『森と湖のまつり』を訪ねて-上-
28日からの2泊3日は、阿寒湖-屈斜路湖-摩周湖-塘路湖-釧路-標津をめぐり、まさに武田泰淳の小説『森と湖のまつり』の舞台をなぞっていく旅でした。この道東旅行のきっかけは、ちょうど1年まえの9月、NHK・BS放送の『よみがえる作家の声 武田泰淳』という番組のなかで、作者がこの小説を読み上げる録画シーンを見たことでした。そして、30年ぶりにこの作品を読み返してみて、森と湖のまつりの地に立ってみたい、と思いました。(写真は、屈斜路湖に沈む夕陽)
小説は、「阿寒の湖は、陸地からの眺めは平凡で、青い水面のひろがりにすぎない」と、素っ気なく阿寒湖を描いて始まります。私たちの森と湖の旅も、阿寒湖から開始。湖畔から少し離れたアイヌコタンには、かつてアイヌの人々が住んだ小屋や倉庫があり、また道路の両側には、熊や梟の彫り物などを売る土産物屋が軒を並べています。その一角に、小さな劇場があり、ちょうどアイヌ古式舞踊をやっていました。女性がふたり、竹片からつくった口琴(ムックリ)を奏でました。ビョ~ンビョ~ンという素朴な響きは、風の音や川のせせらぎ、雨音、恋する乙女の想いを表現する、とリーフレットにありました。ムックリを買って試したところ、なるほどビョ~ンビョ~ンという音がでました。 くわえた口を尖らせ気味にすると低音となり、広げると高音となります。勿論、舞台の女性たちのように、美しく奏でることは出来ません。それにしても、材料の竹は、どこから手に入れたのでしょうか。北海道には竹林がない筈です。もとは、竹以外の木から作っていたのか、あるいは和人との交易で入手していたのか。これは帰宅後、ムックリを鳴らしていた時、ふと気付いた疑問です。ヘクリサラリというお盆を取り合う踊りがありました。ふたりの女性が、直径30センチほどのお盆を、互いに取り合ったり投げ合ったりするもの。無邪気な踊りでした。
屈斜路湖では、湖畔のアイヌ民俗資料館を訪ねました。ここで、母親がアイヌだったという女性の話を聞きました。彼女は子供のころ、和人の子供たちから、「アッ、イヌがきた!」とはやしたてられた体験を話しました。武田泰淳の小説では、「今じゃ、どこだってそんなことないけどね」と青年が話していましたが、その「今」は、1954年のころ。私たちの目の前にいるアイヌ系の女性は、私たちと同年代の敗戦直後の生まれ。つまり戦後も、このようなアイヌの人々に対する差別は、歴然としてあったということです。彼女はまた、アイヌの人々が、和人の赤ん坊を育てた話をしました。入植した和人たちは、生活苦から食事にも事欠き、生まれた赤ん坊を育てることができなかった。そこで、アイヌの小屋の前に赤ん坊を捨て、アイヌに子育てを委ねる人々が、あとをたたなかった。しかし、子供が10歳にもなると和人は労働力欲しさに、その子供を自分の産んだ子供だといって取り返し、開拓した農場で酷使した。このような内容の話でした。和人がアイヌの赤ん坊を育てた事例はあるかと質問すると、彼女は、「あったかもしれないが、私は見たり聞いたりしたことはない」と答えました。中国東北部における残留孤児たちは、日本人幼児を中国人養父が引き取って育てた例ですが、はたして中国では、日本人が中国人の幼児を引き取って養育した例はあるのでしょうか。これも寡聞にして知らない。植民地であった北海道と中国東北部(旧満州)に共通する事象かもしれません。彼女は別れ際、屈斜路湖の夕陽の沈む景色を見るように、勧めてくれました。
この日は、JR釧網線川湯温泉駅近くの民宿に宿泊。温泉街から離れた原野に隣接した民宿は、30代の若い夫婦と小学生の娘が住んでいました。名古屋と大阪から当地へ来て、民宿を始めたといいました。夕食も朝食も、小さな炉端焼き風の食堂で、家族とともに食べました。娘さんは、生徒30人、先生10人の小さな小学校に通っている、といいました。私の住んでいるところの小学校は90人くらいだよ、と言ったら、娘さんは、「ふーん、多いんだ」と感心しました。
翌朝、宿の周りを散歩していたら、すぐ隣りに乗馬を目的にした川湯パーク牧場がありました。6時ちょうどに、男女二人の従業員がやってくると、牧場で草を食んでいた30頭ほどの馬が一斉に、馬小屋に戻ってきました。ニンジンと稲藁の給餌が始まったのです。
馬たちがニンジンを噛み砕く音を背に、川湯温泉駅に向かいました。駅前には、ゆったりとしたロータリー沿いに、瀟洒なレストランと小さなパン屋と公衆トイレがあります。駅と国道を結ぶ50メートルほどの道路には、白樺を模した電柱が立っていました。枝もちゃんとあります。この道路沿いには、食品店、酒屋、郵便局があります。そして住宅が数軒。いずれも、広い敷地にポツンと建っている感じです。早朝の駅前は、薄い霧の中、寂しげでした。駅の時刻表をみると、網走行きが日に6回、釧路行きが7回到着することになっていました。
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