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2011年6月21日 (火)

隣組の訃報、二つ

 西隣りのY家の奥さん(87歳)が、一昨日の夜、入院先の病院で亡くなられました。ほんのひと月ほど前に、庭で草むしりをされている様子を見かけたり、5月連休明けのころ、家内が自家製のキャラブキを持っていった際には、何よりのご馳走だね、と喜ばれたのですが。この半年の間、食が極端に細り、入退院を繰り返していたとのこと。医者の診断は、「老衰のため」。

 昨日の午前中、隣組のものが揃って、お悔やみと通夜・葬儀打ち合わせのため、当家を訪ねました。しばらくしてご遺体が、葬儀を司る地元JAの担当者によって、病院から運ばれてきて、奥座敷に寝かせられました。それを待っていたかのように、Yさんは、亡くなった奥さんの枕元にすすみいき、血の気の引いた奥さんの顔をみるなり、あたり憚ることなく、大声をあげて号泣されました。前日の深夜に亡くなり、夫のYさんに息子さんから知らされたのは、朝だったとのこと。この時はじめて、奥さんの遺体に対面されたのです。Yさんは、91歳になった現在も、軽トラックを運転して、即売所に野菜を出荷している、いつも背筋をピンと伸ばし、姿勢のいい老人です。ただ、普段から心臓の具合がよくなく、昨日もその後、心身の疲れからぐったりとなり、娘さんの介護をうけながら、そのまま寝床につかれました。
 午後、家内と茶を飲んでいた時、救急車のサイレンの音がして、徐々に、近づいてきました。瞬時、ちょっと嫌な予感がして、救急車が通り過ぎることを、心に念じたのですが、救急車は私たちの集落にとまりました。が、西隣りの喪家ではなさそうです。どうも、南隣りの家にいくようです。家内と一緒に、様子を見に救急車の近くに行ってみました。近所の人たちも、不安げな顔で、きていました。病人またはけが人は、旧住宅をつかった作業小屋のなかにいるようです。東隣りの農婦が、小屋のほうに入っていこうとすると、救急隊員に拒まれました。いつもは同居していない娘さんの動顚している様子が、ちらっと垣間見えました。救急隊員は、救助することもなく、やや手持ち無沙汰に、何かを待っているようでした。不吉な予感が、再び、頭をもたげました。
 夕方、隣組の組長さんが、この日二度目の「告げ」(死者が出た場合の連絡)を伝えました。南隣りのE家の主人(83歳)が、作業小屋で亡くなっていた、ということでした。詳しい事情は分かりませんが、警察の事情聴取が必要な亡くなり方のようでした。Eさんは、数年前、長年連れ添った奥さんを亡くされ、その後、急に老け込んでいました。息子さんからは、親父は死にたい死にたいといっている、という話を、少し前に家内が聞いていました。
 高崎市近郊の山里での、昨日一日の出来事です。

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