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2011年8月27日 (土)

福島を直視したジャーナリストの眼-その2-

 大震災直後、福島第一原発の事故現場近くに駆けつけた6人のジャーナリストの、もうひとつの取材報告が、広河隆一著『福島 原発と人びと』(岩波新書 11/8/19刊)です。こちらは更に詳細かつ広範に、地元住民、原発作業員、避難者および子供たちの生の声を、記しています。また、政府と東電の情報隠蔽と不作為による住民の被曝拡大について、厳しく批判します。

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2011年8月26日 (金)

福島を直視したジャーナリストの眼-その1-

 東日本大震災の翌日、6人の男たちが、東京を発って福島第一原発に向かいました。豊田直巳・綿井健陽・広河隆一・森住卓・野田雅也・山本宗輔。いずれも、チェルノブイリ、パレスチナ、イラクなど、世界の戦場や難民キャンプ、あるいは被災地などから、貴重な写真や映像を送りつづけてきた、日本が世界に誇るフリーランスのフォトジャーナリストとビデオジャーナリストたちです。各メディアが、記者の安全のため40キロ圏、50キロ圏に近づかないように指示を出していたとき、彼らは、可能な限り原発事故の現場近くに入り、現地の生の声と姿をとらえ、克明な報告をしました。

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2011年8月18日 (木)

岩手県または達増拓也知事からのメッセージ

 東日本大震災の被災地・岩手県からのメッセージに、耳を傾けたい。3.11以降一貫して、〈東日本大震災・原発災害〉を特集している月間誌『世界』(岩波書店)の今月号(9月号)に、岩手県の達増拓也知事のインタビュー『答えは現場にある-岩手のめざす人間と故郷の復興』が、掲載されました。岩手県の復旧・復興の基本理念と政策方向を、知事みずから語ったものです。

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2011年8月13日 (土)

井上光晴の手毬歌

 四月長崎花の町
 八月長崎灰の町
 十月カラスが死にまする
 正月障子が破れはて
 三月淋しい母の墓

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2011年8月 8日 (月)

原民喜『夏の花』と大田洋子『屍の街』

 広島原爆の日の一昨日、終日、原民喜の『夏の花』と大田洋子の『屍の街』を読みました。『夏の花』は20数年ぶりの再読ですが、大田洋子の作品は、『屍の街』を含め今回、初めて読みました。これらは、「原爆文学」の出発点となり、しかも、その最も代表的な作品とされてきました。3..11フクシマ原発事故は、日本社会がばじめて、みずから加害者となって被曝者を生み出し続けている、と云う意味で、ヒロシマ・ナガサキ・ビキニとは異質な体験ですが、被害者が、日本社会を構成する人びとであるという意味では、過去の被爆体験と重なり合います。ヒロシマ・ナガサキ・ビキニの被爆者たちの発する現代へのメッセージに、耳を傾けたい。

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2011年8月 2日 (火)

井伏鱒二著『黒い雨』からのメッセージ

 このブログへのコメントで教えられた元原発技術者・故平井憲夫氏の講演『原発がどんなものか知って欲しい』(1996/10/21)の中で平井氏は、みずからの20年間にわたる原発での現場監督としての経験から、原発内部で起こっている極めて深刻な事態について、報告しています。なかでも、日本の原発が、いい加減な耐震設計にもとづき、未熟練の建設労働者や下請労働者によって建造・運営され、さらに素人の検査官(例えば元米穀検査官)によって定期点検がなされているという事実に、愕然とさせられました。原発は最先端技術の集積、だと勝手に思い込んでいたのです。そして既に15年前に、福島原発事故の発生を警告していたことを知り、みずからの無知を恥じます。さらに平井氏が講演の終わりのほうで語った、原発が差別を生み出している、という具体例は、原発の非人間性の一面を鋭く、照らし出しています。

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