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2011年8月 2日 (火)

井伏鱒二著『黒い雨』からのメッセージ

 このブログへのコメントで教えられた元原発技術者・故平井憲夫氏の講演『原発がどんなものか知って欲しい』(1996/10/21)の中で平井氏は、みずからの20年間にわたる原発での現場監督としての経験から、原発内部で起こっている極めて深刻な事態について、報告しています。なかでも、日本の原発が、いい加減な耐震設計にもとづき、未熟練の建設労働者や下請労働者によって建造・運営され、さらに素人の検査官(例えば元米穀検査官)によって定期点検がなされているという事実に、愕然とさせられました。原発は最先端技術の集積、だと勝手に思い込んでいたのです。そして既に15年前に、福島原発事故の発生を警告していたことを知り、みずからの無知を恥じます。さらに平井氏が講演の終わりのほうで語った、原発が差別を生み出している、という具体例は、原発の非人間性の一面を鋭く、照らし出しています。

 それは平井氏が、23歳の女性から来た手紙として、紹介した箇所です。「東京で就職して恋愛し、結婚が決まって、結納も交わしました。ところが突然相手から婚約を解消されてしまったのです。相手の人は、君には何にも悪い所はない、自分も一緒になりたいと思っている。でも、親たちから、あなたが福井県の敦賀で十数年間育っている。原発の周辺では白血病の子どもが生まれる確率が高いという。白血病の孫の顔はふびんで見たくない。だから結婚するのはやめてくれ、といわれたからと。私が何か悪いことをしましたか」。平井氏は、これは原発現地ではなく東京で起きた話であり、「原発は事故だけではなしに、人の心まで壊している」と語りました。
 平井氏の講演録を読みながら、原爆被爆者に対する結婚差別を描いた井伏鱒二の小説『黒い雨』(新潮社 66年刊)のことを思い出しました。早速、本棚から同書(初版本)をとり出し、ほぼ半世紀ぶりに再読しました。読後、「被爆者に対する結婚差別を描いた」小説という私の持っていた小説『黒い雨』の印象は少し、変更を迫られました。被爆者の結婚差別は、この小説の底流に流れる重要なテーマではありますが、再読した小説『黒い雨』に圧倒的だったのは、被爆直後の阿鼻叫喚の巷と化した広島の街の描写でした。原爆被爆を描いた記録文学としての価値こそが、この小説の真骨頂といえるのではないか、と思いました。今村昌平監督の映画『黒い雨』(89年)で熱演した田中好子(主人公・矢須子役)の印象が強烈だっただけに、矢須子の被爆と結婚の破談が、小説『黒い雨』のメインテーマとして印象付けられていたのだと思います。
 この被爆した広島の街を、著者は、矢須子の日記に次のように書きます。
 「・・・。工場の事務所で、おじさんは落涙数行。広島は焼けこげの街、灰の街、死の街、滅亡の街。累々たる死骸は、無言の非戦論。・・・。」
 あの悲惨きわまる広島の原爆被爆を、この2行に表現しきったのは、著者の井伏鱒二だと思いますが、広島の街の詳細な記録は、恐らく被爆体験者にしか書けない凄まじいまでの臨場感を持って迫ります。井伏鱒二が、被爆者・重松静馬の『重松日記』と被爆軍医・岩竹博の『岩竹手記』の提供を受けて『黒い雨』を書いたことを知れば、『黒い雨』における被爆表現のリアリティを、納得することが出来ます。小説のなかで、岩竹博については実名で引用しているのに対して、重松静馬については、「閑間重松」と改名して登場させているところから、『岩竹手記』はそのまま引用し、『重松日記』については、井伏がいくらが手を加えて使用したのではないか、と推定します。小説『黒い雨』の大部分が『重松日記』から成っていることから、この小説は、井伏鱒二・重松静馬共著といってもいいのかもしれません。それはともかく、著者の記録した被爆した広島の街は、無惨そのものです。
 「三歳くらいの女の児が、死体のワンピースの胸を開いて乳房をいじっている。」
 「この橋は、まんなかあたりが一メートルばかり凸起して、その波頭のように高まったところに、金髪の白人男性が俯伏せて、両手で頭を抱えて死んでいた。」
 「・・・草原に立つ橋脚台のそばに、背中から頭にかけて火傷している馬が、今にも倒れるのではないかと思われる恰好で、がたがた震えながら立っていた。その馬のすぐそばに、上半身を半焼けにした肢体が俯伏せになっていた。下半身は完全に残って、軍袴に拍車のついた長靴を履いている。」
 「橋のたもとのところに、人が仰向けに倒れて大手をひろげていた。顔が黒く変色しているにもかかわらず、時おり頬を膨らませて大きく息をしているように見える。目蓋も動かしているようだ。僕は自分の目を疑った。荷物を欄干に載せかけて、怖る怖るその屍に近づいて見ると、口や鼻から蛆虫がぽろぽろ転がり落ちている。眼球にもどっさりたかっている。蛆が動きまわるので、目蓋が動いているように見えるのだ」。爆心地である相生橋とその近くで、重松はこのような情景を眼にし、克明に記録しています。
