してきた、といいました。私は思わず、この母親の苦渋の決断(避難同様に、現地に留まることも、苦渋の決断であるはず)に対して、えらいなあ、と心のなかでつぶやきました。同時に、若い母親に苦渋の決断を迫った原発と原発推進派の人びとに対して、心の底から嫌悪と憎悪を感じました。
P1140706_1 私のバンブーウィークの楽しみは、タケノコ掘りと竹林整備のふたつです。竹刈りは、一年中やっているのですが、多忙なのはなんといっても、冬場。だから、5月連休は、竹林整備の仕上げの時期となるのです。今年は、私たちの活動拠点(蛍が生息し竹炭窯がある)入口の、市道に面した荒廃した真竹林(幅5メートル×長さ60メートル)を整備することにしました。この竹林は視認性高く、区内外の人びとへのデモ効果も、期待できます。幸い、MさんとⅠさんが、賛同して参加してくれました。Mさんは、地元では最も仕事熱心な仲間のひとり、またⅠさんについては、この冬からの新参者ながら、疲れを知らない働きぶりに感心し、その純真なボランティア精神に、強く魅せられます。5月3日4日の両日、私も含めた3人で仕事にかかりました。P1140733_1_2右上の写真が、作業前の真竹林。超過密状態の上に、昨年春の降雪で折れた竹が、複雑に絡み合っています。おそらく、数十年単位で、放置されてきた竹林だと思います。2日目の終わり際、焼却中の竹片が私の左首筋に飛んできて、軽度の火傷を負いました。このため、翌日から2日間の休みを余儀なくされました。しかし、5月7日再開。この日は、古くからの友人5人が、東京・埼玉・千葉から、応援に駆けつけてくれました。友人たちは、Ⅰさんの指導の下、初めての竹林伐採の仕事を、汗びっしょりになってやり通しました。左上の写真が、作業後の真竹林。目的の一部を残し、ほぼ整備し終えました。昼食におにぎりを頬張った後は、みんなでタケノコ掘りを楽しみました。Img_9810_1_1 そして夜、古くからの友人たちと心置きなく、よく冷えたビールを飲み、タケノコ料理に舌鼓を打ち、久々に、愉快な気分になりました。宴席のメニューは、次ぎのとおり。《タケノコの木の芽味噌和え、タラノメとコゴミの酒糟和え、ゼンマイの煮物、タケノコの煮物、季節の天ぷら(ウド・タラノメ・タケノコ)、生ソーセージと新じゃがのソテー、タケノコご飯、タケノコの澄まし汁》
 季節を五感いっぱいに、友人たちとともに味わい合った、幸福な一日でした。
  

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