「沖縄の苦しみ・福島の悲しみ」
朝刊の「通販生活」の広告に、次ぎのようなキャッチ・コピーが掲げられていました。「買い物が大好き。新商品が気になって仕方がない。でも、沖縄の苦しみや福島の悲しみも気にかかる・・・」。沖縄と福島。確かに現在、沖縄は普天間基地移設問題で苦しみ、福島は東日本大震災と原発過酷事故の悲しみで打ちのめされています。これら二つのことは、同時に進行していますが、しかし、福島と沖縄が同時に論じられることは、これまで多くはありませんでした。だから読者には、今朝の「通販生活」のキャッチ・コピーにあった「沖縄の苦しみや福島の悲しみ」という表現に、すこし戸惑いがあったかもしれません。
10日ほど前に、福島と沖縄を同時に論じた新書が、刊行されました。高橋哲哉著『犠牲のシステム 福島・沖縄』(集英社新書、2012/1/22刊)。著者の高橋哲哉氏は、福島県で生まれ育ち、福島第一原発事故で警戒区域となった富岡町で幼少期を過ごしたことのある哲学者です。高橋氏は、ふるさと福島での原発事故に大きな衝撃を受け、この新書を書き下ろしました。
本書のテーマは、「犠牲のシステムとしての福島と沖縄である」と著者は、明確に語ります。ではなぜ、福島と沖縄なのでしょうか。それは、「1945年の敗戦以降、今日までの日本を「戦後日本」と呼ぶなら、これら二つの地名が、戦後日本の国家体制に組み込まれた二つの犠牲のシステムを表しているから」(P162)です。
まず著者は、この本の中心概念である「犠牲のシステム」について、次ぎのように定義します。
「犠牲のシステムでは、或る者(たち)の利益が、他のもの(たち)の生活(生命、健康、日常、財産、尊厳、希望等々)を犠牲にして生み出され、維持される。犠牲にする者の利益は、犠牲にされるものの犠牲なしには生みだされないし、維持されない。この犠牲は、通常、隠されているか、共同体(国家、国民、社会、企業等々)にとっての「尊い犠牲」として美化され、正当化されている。そして、隠蔽や正当化が困難になり、犠牲の不当性が告発されても、犠牲にする者(たち〉は自らの責任を否認し、責任から逃亡する。この国の犠牲のシステムは、「無責任な体系」〈丸山眞男〉を含んで存立する」(P27〉。
では、原発が犠牲のシステムであるとはどういうことか。著者は、原発の四つの犠牲について、福島第一原発に即して語ります。
第一の犠牲 原発の過酷事故によって福島県民は甚大な被害をうけ、多大な犠牲を強いられたこと。福島の人びとは、避難を強いられ、放射能被曝の不安におののき、仕事と財産を失いました。地元の農林漁業、商工業、観光業など産業全体も、壊滅的な被害にあいました。海と大地も放射能に汚染され、生きとし生ける物の未来が、奪われようとしています。
第二の犠牲 原発の運転は、被曝労働者の存在を前提にしていること。事故時には、「破局を防ぐためには、だれかが被曝労働の犠牲を担わなければならない」し、平時においても、「経済的弱者であるゆえに被曝しながらでも働かざるをえない人々の犠牲」がなければ成り立たないシステムです。著者はまた、原発事故の地元被災者が、被曝労働者として事故収束の当たって、二重の被害者になっていることに注意を促しています。
第三の犠牲 原発は、核燃料の原料となるウラン採掘現場で、被曝の犠牲を引き起こすこと。このウラン採掘については、年末の記事で紹介した「原子力に反対する100個の充分な理由」(ドイツのシェーナウ電力会社刊)において、冒頭に記述されています。そこには、ウラン鉱山における原住民の強制移住、ウラン鉱山での大量の水利用による水道水不足、高濃度に放射能汚染された汚泥湖やウラン選鉱くずの山、従業員と住民のガンの多発等々が報告されています。
第四の犠牲 原発システムの終着点、行き場を失った放射性廃棄物のこと。政府は、放射性廃棄物を地中に埋めることを検討していますが、その候補地は、現在の原発立地地域をはじめとした地方が想定されています。核のゴミのリスクをも、福島県はじめ地方に押し付けようとしています。(P42-71)
次に、犠牲のシステムとしての沖縄は、次の点に要約されます。
その一 沖縄戦という過酷な戦闘の戦場になった。沖縄は捨石にされた。
その二 敗戦後、米軍はそのまま居座った。
その三 サンフランシスコ講和条約第三条によって、米軍の施政権下に置かれた。