 また、植物の生育異常について、つぎのように観察し感想を記しています。
 「石崖や置石の間を見ると、カタバミや烏の豌豆などの新芽が無闇に伸びて、支えきれなくなってだらりと垂れていた。植物も空襲の衝撃で細胞組織が変化するのだろうか。
 僕は農事指導の巡回講師の云っていたことを思い出した。水稲栽培で深水にして育てると、水面に接したところの茎の細胞が徒長的に肥大して、茎の構成に弱体化を招いて倒伏の原因をつくる。これは学説で認められていると云うが、光線とか音響とか熱の衝撃などで植物が徒長することは知らなかった。今度の爆弾は植物や蝿などの成育を助長させ、人間の生命力には抑止の力を加えている。蝿や植物は猖獗を極めている。」
 被爆時の重松は勿論、落とされた爆弾が原子爆弾だったということを知らないし、放射能ということについても、知りません。広島の街なかで、無数ともいえる人間の死体を見てきた彼は、ふと見下ろした道端に、植物の異変を発見し記録しました。
 著者の記録精神は、8月6日前後の地方都市や農村の生活についても、十分に発揮されています。
 重松の被爆した横川駅構内に散乱した弁当の記録。「改札口からプラットフォームにかけて、いろんなものが散らばって・・・殊に弁当は一ばん数が多かった。それも不思議に中身の散乱したしたものが目についた。食料不足で食うことに一心だから無理もない。握飯は半麦飯、大豆飯、菜飯、キラズ飯などで、おかずは沢庵である」。恨めしくも散乱した弁当をみていた重松は、次のようにつぶやきます。「あそこに転がっている、あの弁当を敵が見てくれないかなあ。あの握飯を見たら、敵はもう空襲に来なくてもいいと思うだろう。もうこれ以上の無駄ごと、止めにしてくれんかな。僕らの気持、わかってくれんかなあ」。重松の願いが敵に届かなかったのは、歴史の事実のとおりです。
 食生活についてもう一つ。重松夫妻の8月6日の朝の献立が、記録されています。「浅蜊の塩汁と、御飯の代りに脱脂大豆。それだけですが。浅蜊は、三人で六箇しかなかったわ。あの前の日に、わたしと矢須子さんで御幸橋下で掘って来た浅蜊ですがな」。重松夫妻は、これから毎年8月6日の原爆記念日に、この献立どおりに朝飯を食べたらどうか、と話し合っています。
 村の行事やしきたりについても、次のように記録しています。戦後数年たった頃、虫供養のお萩を知人宅に届ける場面です。「虫供養は芒種の次の次の日にする行事である。百姓は野良仕事をするから地の底の虫を踏み殺すので、お萩をつくって今は亡き虫類を供養する。この日は、近所の家から預かっているすべての品物をお返しするしきたりになっている」。こうした何気ない日常生活の記述の挿入が、原爆被爆の不条理さと恐怖感を、一層強烈に感じさせます。
 先に引用した「目蓋の蛆虫」を見た後、重松は叫びます。「戦争はいやだ。勝敗はどちらでもいい。早く済みさえすればいい。いわゆる正義の戦争よりも不正義の平和のほうがいい」。
被爆軍医の岩竹は、手記に次のように書いています。こちらは、耳の中に蛆に住み着かれていたのです。「耳のなかの蛆虫を取除いたためか、耳痛と熱発は取れたが衰弱が日増しに加わった。必ず生きられるという自負、絶対に死なないという自信が次第に影をひそめて来た。けれども、今ここでこの病気で死にたくない。どこか他の場所で納得の行く病気で死にたいと思うようになって来た」。重松が「不正義の平和」を叫び、岩竹が「納得の行く病気で死にたい」と思うと記したのは、井伏鱒二の創作ではなく、日記と手記の筆者その人だったと推定します。このように、原爆被爆を不条理なこととした人びとがいた一方で、それを宿命と考えた人がいました。
 重松が妻や姪とともに広島市内を逃げ惑っている時、知人の巡査部長の佐藤進さんに出会います。佐藤さんは、「日本は本土決戦に備えている」と話しながら次のように云いました。
 「つまり、半世紀以上も前からの、富国強兵策の大方針を推進するというわけですな。しかし、これが富国強兵策の末路と云っちゃあ語弊があるですぞ。僕らは、こうなるように育てられて来たんです。宿命です」。おそらく、重松が記録し井伏が最終文に仕上げた思われるこの文章は、福島原発事故を招来させてしまった私たちに、鋭利なカミソリの刃のように、切りつけてきます。「富国強兵策」を「経済成長策」と読み替え、「原爆被爆」を「原発事故」と読み替え、そして「本土決戦」を「原発再開」と読み替えてみるならば、問題の所在が明らかになります。
 「日本は、原発再開に備えている。つまり、半世紀以上も前からの、経済成長策の大方針を推進するというわけですな。しかし、これが経済成長策の末路と云っちゃあ語弊があるですぞ。僕らは、こうなるように育てられて来たんです。宿命です。」
  

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