にぎやかに、真竹の子供たち
頭の先っちょに、羽飾りのような葉が付いていて、どこかユーモラスな風情です。5月の連休前後に、孟宗竹のタケノコを十二分にご馳走になった多くの人びとは、最早、真竹のタケノコには見向きもしません。しかし、竹林に入りびたり食い意地の張った私たちは、ここに来るたびに、7,8本のタケノコを切っては持ち帰り、食べつづけています。
. 一瞬、どこかで見たことのある景色だ、と思いました。バルセロナのサグラダ・ファミリア。確か、大聖堂にたつ尖塔が、こんな感じでした。真竹のタケノコは、孟宗竹ほどにえぐみはなく、味もさっぱりしています。今年はタケノコを、4月中旬から食べはじめ、6月末になっても依然、食べつづけています。
. この林立する竹の子たちを放置すると、整備前の状態に逆戻りです。竹林、とりわけ真竹林は、皆伐あるいは間伐して、人の手が入れば入るほど元気づいて、人間を圧倒します。だから、竹林整備をする時は、生半可な気持ちは許されず、長い付き合いの覚悟が、必要なようです。
. 竹の皮が剥がれ、真竹の瑞々しい緑色の肌が、姿を見せました。この竹の皮を包装材として使っていたのは、何時のころだったのか。スーパーでなく、精肉屋さんで買った肉は確か、竹の皮に包まれていました。そして、使い終わった後はよく洗って、遠足の時のおにぎり入れとなりました。
. 竹の皮は、下から上へ順に、剥がれていきます。竹の子から、ちょっと大人になった竹はいまだ、瑞々しく、深い緑色が美しい。2年生になると、緑は濃くなる一方で、白い粉を吹いたような感じになります。3年たち4年たつうちに、その程度は一層強くなり、やがて立ち枯れし、薄い褐色となっていきます。
. 竹林に指す光線が、竹の葉の陰を映しました。汗ばんできた肌に、やぶ蚊の群れが、猛攻撃をかけようとしているとき、こんな姿を発見し、惚れ惚れとみとれてしまいました。竹林は、雑木林と比べて植生が単純で、やや面白みに欠ける嫌いがありますが、どうしてどうして、長く付き合っていると、なかなかバラエティーに富んだ顔を見せてくれます。
. 真竹の竹の子は、地上に頭を出して1週間もすると、1メートル以上に成長し、さらに1週間経つと、3~4メートルにもなります。そして、2、3か月で、15メートルほどに伸長します。秋になってすっかり皮を剥いでしまうと、大人の仲間入りです。ただ、1年生の多くは、裾に竹の皮を残したまま、年を越します。写真の竹の子は、私の背丈の倍以上ありました。
先週の土曜日、「脱原発を実現し、自然エネルギー中心の社会を求める全国署名」に、ネット署名しました。呼びかけ人は、内橋克人、大江健三郎、落合恵子、鎌田慧、坂本龍一、澤地久枝、瀬戸内寂聴、辻井喬、鶴見俊輔の皆さんです。「里山のフクロウ」を読んでいただいている皆さんの署名を、呼びかけます。
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