バンブー・ウィーク
定年後の生活には、5月の連休は関係ありませんが、世間のそわつく様に影響されて、この1週間は、バンブー・ウィークとして終日、竹林で暮らしました。作業小屋が完成したので、竹林の居心地は、さらに良くなりました。昨年の連休は連日、真竹林の間伐作業に明け暮れたのですが、今年は、シーズン最後の竹炭焼きにひとり従事しました。(写真左が炭焼窯、右が作業小屋)
普段竹林では、2、3人の仲間と一緒に、もっぱら枯竹除去や間伐作業をしており、炭焼きは手伝い程度の関わりでしたが、炭焼き班ははやくも飽きたのか、一向に作業がはかどりません。窯の完成した昨シーズンは、10回以上炭焼きをしたのですが、今シーズンは1回焼いただけ。窯には、立て込まれた竹が、炭焼きを待っています。そこで連休を使って、やや季節はずれながら、今シーズン最後の竹の炭焼きをすることにしました。
これまでは、最初から本焚き(一気に火力を強めて、窯内の竹に着火させる作業)をし、ほぼ直線的に温度を上げて30~40時間ほど燃焼させ、煙色が青白くなったとき窯を閉じていました。その結果、竹炭の完成歩留まり(炭/炭+灰)は低く、しかも炭質は、半焼き(地元では「下駄を履く」という)のものが大半という始末。到底「炭焼きをやっている」と他言するのも、恥ずかしい。そこでネットで、竹炭焼きの先達の経験を検索し、ひとり気ままに、なるほどと納得のいった方法で実行することにしました。
それは、「前焚き→本焚き→精錬(ねらし)」の3段階を踏まえよ、ということでした。
前焚きは、窯内の竹の水分を抜き、発生した水蒸気で窯内の温度を徐々に上げるという、本焚きのための準備。堅炭製造に欠かせない段取りのようです。連休初日から3日間、竹林整備をしながら断続的に、焚口(窯との間には小さな隙間がある)で枯れ竹と薪をくべつづけました。窯内部の竹に着火させると、前焚きでなくなるため、大きな炎を出さないように慎重に燃やします。
4日目、朝の6時半から焚口で薪をくべつづけ、徐々に温度を上げていきました。午後には、焚口いっぱいに薪を投入し、夕方に着火することを期しました。帰り際、煙突の排煙温度は60℃程度まであがり、着火の兆候を見せ始めたので、再び焚口に薪をぎっしりと詰め込み、翌朝までには目標の80℃程度まであがるだろうと見通して、夕方6時過ぎに帰宅しました。翌朝は雨。朝6時、炭焼窯にいき早速、煙突の排煙温度を測定。しかし、温度は50℃くらいに落ちていました。窯内の竹に着火しておれば、前日よりも温度は上がっていなければならないはずです。焚口の薪も、燃え尽きていました。
5日目も、前日同様のことを繰り返しましたが、再び失敗。どうしても温度が上がらない。窯の中の竹に着火しないのです。そして6日目、仕方なく焚口と窯の間の壁にある穴を広げて、再び薪を燃やしました。これでやっと窯の中の竹に着火し、その日の夕方目標の80℃まで温度があがりました。そこで薪をくべることはやめ、空気量を減らすため焚口と煙突の半分以上を塞ぎ、その後36時間ほど焚きつづけました。 白い煙が、もくもくと盛んにあがり、窯の中での熱分解(あるいは燃焼)模様を教えてくれます。この間、ほとんど80℃の温度を保ちつづけました。
8日目朝、白い煙もうすれつつあり、排煙温度が再び下がってきたので、最後の工程である精錬(ねらし:煙突と焚口の空気取り入れ口をひらけて徐々に温度をあげ、排煙温度300℃位の高温にする。良質の堅炭をつくるための仕上げ工程)をあきらめて、焚口と煙突を完全に塞ぎました。この状態で、1週間おきます。はたして1週間後、窯を開いたとき窯の中の竹は、炭となっているのか灰となってしまっているのか。
今回の炭焼きは、昨年の数回の体験とネット情報をつまみ食いした程度の浅知恵での実践でした。当然のことながら、炭焼きの技術がまったく、身体化されていない。まさに、「10年はやい」と先達たちに叱責されそうです。ただひたすら薪をくべつづけるだけで能がなく、右腕がいたくなっただけでした。ただ、大雨の中ただひとり、竹林のなかですごした経験は、得がたいものでした。煙突の煙に気をとられながら、作業小屋で目取真俊さんの小説『水滴』『魂込め』『風音』の3冊を読みつづけました。そこでは、沖縄の自然と習俗と戦争を題材にした奇想な物語が、静かに語られており、私はおもわず、作者・目取真俊の世界に、強く引き込まれました。
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