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2012年7月17日 (火)

「わたしらは侮辱のなかに生きています」

 昨日、代々木公園で開かれた「さようなら原発10万人集会」に参加しました。昨年の明治公園での6万人を数えた9・18集会をはるかに越えた、巨大な人びとの集まりでした。前日、地区の道路清掃で暑さにあたり、すこしばて気味だったのですが、代々木公園の会場について、人びとの発する誠実な熱気に励まされ、自らの体調を立て直しました。

 そうはいっても、夏空の炎暑のもと、大事をとって第一ステージ後方の大きなケヤキの樹の下で、舞台にあがった呼びかけ人たちの発言に聞き入りました。すでに今日現在、各メディアが、これらの発言要旨を伝えているので、全体については省き、ただ大江健三郎さんの発言のみを、やや詳しく紹介したいと思います。大江さんは、「わたしらは侮辱のなかに生きています」と、中野重治の短編小説からの引用を、発言の要(かなめ)としました。(大江発言は、YouTubeの録音を文字に落としたものです。生の発言を聞かれることを、お奨めします)

  大江健三郎さんのやや詳しい発言要旨

 昨年9月の明治公園の集会に参加し、生まれて始めての経験をしました。6万人を越える市民が集まり、それは群集という人ではなく、ひとりひとり、注意深い市民たちが、個人の意志によって集まった集会であった、ということがわかりました。
 ひとりの東北からやってきた女性が、静かに話され、それは私たちの魂に浸み込みました。私は、さようなら原発の運動は、勝つと思いました。
 そして私は、750万人を越える署名をもって、首相官邸に行き、官房長官に渡しました。その官房長官の答えは、首相のいうことを聞いてください、とのことでした。翌週、首相が大飯原発の再稼動を決意した、という声明を聞くことになりました。大飯原発は、再稼動されつづけています。わたしは正直、落ち込んでしまいました。

 私は、ずっと尊敬してきた作家、中野重治の仕事を読んでいました。私たちの父親の世代と私たちの世代でもっとも大きい作家であり、もっとも優れた人間が、中野重治さんです。中野さんが、77歳という私の年齢で亡くなられたことを思いました。彼は、一生に実に多くの仕事をされました。その初期の作品に、『春さきの風』という短編があります。
 中野さんがモデルで、彼は勇敢な働きをして、逮捕されます。奥さんも、8ヶ月の赤ん坊とともに、保護檻に入れられます。冬の寒い保護檻で、赤ん坊は病気となり死んでしまいました。留置場を出た奥さんは、監獄にいる夫に対して、ひとり部屋にこもって、手紙を書きます。

 もはや春かぜであった。
 それは連日連夜大東京の空へ砂と煤煙とを捲き上げた。
 風の音のなかで母親は死んだ赤ん坊のことを考えた。
 それはケシ粒のように小さく見えた。
 母親は最後の行を書いた。
 「わたしらは侮辱のなかに生きています。」
 それから母親は眠った。
           (小説『春さきの風』の末尾。大江さんは、「ケシ粒」の1行は朗読せず)

  何よりも、この母親の言葉が私を撃ちますのは、原発大事故のなおつづくなかで、大飯原発を再稼動させ、さらに再稼動を広げていこうとしている政府に、私らは今、自分が侮辱されていると感じているからです。「わたしらは侮辱のなかに生きています。」そして今、まさにその思いを抱いて、ここに集まっているのです。10数万人にのぼる私たちは、侮辱のなかに生きていくしかないのか、あるいはもつと悪く、次の原発の大爆発によって侮辱のなかで、死ぬほかないのか。そういうことであってはならない。私たちは、政府の目論見を打ち倒さなければならないし、確実に、打ち倒せる。私たちは、原発の恐怖と侮辱というものを包んで、自由に生きていけると、皆さんの前で心から信じています。

 以上が、8分間余の大江健三郎さんのメッセージです。「わたしらは侮辱のなかに生きています」ということを、もうすこし歴史的文脈のなかで理解したいと思い、中野重治の『春さきの風』を、高崎市の図書館から借りてきて、読みました。懐かしい3段組の筑摩書房刊「現代日本文学全集38」に、プロレタリア作家の葉山嘉樹や小林多喜二とともに、中野重治の作品が、収められていました。
 作品は、三・一五事件(1928年3月15日発生の無産政党弾圧事件)で犠牲になった無産政党関係者をモデルにしています。中野重治年賦には、「二月、第一回普選にあたり香川県の大山郁夫候補の応援に行き、逮捕される」とあります。この小説は同年8月に脱稿。大江さんの発言では、やや聴きづらい箇所でしたが、中野重治その人がモデルとされているように聞き取りました。中野逮捕は史実ですが、中野の結婚は年賦では、1930年4月となっており、小説の主人公である母親は、中野重治の妻に該当しません。あるいは、モデルは作家以外の別人かもしれません。それはともかく、小説では、赤ん坊が、父親と母親とに連れられて、留置場に入れられます。陰気で寒い留置場の中で、はじめ泣き止まなかった赤ん坊が、様子がおかしくなり、熱を出します。母親は、看守に医者を呼ぶように訴えますが、看守は言を左右にして、赤ん坊を放置します。やがて容態が悪化すると、看守は慌てふためき、やっと医者をよこします。しかし赤ん坊は、医者の処方した薬を吐き出し、ついには死にます。このときの母親の思いを、作家は次のように記しています。
 「いま母親の思っていたことは、生から死へ移っていったわが子を国法の外にささえることだった。」
 言論弾圧での不条理な逮捕、留置場での赤ん坊の病気と死、再逮捕時の特高警察による母親に対する殴打。留置場を出た母親は、ひとり部屋の中で、夫から来た手紙を読み、そして返事を書きます。大江さんの朗読した文章は、この後に続きます。
 今、原発事故から垂れ流された放射能の被害におびえる母親たちは、果たして、健康な生存権をうたった憲法25条をもつ国の法律の内側で、子どもたちを支えることができるのだろうか。それとも、「わが子を国法の外に支えること」しかできないのだろうか。大江さんが力強く主張されたように、私たち大人が、「政府の目論見を打ち倒さなければ」、子どもたちを国法の外に支えることになるのではないでしょうか。大江健三郎さんの中野重治の『春さきの風』の引用に、そのことを、読み込みました。

                                                                        

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