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2012年6月12日 (火)

土本典昭監督の30年前の警告

 地元の町で、放射能から子どもを守る運動をやろう、と「9条の会」のメンバーから声がかかり、その世話役を引き受けることになりました。早速7月上旬に、放射能と原発についての映画を観る会を、計画しました。そこで、先行している他の会からDVDを何本か借り受け、昨日・今日と見つづけています。このなかに、1982年に制作された土本典昭監督の『原発切抜帖』という、大変ユニークで興味深い作品がありました。

 サクッサクッと、刃の長い鋏が、新聞を切り抜いていきます。記事はすべて、原発に関係するものばかり。本棚には、何冊ものスクラップブックが、並んでいます。スリーマイル島原発事故(79年)や敦賀原発の放射性廃液流出事故(81年)に危機感を抱いた土本監督は、長年切り抜いてきた新聞記事を題材に、原発を見直すためのドキュメンタリーを作りました。丁度、30年前のことです。

 1945年8月7日、朝日新聞は、前日の広島爆撃のようすを数行のベタ記事で、次ぎのように伝えました。「焼夷弾爆弾をもって・・・若干の損害を蒙った模様」。核(原子力)についての隠蔽は、このときから始まったといえるかもしれません。

 81年3月8日の敦賀原発・放射性廃液流出事故の記事には、下請け作業員が、バケツで廃液をくみ出したり、ボロ雑巾などで堰き止めたりした、とあります。また、74年9月2日の原子力船「むつ」の放射線漏れ事故の記事には、ホウ素入りの飯団子や古靴下で炉の隙間を埋めた、と報告されています。福島原発事故の際、放射能汚染水が海に漏れ出したとき、新聞紙や紙おむつを流して穴を防ごうとした、というテレビ報道を思い出します。

 相次ぐ原発事故の際の、行政や電力会社などの弁明あるいは居直りの弁が、紹介されています。「研究所内の実害のない事故を、いちいち取り上げていたら、研究意欲をそぐ」「(ウラン溶液漏れは)たいしたことはない。たとえ漏れ出しても心配ないように、受け皿を設置している」「溶液漏れ自体はないのが望ましいが、ありうることで小さな事実だ。事故とは考えていない」「(冷却水漏れは)通常のプロセスだ」。こうした「たいしたことはない」という言葉は、30数年後に私たちは、福島第一原発の過酷事故に際しても、聞くことになりました。

 ビキニ諸島での水爆実験は、第五福竜丸の乗組員とともに、島民にも多くの被曝者を出しました。72年11月18日の記事には、マーシャル群島に住む19歳の青年が、赤ん坊のときに浴びた「死の灰」が原因で、白血病で亡くなったことを報じています。また、アメリカの水爆実験で被ばくした多くの兵士たちは2、30年後に、ガンに罹り死亡した、と記されます。80年11月4日の記事には、前年にガンで亡くなった俳優のジョン・ウェイが、54年、映画「征服者」のネバダ・ロケ中に被ばくしていたことを報じた外電を、伝えています。そのときの撮影スタッフ150人のうち91人がガンに罹り、うち46人が死亡しました。これらはいずれも、被ばく後20年から30年たったあとにガンや白血病に罹病し、死亡しています。

 79年にできたパラオの非核憲法では、核兵器とともに原発や核廃棄物の使用・実験・貯蔵・配備を禁止していたことを、今回初めて知りました。日本の非核3原則は、それ自体もザル原則であったのですが、原発と核廃棄物については、フリーパスでした。 

 ナレーターによって紹介された、あるアジアの青年の言葉は、「被爆国」であり「原発大国」でありつづけている日本社会に、痛烈な一撃を与えるものです。「原爆をうけた日本が、あれだけ原発をやっている。このことが、わたしの国で原発を造るときの安全性説得の決め手になっているのです」。その日本社会が、原発の過酷事故を起こしてしまったのです。

 30年前、このユニークなドキュメンタリーを制作した土本監督は、長年にわたって、水俣病の患者さんたちと向き合ってきた映画人です。可能な限り、患者さんたちの立場に立って、加害企業と国家の欺瞞性を暴き、責任を追及しました。『原発切抜帖』においても、この立場は、変わりません。福島原発事故を経験した今、多くの人びとに観てほしいドキュメンタリー作品の一つです。

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コメント

司馬遼太郎の言葉に「アジア的停頓」と言うものあり、どう言うことかずっと疑問に思っていました。それは大陸おいて中国や韓国が鉄の発見で高度な文明・文化を実現したが、反面その鉄を作り出すために沢山の木を切り倒し多くの禿山を作り出したことによって、その後の文明・文化の停滞を招いたと言うこと意味しているらしい。その後日本に山林を求めて大陸から多くの人が移住してきて我が国も大いに発展したが、幸い日本には多くの山林があり雨量があったことから大陸のようなことにならなかった。このため日本は停滞を免れその後アジアにおける先進国の地位を確立できたと言えるが、昨年の3/11以降の無定見な原発政策は新たに「日本的な停頓」を招きかねないと心配になります。特に最近の野田政権は再稼働ありきの姿勢が見え見えで国際的にも信用を失いかねない。また単に嘗ての成長路線を踏襲しているすぎない政策は当に哲学の貧困に他ならないと失望している次第であります。

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