菜の花プロジェクト
先週の土曜日、甘楽町の友人たちが主催した「菜の花の集いinぐんま」に、手伝いをかねて参加しました。この集いのテーマは、「菜の花が地域と地球を救う」。気宇壮大にして地道な活動。はたして、どんな夢と現実が語られるのか。
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主催者の「菜の花プロジェクトin甘楽」は、菜の花栽培をとおして遊休農地の活用、菜たね油の生産、食用廃油のバイオ・ディーゼル燃料(BDF)化などをめざした市民運動です。中心となるメンバーは、20数年前、私が富岡市に住んでいたとき、平和運動や文化運動を一緒にした仲間たちです。運動を立ち上げて7年、このプロジェクトの栽培する菜の花畑は甘楽町中心に、34ヶ所5haまで広がってきました。収穫した菜種から搾油した菜たね油は、「甘楽の里 菜たね油」のブランド名で、町の道の駅などで販売されています。わが家もファンのひとり。もっぱら天ぷら用に愛用し、他にない香味を楽しんでいます。
「菜の花の集いin甘楽」は、模擬店とコンサートと講演の三本柱で構成されていました。11時30分の開会式のころには、会場となった町の文化会館の前庭やロビーは、沢山の人で一杯となりました。300食用意したうどんが、昼過ぎには売り切れとなる盛況振りでした。「菜の花プロジェクト」独自の出品は、食用廃油からつくったバイオ・ディーゼル燃料(BDF)で稼動させるトラクターとメンバーが作った搾油機で、それぞれ実演され、参加者の関心を集めました。コンサートでは、女性コーラスとブラスバンド、そして代表自ら歌うカントリー・バンドが登場し、やんやの喝采をうけました。この運動体にはいつも音楽がともない、参加者をやさしく包み込みます。この日のメイン・イベントは、菜の花プロジェクトの創設者で同ネットワーク代表の藤井絢子さんの講演でした。まず、この運動の歴史が語られました。
菜の花プロジェクトの前史は、1970年代からはじまった、琵琶湖の水環境改善のための「合成洗剤をやめてせっけんを使う」運動にありました。このときから、廃食油を回収してせっけんを作り、資源循環サイクルづくりがはじまりました。90年代に入ると運動は、廃食油の再利用によるBDF(バイオ・ディーゼル燃料)精製と活用へと、新たな展開をみせました。エネルギーを創りはじめたのです。
こうした前史のうえに、1998年、転作田利用による菜の花栽培にまで広げた資源循環サイクルづくりがスタートし、菜の花プロジェクトがはじまりました。そして現在、この運動は、「食とエネルギーの地産地消」「国際ネットワーク」「未来世代との協働」をテーマに、全国にネットワークを広げました。
こうして、菜の花プロジェクト・資源循環サイクルが誕生しました。つまり、【菜の花栽培 ― 搾油してナタネ油製造・食利用 ― 廃食油回収 ― BDF化・エネルギー利用 ― トラクター運転・菜の花栽培】という資源循環サイクルをとおして、ささやかながらも、「食とエネルギーの地産地消」が実現しました。
このあと、藤井さんは、菜の花プロジェクトの目指す方向について、次ぎのように語りました。化石燃料と原発中心のエネルギー構造に支えられた「大量生産・大量消費・大量廃棄」が象徴する20世紀型産業社会の後始末を「大量処理型」で解決するのではなく、地域のことはできるだけ地域で解決していくという「自立分散・資源循環」の21世紀型産業社会のビジョンを住民に具体的に提示していくことを目指します、と力強く訴えました。(以上、講演とレジュメから)
藤井さんの講演から、「菜の花プロジェクト」の気宇壮大にして極めて地道かつ具体的な活動に、強く印象づけられました。内橋克人さんが提唱しているFEC自給圏(食料とエネルギーとケアの自給圏)構想の事例として、辰巳芳子さんが取り組んでいる「大豆100粒運動」とともに「菜の花プロジェクト」が取り上げられていましたが、藤井さんの講演を聴いて、内橋さんのFEC自給圏のイメージが具体像となり、胸に落ちました。
藤井さんは、「菜の花プロジェクト」の目指す方向の一つに、「国際ネットワーク」の形成をあげましたが、講演の中でも簡単に触れられたチェルノブイリの菜の花プロジェクトについて、紹介しておきたい。(この項は、講演会場で買い求めた『チェルノブイリの菜の花畑から』(河田昌東・藤井絢子編著・創森社2011/9刊)から)
チェルノブイリ救援・中部は、1990年以来、チェルノブイリ原発事故被災地に対し、医薬品や医療機器などを送る支援活動をつづけています。そして、07年から、ウクライナで最も汚染のひどいジトーミル州ナロジチ地区で、農業復興と地域の自立をめざし、「ナロジチ再生・菜の花プロジェクト」を開始しました。ナロジチ地区は、チェルノブイリ原発から70㎞の地点にあり、セシウム137やストロンチウム90による汚染は、37,000Bq/㎡以上の状態にあり、放射能厳重監視区域かつ作付け禁止地区に指定されています。プロジェクトの目的は、高濃度に汚染された地域での菜の花による土壌浄化とバイオ燃料生産。
多数の現地スタッフによる膨大な実地実験の結果は、次のようなものでした。
①菜の花栽培によって、土壌に固く結合したセシウム137の土壌中濃度を、速やかに減少させることはできない。ナタネ種子には500~700Bq/㎏移行したが、吸収されたのは水溶性セシウムだけだった。
②搾油されたナタネ油には、放射性物質が含まれないことが実証できた。BDFだけでなく食用利用が可能となつた。
③輪作体系での菜の花の後作、ライ麦・燕麦・小麦・蕎麦の放射能汚染は、極めて少なかった。水溶性セシウム137が、前作の菜の花によって吸収されたためである。
以上の実験結果から、著者の河田昌東さんは、「こうして、土壌汚染があっても汚染の少ない作物栽培の可能性が開けた。これまで20年以上放棄され荒地になっていたウクライナの大地を、バイオエネルギー作物と食用作物を交互に栽培し、ゆっくり時間をかけながら土壌汚染を減らしていくという新たな形の農業が可能になった」と大きな期待を述べています。そして州政府が、こうした新たな農業を汚染大地でやっていくことを宣言し、「ナロジチ再生・菜の花プロジェクト」が、本格的に動き出したのです。
「ナロジチ再生・菜の花プロジェクト」の成果は、福島原発事故の被災地復興に生かすことができるのではないでしょうか。あらゆる可能性のひとつとして、検討されるべきだと思います。ただ、農作業、搾油およびバイオガス製造時等での各作業者の被曝をどう防ぐのか、という大きな課題が立ち塞がっています。4月28,29日、福島県須賀川市で、「第12回全国菜の花サミット」が開催されます。ここで、チェルノブイリの経験が報告され、農地の放射線量低減と食の安全について議論されるようです。その成果を期待したい。
今回のグンマでの集会は、「菜の花プロジェクト」の持っている普遍性、可能性、国際性をじっくりと学ぶことができました。今後、甘楽町の友人たちとともに、菜の花プロジェクトに何らかのコミットをしていきたい。
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