その四 1972年の日本復帰後も、全国の米軍専用施設の74% が集中し続けている。(P162)
つまり、「戦後日本の日米安保体制は、沖縄をスケープゴート(犠牲の山羊)とする一つの犠牲のシステムであった」のです。著者は、このことを「沖縄に関する天皇メッセージ」(1947年9月20日付)のなかに、象徴的に見出されるとしています。そのメッセージは、沖縄と南西諸島を米軍の軍事占領下に置き続けること、そしてその軍事占領を「25年ないし50年ないしそれ以上」長期間なされること、そのような占領継続が「米国の利益」となり「日本を守ること」にもなる、というものでした。著者は指摘します。「天皇は、戦後の新たな状況下で沖縄を米国に犠牲として差し出すことによって、日本の国益そして天皇制にとっての利益を得ようとしたのだと考えるしかないだろう」。(P174)
「犠牲のシステムとしての福島と沖縄」は、前者が自治体の誘致によってはじめて原発が立地できたのに対して、後者は暴力的に土地を奪われて軍事基地を押し付けられた、という違いはありますが、著者は両者に類似した、中心と周縁との植民地主義的支配・被支配の関係に注目し、つぎの三つの類似点を指摘します。
第一の類似点:構造的な差別があり、それが、一方が日米安保体制の維持であり、他方が経済大国日本のエネルギー源として正当化されていること。
第二の類似点:経済的利益によって犠牲が補償されること。ともに、「日本の近代化プロセスのなかで経済的な弱者の位置におかれることになった地域」であった。
第三の類似点:構造的差別と植民地主義を隠蔽するための「神話」が必要とされてきたこと。沖縄においては「抑止力論」が、そして福島においては「安全性」が神話となったことは、周知のことです。(P196-205)
著者の高橋哲哉氏は、犠牲のシステムとしての福島と沖縄について、以上のように論じました。著者自らは、「犠牲にする者=植民者」の立場にいることを自覚しながら、最後に、次ぎのように述べています。
「米軍基地について、沖縄に対して植民者の位置にあるヤマトの日本人、また原発について、地方に対して植民者の位置にある大都市圏の日本人・・・が、もしも基地や原発のリスクを自ら負うことができないのであれば、在日米軍基地についても原発についても、それを受け入れ、推進してきた国策そのものを見直すしかないのではないか」。(P216)
けだし、日米安保廃棄と脱原発は、日本社会が「犠牲のシステム」から解放されるための戦略的課題だといえます。このため、安保廃棄・脱原発の政治勢力の大結集が、いままさに求められています。原水禁が事務局をつとめる「さようなら原発1000万人アクション」に、共産党とその支持者たちも積極的に参加していることに、希望を見出します。
.「さようなら原発1000万人署名」オンライン署名のお願い
最終締切日2012年2月29日まで、残すところ29日となりました。「里山のフクロウ」を訪問し、この記事を読まれた方は、是非、オンライン署名をお願いします。ココをクリックすると、オンライン署名ができます。
また、再稼働許すな!2.11さようなら原発1000万人アクション全国一斉行動in東京が、下記のとおり開催されます。昨年の9.19明治公園の大集会を上回る集会になることを、心より願います。
記
■日時:2月11日(土)
13:00 オープニングコンサート……the JUMPS
13:30 開会
■場所:代々木公園B地区、イベント広場&ケヤキ並木 (JR原宿駅徒歩10分、地下鉄代々木公園駅徒歩8分)
■発言:大江健三郎さん(呼びかけ人)、落合恵子さん(呼びかけ人)、永山信義さん(福島県から)、東京の避難者、福島の生産者、藤波心さん(タレント)、山本太郎さん(俳優)、他
※手話通訳あり
■パレード出発 14:30~/送り出し音楽:TEX&SUN Flower Seed/日音協
コース(予定):①ケヤキ並木→渋谷勤福→宮下公園→明治通り→原宿→千駄ヶ谷小学校→明治公園
②イベント広場→代々木公園駅→参宮橋→新宿中央公園
(2.11集会関係は、「さよなら原発1000万人アクション」のサイトの案内文をコピーしました。)
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