「かんら薪能」を観る
先週の金曜日、ここ数年恒例となった、甘楽町の薪能を観ました。一昨年、昨年ともに雨天のため、町の文化会館での公演となりましたが、今年は好天に恵まれ、野外での文字通りの薪能を堪能することができました。江戸時代の武家屋敷庭園を再建した「楽山園」の一角、手入れのゆきとどいた古木の赤松を背景にした特設舞台で、狂言と能が演じられました。
この日の主な演目は、狂言「昆布売」と能「土蜘」。今年も、加藤周一著『日本文学史序説 上』 「第五章 能と狂言の時代」をテキストに、観賞しました。
まずは、狂言「昆布売」。大名 山本則俊、昆布売 山本泰太郎。大蔵流狂言山本家の叔父・甥のお二人の出演でした。
連れもなく出かけた大名(シテ)は、街道で出会った若狭・小浜の昆布売り(アド)を脅し、無理やり太刀を持たせます。従者扱いされた昆布売りは、我慢できずに太刀を抜き、逆に大名を脅して昆布売りを強要します。初めはいやいや従っていた大名も、やがて売り声も調子づき、だんだん興にのって昆布売りに励みます。この大名を袖にして、昆布売りは、太刀と小刀を奪って逃げていきました。
大名と昆布売り。支配者と大衆。命令者と服従者。その手段が、太刀での脅し。こうした関係の逆転が、この狂言の見所。だから、封建時代の大衆は、演者の所作や科白の面白さにくわえ、大名が昆布売りに虚仮(こけ)にされる場面を見て、拍手喝采しました。武士たちは、どのように見たのか。おそらく、この程度の揶揄には動じることなく、大衆の支配層に対する不満のガス抜きには、この程度は許容したのでしょう。それよりも、昆布売りの悪知恵と大名のずっこけぶりに、大衆とともに、腹を抱えて笑い楽しんだものと思います。加藤周一氏は狂言について、次のように記しています。「「狂言」の世界は、「能」の場合とは異なり、全く此岸的・日常的であり、仏教とは無縁の土着世界観の枠組のなかで、しばしば権威に対する揶揄を含んでいた」。狂言「昆布売」は、まさしく加藤氏の指摘どおりです。
ついでながら、「昆布売り」を「こぶうり」と発音したのを聞いて、懐かしい感じがしました。京都に生まれ育った私は、子供のころは確かに、「昆布」を「こぶ」と呼んでいました。「こぶまき」「しおこぶ」「とろろこぶ」。最近はもっぱら「こんぶ」と呼んでいたので、「こぶ」という言葉は、ひさびさに聞いた気がします。
狂言が終るとともに、舞台を照らしていたライトが消され、「薪能」と書かれた提灯の明かりのほかは、あたりは真っ暗闇となりました。しかし間を置かず、舞台両側に於かれた篝(かがり)に火が入れられました。しばらくしてパチパチパチと薪の燃え上がる音がし、やがて炎が立ちのぼると、思いのほか舞台は明るく照らし出されました。そして、能「土蜘」(つちぐも)が始まりました。
舞台後方には、笛・小鼓・大鼓・太鼓の楽隊が、そして右側には、6人からなる合唱隊(地謡)が控えています。
病気に臥せる源頼光のもとに、侍女の胡蝶が、処方された薬を届けます。しかし頼光の病は重く、世をはかない死を待つばかり、と弱音をはきます。
深夜、見知らぬ法師が、頼光の病床に近づいてきて、「気分は如何か」とたずねます。「誰だ、怪しいやつめ」と問いただす頼光にたいして、法師は、「病気で苦しむのは私のせい」と答え、無数の糸を投げかけて頼光をからめとろうとします。頼光は、相手を妖怪とみて枕もとの刀で、糸を切り払い妖怪を斬りつけました。妖怪はふっと、姿を消しました。
駆けつけた独武者(ひとりむしゃ)は、頼光から話を聞き、妖怪の残した血の跡をたどって、退治に出かけます。
独武者と従者たちは山中深く、血の跡のある土蜘蛛の塚を見つけ、早速、その塚を突き崩します。すると塚の中から、身の毛も逆立つ鬼神の形をした土蜘蛛の精が現れます。幾度となく糸を投げつける土蜘蛛の精とそれに立ち向かう独武者たちとの闘い。しかし終には、独武者たちの太刀が、土蜘蛛の精の首を切り落とします。(あらすじは、当日のリーフレットを参考にしました)
何といってもこの能の見どころは、土蜘蛛の精が蜘蛛の糸を投げる場面です。純白の和紙で作られた土蜘蛛の糸は、暗闇のなか、篝火やスポットライトの光を受けて、怪しく光っていました。そしてもう一つの見どころは、土蜘蛛の精が塚から現れる場面。豪華な能装束を身にまとい、真紅の髪をふり乱した鬼面の妖怪が、舞台中央の塚の中から立ち現れるシーンは、ゾクッとするほど美しかった。能には全く素人の私にも、能の妖しいまでの美しさを堪能することができました。
狂言「昆布売」には、「大名」と「昆布売」という現世の、日常どこにでもいる登場人物が、出てきました。能「土蜘」には、超自然的な存在である「土蜘蛛の精」と伝説的人物の「源頼光」が登場します。そして加藤周一氏が世阿弥の「能」について語った次の一節、「主人公が人間から亡霊へ「変身」し、此岸から彼岸へ移り、自然的(社会的)な世界から超自然的な世界へ向う」という一節に符合します(「土蜘」は作者不詳とありますが)。主人公(シテ)が源頼光ではなく、土蜘蛛であることが、面白いし示唆的です。法師=土蜘蛛は超自然的存在で、いつも死の気を漂わせた彼岸的な存在なのです。加藤氏は、このことを「彼岸への関心に支えられた新しい演劇があらわれた」と指摘しています。
「土蜘蛛」はウィキペディアには、古代、天皇に恭順しなかった土豪の蔑称、とあります。朝廷の支配に伏しなかった人々の集団のこと。このなかには、日本列島の先住民族の集団もあったものと推定します。北日本の蝦夷なども、そのひとつでしょう。以前、清水寺縁起絵巻を見たことがありますが、そこで描かれていた征夷大将軍・坂上田村麻呂率いる朝廷軍に追われる蝦夷たちは、ほとんど鬼の如くでした。朝廷に反抗する集団は、土蜘蛛や鬼として表現されたようです。源頼光を襲った土蜘蛛の精は、朝廷によって滅ぼされた蝦夷たちの亡霊かもしれません。彼岸から此岸に舞い戻って、先祖たちの怨念を晴らそうとしたのかもしれません。これは私の、勝手な推測ですが。
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