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2011年8月27日 (土)

福島を直視したジャーナリストの眼-その2-

 大震災直後、福島第一原発の事故現場近くに駆けつけた6人のジャーナリストの、もうひとつの取材報告が、広河隆一著『福島 原発と人びと』(岩波新書 11/8/19刊)です。こちらは更に詳細かつ広範に、地元住民、原発作業員、避難者および子供たちの生の声を、記しています。また、政府と東電の情報隠蔽と不作為による住民の被曝拡大について、厳しく批判します。

   3月13日、6人のジャーナリストたちは、国道288号を第一原発の方向に向かいました。20キロ圏外避難指示のあった警戒区域入口地点には検問所はなく、自由に入ることが出来ました。放射線測定器の値は、ゆっくり上昇します。そして、原発から約3キロの地点の双葉町役場で、毎時1000マイクロシーベルト計測できる測定器が、振り切れてしまいます。一般人の年間許容量を、たった1時間で超えてしまった。チェルノブイリ周辺に50回にわたって取材に行っている広河氏ですら、「これまで経験したことのない高濃度の放射能で覆われていた」のです。そのページの写真には、検針が毎時1000マイクロシーベルトに張り付いた測定器の横で、野球帽を被った男性が、腕組みをして話をしています。「念のための避難」「ただちに健康に影響がない」という政府のアナウンスを真に受けて、町民は深刻な事態と受け止めず、用足しに自宅に戻る人もいました。つまり、「情報が与えられないまま、人びとは確実に猛烈な被曝を強いられていた」と広河氏は指摘します。広河氏らは取材を中止して、被曝の危険を人びとと行政に伝えました。
 原発作業員のTさんは避難所で、全電源喪失・冷却不能のニュースを知って、「チェルノブイリ原発近くの街みたいに廃墟になるのではないか」と思いました。復旧作業への復帰命令が来たとき、「明日死んでしまうんだな。でも悔やんではいないな、昔の特攻隊員ってこんな気持ちだつたんじゃないかなあ」と考えたと証言しています。そして現場で被曝、20分くらいの作業で1.6ミリシーベルト浴びました。一般人の一年で浴びる制限値の1.6倍を20分で浴びたことになります。見開き2ページに、「福島第一原発の緊急対策室 2011年4月1日.東電撮影」と記された写真があります。50人ほどの男が、右前方を注視して、誰かの指示か説明を聴いています。帽子とマスクは、着けたり着けなかったり。何人かは、パソコンを睨んでいます。50歳以上と思われる人は少なく、ほとんどが30、40歳代の働き盛りの男たちのようです。彼らがどういう立場でどんな仕事(作業)をする人たちかは、分かりません。部屋には疲労感が漂っている感じがします。
 子供たちの間で交わされている、悲壮感ある会話が記録されています。「友達の娘さんは高校生なんですけど、チェルノブイリの話や放射能の危険について聞かせて、一応本人に「疎開する?」って聞いたら「友達から離れるのは嫌だし、友達置いて自分だけ逃げるのも嫌だ」って。そして最後に「私は将来結婚するとしても、子どもは産みません。そういう覚悟でここに残る」って言ったんですって」。福島では、こうした悲しい会話が、交わされています。
 避難した人びとのなかには、長崎大学の山下俊一教授の講演を聞いて、子どもたちをいわき市の自宅へ連れ帰った人がいます。「マスクなんかしなくて空気いっぱい吸って、気持ちを明るくもてばそのほうがいいですから」と教授は言ったといいます。5月6日文科省公表の地表汚染マップによれば、この親子が戻っていったいわき市の北部では、60万~100万ベクレル/㎡を記録しています。チェルノブイリ事故の強制移住対象55.5万ベクレル/㎡を越えています。
 広河隆一氏は、1989年から50回にわたってチェルノブイリを訪れ、フォトジャーナリストとしての取材活動とともに、「チェルノブイリ子ども基金」をつくり、子どもたちの救援活動をおこなってきました。甲状腺がんになった子どもの母親たちは、なせ妊娠中なのに原発の火災を眺めてしまったのだろう、避難時に哺乳瓶の吸い口をきれいに拭かなかったのか、等々と自分を責めていた、と広河氏は述べています。「それでも旧ソ連の政府のほうが、日本よりも妊婦や子どもの健康に気をつかっていた」。原発周辺住民は事故翌日、30キロ圏住民は事故から1週間後、まず妊婦と子どものいる家族が避難しました。広河氏は厳しく指摘します。「日本の福島原発事故で、政府はこうした妊婦や子どもへの配慮を全くしなかった」。
 最後に、広河隆一氏のメッセージ「放射能から身を守るということ」を、やや長文ですが引用します。
 「放射能から身を守るということは、何を意味するのだろうか。それは、放射線医学の権威者たちから身を守ること、原子力産業の発展を目指すIAEAから身を守ること、原子力推進政策をとる政治家たちから身を守ること。推進ではないけれども結果的に妥協を繰り返そうとする政治家やメディアから身を守ること、放射能は安全だという学者たちから自分を守ること、そうした人びとや機関によって封じられた「事実とデータへのアクセスの権利」を得る手段を何とかして手に入れること。そして、それを妨害しょうとして「風評、デマに惑わされるな、安全だ、ただちに健康に影響はない」などの言葉を用いる人間たちから身を守ることである」。

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コメント

DAYS JAPAN 9月号に掲載されていた「福島原発にはじめてジャーナリストが入った!」で原発後の実態の一端を知りました。


9月21日に文京シビックホールで広河氏をはじめとしたトーク&ライブが開催されます。
http://daysjapanblog.seesaa.net/article/224617147.html

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