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2012年2月13日 (月)

「さようなら原発1000万人アクション」の集会とデモ 

P1070290_1  2月11日、脱原発の集会とデモに参加しました。原宿駅から外へ出ると、お神輿を担いだ一隊が、元気よく通り過ぎました。歩道では、「新しい歴史教科書をつくる会」の幟をたてた男が、署名を呼びかけていました。このときはじめて、今日が「建国記念日」であることに、気がつきました。

 「建国記念日」のデモといえば、ちょうど40年前、院生時代に参加した「紀元節復活反対」デモを思い出します。既に「建国記念の日」は数年前に制定されていたのですが、日本のアジア侵略史を学んでいた市民グループの一員として、「紀元節復活反対」の意志表示をするためでした。市民と高校生をメンバーとした10人強の小さなデモでしたが、デモ隊よりも数倍多い制・私服警官と高校教師たちに囲まれての、異様なデモ風景でした。学校での処分が待っている高校生たちは、ヘルメットを被りタオルで顔を隠した「闘争スタイル」(護身スタイル)での参加でした。それでも自校生徒を見つけた教師たちは、「○○君、デモから離れなさい! 」と怒気を含んだ叫び声をあげました。私たちは、生徒から聞いた教師の名前を呼んで、「○○先生、一緒に歩きましょう」と穏やかに返しました。人口30万人の地方都市での経験でした。

P1070297_1  代々木公園には既に、大勢の人びとが集まっていました。9・19集会のときの、あの圧倒的な人数と熱気には及びませんでしたが、会場に集まった参加者からは、脱原発に向けた持続的で真摯な意志を、強く感じました。
 オープニングは、the JUMPSというロックグループのコンサートでした。耳をつんざくような大音響には閉口しましたが、彼らの強烈な脱原発メッセージは、十分に伝わってきました。
 いよいよ開会となり、呼びかけ人からの発言がありました。  P1070300_1  最初に、大江健三郎さんが話しました。再び事故が起こったら、この国を保つことはできない。政治家や官僚や東電が、無理な原発の再稼動をたくらんでいるが、私たちはこれに抵抗しなければなりません。原発を全廃することは、経済や政治よりも、人間にとって一番大切な倫理の問題です。大江さんは、このように語りました。
 福島からは、三名の方たちが発言しました。福島県平和フォーラムの永山信義さんは、原発を推進してきた人たちが謝罪したか、反省したか、処罰されたかと問いかけ、事態は何ら変わっていない事を訴えました。P1070309_1 夫と義父母を残し、三春町から小学1年の娘とともに避難してきた増子理香さんは、何故福島から避難してきたかを話しました。娘に、他所から手に入れた安全な水を学校へ持っていかせたところ、先生から「学校の水は安全だから、家から持ってきた水を飲んではダメ」と禁止されことがきっかけでした。学校は子どもたちを放射能から守ってくれない、親である自分しか守ってやれないと痛感した、と悔しさをにじませた発言でした。有機農業を実践してきた菅野正寿さんは、二本松市で米やトマトを作る専業農家ですが、有機農業にとって最も大切な落ち葉や稲わらや堆肥が放射能汚染で使えなくなったため、有機農業を営む農家の苦悩は極めて深刻だ、と報告しました。同じ二本松市で、有機農業で野菜を作っていた農民が自ら命を絶ったニュースを、思い出しました。
P1070311_1 ひと際あかるく元気に飛び出してきたのは、俳優の山本太郎さんでした。舞台袖でカメラを回していたヒゲ面のアルジャジーラのカメラマンを舞台中央に呼び上げ、日本人の脱原発の声を世界に届かせよう、とシュプレヒコールを参加者とともに唱和しました。原発反対!再稼動反対!子どもたち守ろう!。こうした若者たちの出現に、胸が熱くなりました。
 デモは新宿コースに参加し、その後、ご一緒した先輩ご夫婦と蕎麦屋で飲んで、家路へとつきました。 
     

.「さようなら原発1000万人署名」オンライン署名のお願い

Croppedtop11 
 最終締切日2012年2月29日まで、残すところ16日となりました。「里山のフクロウ」を訪問し、この記事を読まれた方は、是非、オンライン署名をお願いします。ココをクリックすると、オンライン署名ができます。

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