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2011年8月13日 (土)

井上光晴の手毬歌

 四月長崎花の町
 八月長崎灰の町
 十月カラスが死にまする
 正月障子が破れはて
 三月淋しい母の墓

 この五行詩は、井上光晴の小説『地の群れ』(1970刊)のなかで、被爆2世の少女が歌った手毬歌です。NHKが早合点して、現実に歌われているものとして、「新日本紀行・長崎」の中で取り上げた、と井上は紹介しています。事実は、原爆投下後、米軍の飛行機からまかれたビラにあった前2行の文言を使い、井上光晴が創作して被爆者に捧げた手毬歌なのです(井上光晴稿『生者も死者も被爆者』より「日本の原爆文学」所収・ホルプ出版83年刊)。花やかだった長崎の町が、被爆後、死と貧困にあえぎ、悲しみを湛えた町になったことを、歌います。1960年代初めの佐世保を舞台にした小説『地の群れ』にはたえず、この悲しい手毬歌が聞こえてくるようです。
 この手毬歌を歌っていた少女の家弓安子は、はじめての生理の出血が止まらず、母親の光子に連れられて、医師・宇南親雄の診察を受けました。医者から原爆病に似た症状だ、と告げられた光子は、うろたえます。夫も自分も、原爆が投下された8月9日には、長崎にいなかった、自分が浦上に戻ってきたのは、2ヶ月たってからだ、と医者に話します。原爆が投下された日から3年後に生まれた少女の原爆症発症に、医者は戸惑います。そして、少女の母親のアリバイを疑います。その日、長崎で被爆した母親の家弓光子は執拗に、夫にも娘にも、そして世間全体に、そのことを隠しつづけてきたのです。そしていま、そのことを医者にも隠し通そうとします。医者が問います。「隠すとか何とか、原爆病といわれることが、どうしてそんなことが気になるんですか。なんといわれようが、体さえ元気になればそれでいいじゃないですか」。光子は答えます。「そんなふうにいわれるけど、原爆には何にも関係なかとに、原爆症なんていわれたら、もう安子の一生がめちゃくちゃになってしまうとですから・・・・・」。医師の宇南は、光子の嘘の原因を、ここに発見します。光子はさらにつづけます。「原爆病なんていわれて、海塔新田みたいに思われたら、嫁にも行けんごとになりますからねえ」。海塔新田は、被爆者たちが寄り集って出来た集落、という設定です。「被爆者の部落」です。宇南は光子に激しく嫌悪し、反論します。「海塔新田が変な部落なら、長崎も広島も、みんな変な部落になるでしょう。僕もそういう意味なら被爆者です。まだ死体がぶすぶす燃えつづけとった時、僕はおやじを探しにまる二日、爆心地を駆けまわったんですからね。海塔新田が変な部落なら、日本じゅうそうじゃないですか」
 被爆者に対する差別が、被爆者の口を閉ざさせ、また、被爆者であることを否定するのです。著者は、親戚や知人のなかにも、みずからの被爆を隠そうとしている人たちを知っており、このことに深いわだかまりを待ち続けていました。こうした被爆者自身による被爆隠蔽の最大の根拠を、社会的差別、とくに結婚差別に見い出しています。アメリカ政府と日本政府が、原爆の被害とは、爆発時の直接被害以外あり得ない、内部被曝も遺伝的影響も、一切あり得ないとしてきたことと、表裏一体の関係にあるといえます。加害者による被爆隠蔽と被爆者による被爆隠蔽。前者が責任逃れのための国家意志とすれば、後者は、社会的差別から逃れようとする弱者の、浅はかだけれど、悲しい意志です。小説『地の群れ』の主題のひとつです。

 井上光晴が別のところに書いた次ぎの文章は、福島原発事故に直面し続けている私たちにとっては、大変示唆に富んでいます。
 「被害者たちの心をはっきりと自分の内部に受けとめること。被害者と真に連帯して生きる道の、それが第一歩である。はっきりいえば原子爆弾はたんに広島と長崎に落ちたのではなく、日本人全体の頭上に、世界人類に落下したのだ。我々は力をつくして、被害者の肉体的、精神的苦悩を徹底的に回復しなければならない。原水爆禁止運動はそこに根拠をおく、原爆を保有する思想を絶対に許さぬ戦いはそこからしか出発できないのだ。」(『被爆者を差別する立場』・・・初出『西日本新聞』65/8/15、「日本の原爆文学」ほるぷ出版所収)
 米軍の原子爆弾投下による被爆をそののまま、東京電力の福島第一原子力発電所事故による被曝と読み替えれば、問題の所在がはっきりします。例えば、次のように。
 福島原発事故による被害者たちの心をはっきりと自分の内部に受けとめること。被害者と真に連帯して生きる道の、それが第一歩である。はっきりいえば、原発事故はたんに福島で起こっただけではなく、日本の原発すべてで起こった可能性があり、世界の原発のどれひとつとして例外なく事故可能性があり、原発事故は、日本人全体に上に、世界人類の上に起こったと考えるべきである。我々は力をつくして、福島の被害者の肉体的、精神的、経済的苦悩を徹底的に回復しなければならない。脱原発運動はそこに根拠をおく、原発を維持・推進する思想と政策を絶対に許さぬ戦いは、そこからしか出発できないのだ。

 

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