脱原発への道-ドイツからの希望のメッセージ-
年末のテレビ番組は、今年1年を振り返る特別番組が、目白押しにつづきます。中心はいうまでもなく、3・11東日本大震災と福島原発事故のニュース。大津波の犠牲となった被災者と被災地の映像は、いつ見ても涙誘われ、みにくく崩壊した原発の姿は、恐怖と憤怒の感情をこみ上げさせます。そうしたなかで、なでしこジャパン優勝のビデオ映像は、あの日、ドイツからのライブ中継をみながら歓喜と感動に酔ったことを、思い出させてくれました。
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年末のテレビ番組は、今年1年を振り返る特別番組が、目白押しにつづきます。中心はいうまでもなく、3・11東日本大震災と福島原発事故のニュース。大津波の犠牲となった被災者と被災地の映像は、いつ見ても涙誘われ、みにくく崩壊した原発の姿は、恐怖と憤怒の感情をこみ上げさせます。そうしたなかで、なでしこジャパン優勝のビデオ映像は、あの日、ドイツからのライブ中継をみながら歓喜と感動に酔ったことを、思い出させてくれました。
大学の先生が、地元紙記者にたずねました。「被災地の人たちが、これから最も心配していることは何だろう」。記者はこたえました。「自分たちが過去のこととして、忘れ去られてしまうことだ」。(玄田有史稿『復興という名の希望をつくるために』「世界」別冊2012/1所収)
先に読んだ吉岡斉著『新版 原子力の社会史 その日本的展開』が、中央(国家レベル)における原子力開発の通史であったとすれば、開沼博著『「フクシマ論」 原子力ムラはなぜ生まれたのか」』(青土社2011/6刊)は、地方(ムラと県レベル)での原子力開発史だ、と云えます。3月11日の巨大地震と大津波により甚大な被害を受け、そのうえさらに、きわめて深刻な原発事故に襲われた福島県浜通りの双葉町・大熊町・富岡町・楢葉町が、いかに原子力ムラとして形成されてきたかが詳細に述べられます。