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2011年12月15日 (木)

開沼博著『「フクシマ論」 原子力ムラはなぜ生まれたのか」』を読む

 先に読んだ吉岡斉著『新版 原子力の社会史 その日本的展開』が、中央(国家レベル)における原子力開発の通史であったとすれば、開沼博著『「フクシマ論」 原子力ムラはなぜ生まれたのか」』(青土社2011/6刊)は、地方(ムラと県レベル)での原子力開発史だ、と云えます。3月11日の巨大地震と大津波により甚大な被害を受け、そのうえさらに、きわめて深刻な原発事故に襲われた福島県浜通りの双葉町・大熊町・富岡町・楢葉町が、いかに原子力ムラとして形成されてきたかが詳細に述べられます。

 本書は、今年6月の刊行直後から、ネットやメディアで注目されてきました。著者が大学院在学中の若い研究者だということはともかく、3.11以前に書かれた福島原発の歴史を扱った学術論文、というだけで既に多くの読者の関心を呼び、「福島において、3・11以後も、その根底にあるものはなにも変わっていない」という著者の言葉に挑発されるように読者は増え、すでに第8刷(9/30現在)まで発行されるに至っています。

 著者の言う「原子力ムラの根底にあるもの」とは何か。
 原子力ムラは自ら能動的に原子力を「抱擁」している、と著者は指摘します。さらに、原子力ムラは原子力に対して、経済的にも文化的にも中毒のように欲望し従属している、とつづけます。原子力ムラの根底にあるのは、こうしたことです。
 
 しかし福島の原子力ムラは最早、原子力を求めることは出来ません。原発が爆発したことによって、抱擁も欲望も打ち砕き、ムラそのものを壊滅させようとしています。では、他の県の原子力ムラは、どうでしょうか。恐らく著者の指摘するとおり、「3・11以後も、その根底にあるものはなにも変わっていない」と云わざるを得ません。著者も指摘しているように、4月の統一地方選挙における結果は、ほとんどの原子力ムラにおいて、原発推進派議員が勝利を収めました。住民自らが能動的に、3・11以後も、自分の町や村が原子力ムラであり続けることを選んだのです。

 しかし、原発事故による放射能汚染の深まりと広がりは、日を追うごとに深刻度を増しています。3・11以前、原発のメリット・デメリットは、原子力ムラがすべて受け入れている、という暗黙の了解があったように思います。しかし、原発事故は、それが幻想であったことを教えてくれました。原発最悪のデメリットである放射能汚染は、原子力ムラをはるかに越え、50~100㎞圏にまで極めて深刻な影響を与えていることを、私たちは知りました。原発の再稼動や新規立地は、もはや、原子力ムラの抱擁と欲望のみによって、実現することはできない。すくなくとも、50㎞圏内の住民の合意を得なければ、再稼動も新規立地も不可能だと思います。本書を読みながら、こんなことを考えました。

 

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