« 2011年5月 | トップページ | 2011年7月 »
西隣りのY家の奥さん(87歳)が、一昨日の夜、入院先の病院で亡くなられました。ほんのひと月ほど前に、庭で草むしりをされている様子を見かけたり、5月連休明けのころ、家内が自家製のキャラブキを持っていった際には、何よりのご馳走だね、と喜ばれたのですが。この半年の間、食が極端に細り、入退院を繰り返していたとのこと。医者の診断は、「老衰のため」。
日本人の間に、原水爆禁止の声がひろがり、広範な国民運動として定着したのは、1954年3月1日の第五福竜丸事件がきっかけでした。この日、太平洋マーシャル諸島のビキニ環礁沖で、マグロ漁をしていた第五福竜丸が、アメリカの水爆実験による「死の灰」を被り、23人の乗組員が、放射能に被曝しました。また、マグロや雨水から高濃度の放射能が検出され、魚・野菜・飲み水の汚染も問題となって、日本国内は、放射能パニックのような状態となりました。
昨年10月に広島の平和記念資料館を訪れたというドイツの社会学者、ウルリッヒ・ベック氏は、福島原発事故によせて次のように問いかけています。「私にとって今も答えが出ないのは、核兵器のまったき非人間性を倦むことなく告発し続けてきた日本が、なぜ同時に原子力の開発をためらうことなく決断し得たのか、という問いである」(ベック稿『福島、あるいは世界リスク社会における日本の未来』「世界」7月号)。