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2011年12月12日 (月)

駅伝大会

P1160055 日曜日、合併前の旧町での、地区対抗駅伝競争大会がありました。町の中心部にある中学校を出発点に、車の往来の少ない山沿いの自動車道路21.5㎞を、7人づつの11チームが競い合うもの。私は、地区の区長代理となった今年はじめて、選手の搬送係りとして参加しました。 
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 地区対抗は、小学校区を単位とし、町なかの人口の多い校区は2チームを、少ない校区は1チームを出します。私の住む地区は、8年前には優勝経験もあるのですが、総戸数500余からなる小規模な校区で、小学生も80人弱と少なく、1チーム7人(小学生2人、中学生3人、一般2人)の選手を出すのがやっとのこと。小学生と中学生の選手は、学校からマラソン大会の上位入賞者の推薦をうけて選考します。勿論、本人と親の了解を得るわけですが、現実には、区役員からの依頼=強制のような感じでした。P1160053一般は、高校生以上社会人から選ぶのですが、今回は40歳まえの自衛隊員と30歳前後の耳にピアスをつけたアンちゃんが走りました。他チームの多くが、高校生の選手を出し、若さで勝負を挑んできました。
 選手搬送係りの私は、第5区で走る自衛隊員を中継点に運び、そこに走ってきた第4区の小学生を拾ってゴール地点へ送るのが任務。わがチームは、この中継点では、11チーム中5位でした。第4区の小学生k君は、区間3位の健闘ぶり。搬送した2人とも、今回初めて会った人たちです。顔合わせの会議と試走会で、K君とは事前に顔馴染みとなっていたのですが、自衛隊君とはこの日会ったばかり。富士山麓の基地から、この日のために、駆け付けました。地区の若い人たちと出会える、格好のチャンスでした。
 ゴールの中学校には、10時にいっせいにスタートした各チームの最終ランナーが、戻ってきました。先頭チームは、11時12分過ぎゴール。マラソンのハーフコースで、1時間12分は、まずまずの成績だなあ、と搬送係り同士で感想を述べ合いました。そしてわがチームは、8位でゴール。順位・時間ともに前年をわずか上まわり、役員・選手ともに、まずまずの満足ぶりでした。
P1160083 今回の駅伝大会にかかわった私たちの校区役員は、構成する6区の各区長・区長代理の12名と、スポレク(スポーツ・リクレーション)役員13名の計25名。そして監督と選手が11名。総勢36名の参加でした。11チーム全体では、400名近い参加者だったと思います。閉会式では、6位入賞の各チームと区間賞をとった個人が、表彰されました。また、過去16回の大会のうち、5回以上連続出場した人たちに、感謝状が授与されました。最高15回連続出場という男性がいました。
 9月の小学校運動会、10月の旧町体育祭と高崎市体育祭、11月の旧町文化祭とつづいた秋の行事は、今回の駅伝大会で終了しました。各イベントごとに、1~3回の会議があり、当日の参加も含め延べ15日ほどの参加日程でした。各行事の参加者は、ほとんどが区役員で、金太郎飴のごとく、いつもおなじみの顔ばかり。だから、役員同士は、顔なじみになりました。
 こうした行事は、小学校区という広い地域住民の親睦と交流という目的は、一定程度、達成することができます。しかし多くの役員が、区外でのイベント疲れから、もっとも肝心な区内の行事に、気持ちが向きません。だから、区の行事として、これっといったものが各区ともありません。区内には、独り住まいの高齢者や病人が、ひっそりと暮らしています。Img_2192_1交流を必要としているのは、まさにこうした区民であるはずです。私の住む区で昨年から始めた芋煮会には、今年、30人余が参加しました。市の保健師による「健康の話」のあと、食材は豚肉と味噌以外はすべて地産地消による、けんちん風芋煮込みを、みんなで楽しみました。2時間あまりの会が、あっという間に終わりました。皆さん、結構満足気に、公民館を後にしました。来年は、区内の80歳以上のすべての高齢者を招待して、津軽三味線や沖縄三線などの演奏を聞きながら、極上の芋煮を食べる会ができればなあ、と夢想しています。

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