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2011年9月 3日 (土)

池澤夏樹著『静かな大地』に読むアイヌの生き方

 今月末、友人とともに、北海道東部を旅行する予定です。武田泰淳の小説『森と湖のまつり』の舞台を訪ねよう、との趣旨です。小説の主人公たちは、1954年9月23日から30日までの1週間、阿寒湖-美幌-屈斜路湖-弟子屈-釧路-標津-塘路を、忙しく移動しました。私たちも、ほぼ同時季に、これらの地を訪ねる計画です。大震災のあと中止を考えたのですが、この旅行を切っ掛けに新しく日常を取り戻そう、と思い直しました。

 計画実行となれば、欲が出てきます。苫小牧着のフェリーで北海道へ渡り、日高経由で道東へ行くという旅程となったため、新たに池澤夏樹著『静かな大地』の舞台、静内にも寄ろう、ということになりました。こちらは、作者の曽祖父をモデルにした小説なので、歴史上のリアリティに富んだ舞台を訪ねることになります。そこで、北海道旅行二冊目のテキストとして、池澤夏樹著『静かな大地』を読み返しました。
 タイトルは、花崎皋平著『静かな大地』から借用した、と冒頭の謝辞に記されています。花崎氏はその著書に、「そのむかし、アイヌ自身が「アイヌモシリ」(人間の静かなくに)と呼んで暮らしてきた」と述べており、「静かな大地」はアイヌモシリの和語であることを知ります。明治初年、静内に入植したある和人は、アイヌの人びととともに、森や原野を耕し牧場や畑を開き、たえまぬ苦労と努力によって繁栄の時期を迎えました。しかし、アイヌを蔑む和人たちの妬みと黒い謀略によって繁栄は長くつづかず、やがて没落していきました。アイヌを知り、アイヌの側に立って行動した和人の敗北は、アイヌの人びとの滅亡への一歩でした。「短い繁栄の後で没落した先祖たちのことを小説にする」(帯の言葉から)ことが夢であったという著者は同時に、滅亡の危機にあったアイヌの生きかたを再評価しょう、と意欲的でもありました。ここでは後者について、書いておきたい。

 放たれた馬を探しに山に入った主人公の宗形三郎が、洞窟のなかで熊の神キムンカムイに出会う場面があります。「わしの言うことを聞け」とキムンカムイが告げます。「昔、たくさんの和人がやってきた。わしらアイヌモシリの神々は和人を迎えて心おだやかでなかった。アイヌはまだ辛い目に遭うのか。アイヌが力を失えば、誰がわしら神々にイナウを捧げて、篤く祀(まつ)ってくれるか。アイヌは己の非力をよく知っていた。世が変わり、和人が大挙してやってくる。アイヌはそれまで以上に押し込められ、飲む水、胸に吸う息まで奪われることになるのではないかとわしら神々は恐れた」。
 この節を読んでいて、私ははっととしました。今福島で、住民たちがまさに、原発事故によって土地を奪われ「飲む水、胸に吸う息」まで奪われ、苦悩している。原発以前は、山と川と海に恵まれたその土地で人びとは、田畑を耕して米と野菜をつくり、牛と豚と鶏を飼って肉と牛乳と卵を産みだし、海へ出かけて魚と貝と海草を持ち帰りました。しかし、多くの人々は、貧しさのため現金収入を求めて出稼ぎへ出かけました。そこへ原発が、やってきました。広大な土地と漁業権を売却して巨額の現金を手に入れ、政府の地域対策費を得て、道路や会館などのインフラを整備しました。多数の雇用も生まれました。地域の人びとの生活は、豊かになりました。そして地域は年々、原発に強く依存する社会になりました。こうした3,40年つづいた豊かさのさなかに、今回の原発事故が起こりました。事故が起こる前、日本人の間でも、アイヌの熊の神キムンカムイと同様に、原発によって飲む水と胸に吸う息まで奪われることを警告していた人びとがいました。しかしその声は、止まることを知らない欲望のまえに、無視されつづけてきました。その飽くなき欲望は、地域住民と電力消費者と電力資本のあいだで、仲良く共有されてきたのです。
 熊の神キムンカムイは、「アイヌは追い詰められている。やがてもっと過酷なものが押し寄せる。今、目前に迫ったものがある」と語り、三郎に次のような予言(カムイイピリマ)を与えます。「今、和人は奢っているが、それが世の末まで続くわけではない。大地を刻んで利を漁る所業がこのまま栄え続けるわけではない。与えられる以上を貪ってはいけないのだ。いつか、ずっと遠い先にだが、和人がアイヌの知恵を求める時が来るだろう。神と人と大地の調和の意味を覚る日が来るだろう。それまでの間、アイヌは己の知恵を保たねばならない。・・・時の流れのはるか先の方に、アイヌと知恵ある和人が手を取り合って踊る姿がわしに見える。天から降ったものを争うことなく分ける様が見える」。
 この予言を聞いた三郎が、熊の神に対して、アイヌとともに進みましょう、と答えたとき、三郎は、河原の仮の寝床で目を覚ましました。
 8歳の時静内にやってきた三郎は、アイヌの子供たちと出会い、アイヌ語と日本語をともに学び合い、アイヌの昔話を聞きながら育ちました。アイヌとは、強い絆で結ばれたのです。札幌で学業を終えた16歳の時出会ったイギリス人旅行家イザベラ・バードは、三郎のアイヌに対する姿勢を決定付けました。バードの「アイヌは気高い人種だ」という一言で、三郎は「アイヌとともに生きよう」と心に決めたのです。三郎は、アイヌの生きかたについて、次のように語っています。
 「アイヌの生きかた、山に獣を追い、野草を摘み、川に魚を求める生き方は、欲を抑えさせ、人を慎ましくする。いくら欲を張っても鹿が来なければしかたがない。祈って待つしかない。だから、大きな山の力によって生かしめられる己を知って、人は謙虚になる。
 山に狩る者は畑を耕す者より慎ましく、畑を耕す者は金を貸す者より慎ましい。強い相手があってのことだから、慎ましくならざるを得ない」。こうしたアイヌの生きかたに、バードは気高さを感じたのです。それはまた、著者・池澤夏樹氏が、アイヌの生きかたに見い出した価値だと思います。
 福島原発事故後、バルセロナでのスピーチで、作家の村上春樹氏は、被爆国日本が自ら犯した過ちで再び大きな核の被害を受けた理由を、「効率」に求めました。原発は、資本の側にあっては利潤効率がよく、政府にとっては統治効率がよく、電力消費者にとっては生活効率が上々でした。しかし原発事故は、すべてを逆転させてしまいました。私は、この効率を追い求めた心の底に、「欲望」があったと思います。それは、個々の人間の持っている自然の欲望を越えた、他者から煽られ膨れ上がった欲望です。取り付かれたら、極限まで追い求めてやまない欲望です。これは、アイヌの持っていた「慎ましさ」や「謙虚さ」とは逆方向のベクトルをもっていました。福島原発事故を経験した今、多くの人びとが立ち止まって、これまでの社会のありようを、見つめ直そうとしています。熊の神キムンカムイの予言にあった「和人がアイヌの知恵を求める時」「神と人と大地の調和の意味を覚る日」、それが現在なのかもしれません。

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