さようなら原発1000万人アクション
昨日、東京・明治公園であった「さようなら原発1000万人アクション」の集会とデモに参加しました。開会40分ほど前に会場に着きましたが、すでに会場は、手に手に幟(のぼり)や旗やプラカードをもった人びとで、満杯近くにふくれあがっていました。老若男女(正確に言うならば、老老若男女)が、首都圏を中心に全国から集まっていました。
午後1時から、オープニングのミニライブがあり、女性ボーカルと男性ギターからなる寿(kotobuki)というミュージシャンが、声量のある美しい歌を聞かせてくれました。広島と沖縄を出身地とする二人は、沖縄の島唄とオリジナル・ソングを歌うライブ活動をしているそうです。ミニライブのあと、脱原発ポスター(写真)が、舞台上で披露されました。
集会のメインは、8人の呼びかけ人による発言でした。まず、ルポライターの鎌田慧さんが、「さようなら原発1000万人アクション」が、1000万署名と被曝者救済活動を目的としていると、簡潔に報告しました。次に立った大江健三郎さんは、「原子力は私たちに、荒廃と犠牲をもたらす」と語りました。大江さんの発言途中、メディアのヘリコプター3機が会場上空を飛び交い、大江さんの声はほとんど聞き取れず、会場からブーイングがおこりました。
つづいて経済評論家の内橋克人さんが発言。冒頭、脱原発に立ち上がった集会参加者に対して、未来の子どもたちに代って「ありがとう」と云いたい、と話されたときには、胸が熱くなりました。また、新しい原発安全神話(地下原発構想など)が台頭しつつあると指摘、その背景には、核武装の潜在力を持ちつづけたいという強烈な意志がある、と強調しました。
4人目に登壇した落合恵子さんは、平仮名しか読めない子どもが、「ほうしゃのうこないで」とおびえるような世の中を許すことはできない、と訴えました。
骨折後の養生中にかかわらず、杖をつきながら参加した澤地久枝さんは、東電の傲慢さを指摘し、原発の下請労働者が棄民されようとしている、と発言しました。
ドイツの脱原発運動家フーベルト・ヴァイガーさんは、福島原発事故が、ドイツでもたいへん大きな衝撃をもって受けとめられたと報告し、「脱原発は出来る・出来ないではなく、政治が、やるかやらないかの問題だ」とドイツやイタリアの事例を紹介しながら話しました。俳優の山本太郎さんは、原発の一斉停止と子どもたちの福島からの疎開を訴えました。
いよいよ集会の最後となりました。司会者が、舞台の下に陣取っていた福島県からの参加者に、起立を求めました。「怒 浜通り隊」「怒 中通り隊」「福島応援隊」などの幟をもった一団の100人を越える人びとが、立ち上がりました。それまで、発言者の話に聞き入って不思議なほどに静かだった会場から一斉に、大きな拍手と歓声がわきあがりました。そして、最後の発言者として、福島原発反対運動を闘ってきた武藤類子さんが登壇。 武藤さんは冒頭、「3.11福島原発事故によって、私たちは、被曝者となりました」と語りました。「食べる食べない。洗濯物を干す干さない 。逃げる逃げない。日々、決断を迫られた」と話しました。最後に「私たちを助けてください。福島を忘れないで下さい」と涙声のまじった、しかししっかりとした口調で訴えました。私は思わず涙ぐみました。前に坐っていた初老の男性も、隣の中年の夫婦も、手で涙を拭いました。会場に集まった6万人の参加者の胸の中に、3.11から積もり積もった怒りと悲しみが、いちどに押し寄せてきたように思いました。
午後2時30分、予定通り集会は終わり、街頭パレードへと移りました。参加者が会場とその周辺を埋めつくし、明治公園から渋谷方面に向かうコースの通りに出るのに、1時間かかりました。この間に、幟やプラカードに書かれた脱原発を訴えるユニークな言葉を楽しみました。こんなのが印象的でした。
「悪魔の文明 原発に終焉を!! 行動しない良心は悪魔の手先である」
「原発やめますか? それとも人間やめますか?」
「愛する飯舘村を還せプロジェクト 負けねど飯舘」
「欣求浄土 南無阿弥陀仏 無核無兵」
「フクシマの風下に生きる我らが狂気 堕ちよ滅びよ驕奢の時代」
3時30分、やっと街頭デモとなりました。私のデモ参加は、イラク戦争反対デモ以来で、久々のことです。 コースは、明治公園から青山通りを経て表参道に入り、代々木公園のNHK前までの約3キロ。脱原発の歌を歌ったり、シュプレヒコールを大声で張り上げたり、デモ模様は、今も昔も変わりません。 ただ今回始めて経験したのは、子どもたちと一緒に歩いたことです。また、共産党と社民党、それぞれの関係団体と支持者たちが、同一の集会とデモに参加していたのも、何年ぶりのことでしょうか。「脱原発」一点への結集は、何ともうれしい気持ちですが、ことがそれだけ深刻度を増している証左でもあるのです。
こんな人たちもいました。「原発は必要だ」と低い声でつぶやきながら、デモ隊とは逆方向に、歩道を歩いていく中年男性がいました。また、「逆効果だ!」と青筋立てて、デモ参加者に食ってかかろうとして、お巡りさんに止められる青年も現れました。最も不思議だったのは、表参道のルイ・ビトンの店近くで、日の丸の旗を掲げて歩く30歳前後の男女でした。ファッションの街に相応しい服装での、何ら衒(てら)いのない行進でした。
終点のNHKホール前に着いたのが、5時30分。出発してから2時間かかりました。信号どおりに進ませる、という警察の執拗で姑息なデモ妨害-それはデモ隊を細切れに分断してデモ効果を削減させること-によって、6万人にも膨れ上がった脱原発集会・デモ参加者のパワーを、街頭から削ぎ落とそうとするものでした。しかし、原発の維持推進を諦めようとしない人たちは、「さようなら原発1000万人アクション」への人びとの想定以上の結集に、危機感を募らせたことでしょう。1000万人署名への大切な一歩になったと、確信します。
ブログ『里山のフクロウ』を訪ねていただいた方に、脱原発を実現し、自然エネルギー中心の社会を求める全国署名(ネットでの署名)を呼びかけます。
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