南会津への旅、そして駒ケ岳登山
先週末、会津駒ケ岳に登るため、南会津へ行きました。桧枝岐村で前泊し、翌日早朝からの登山計画。桧枝岐へ行く途中、村の景観が美しい大内宿に寄りました。真実の日本の姿を奥地に求めた英国人旅行家イザベラ・バードは、1878年(明治11年)6月末、日光から会津西街道を経て会津盆地へ抜ける途中、この村の農家で一泊しています。
バードは、国境の山王峠から夕日に光り輝く南会津の連山をみて「この世のものとは思えぬ美しさ」と讃え、大内宿を「山にかこまれた美しい谷間の中にあった」と形容しています。茅葺き屋根の集落は、バードから130年余を経た今日、その美しさと懐かしさから多くの観光客を呼び寄せ、それぞれの農家は、蕎麦屋や土産物屋となって、客を迎えています。昼はその一軒に入り、すりつぶした胡桃いりの漬け汁で蕎麦を食べ、素朴な味わいを堪能しました。
宿のある桧枝岐村では運よく、この日の夜、村人の演じる歌舞伎を見ることができました。早めの夕食をとったあと、舞台のある鎮守神の境内へと急ぎました。村をとおる道路端には、地元の新聞社やテレビ局の名の入った幟が、曇り空のもとではためき、人びとを歌舞伎へと誘います。会場には、開演1時間前にかかわらず1200人以上が入るという席が、ほぼ満席の状態でした。地元の村民はもちろんのこと、遠く関東や東海地方からも、ファンが詰め掛けていました。
私たちの席の後ろには、千葉県から来た高校生グループが、熱心に観劇していました。
この日の演目は、「一之谷嫩軍記 熊谷陣屋の段」。平家物語の熊谷直実と平敦盛に題材をとった狂言。もとより古典劇の才なく、登場人物たちの言葉も、十分に聞き取れませんでしたが、村人たちの熱演によって再現された平家物語の世界が、南会津の夜空のもとに、深々とひろがりました。
翌19日、早朝6時30分すぎ、一行7名で、滝沢登山口から会津駒ケ岳山頂まで5.3㎞の登山に出発。ブナ樹林に囲まれた登山道は、最初から急な登り道で、30分ごとの小休止が、待ち遠しい。8時、出発地から2.4㎞の地点にある水場に到着。岩場の苔から滲み出てきた冷たい水で乾いたのどを潤し、よみがえった気分になる。15分ほど休憩したあと、再出発。頂上まで2.9㎞。
水場を越えたあたりから、登山道はややゆるやかとなり、樹林は徐々に、オオシラビソなどの針葉樹が優勢となってきました。9時30分、一気に視界が広がり、駒の小屋を遠望できる地点に到着。山頂まで1.2㎞。昨日の曇天が嘘のように、空は晴れ上がっています。樹林帯を抜け出ると、広大な湿原や草原が、広がっていました。
. このグループで、2年前に登った燧ケ岳が、湿原の向こうに、雄々しくそびえていました。
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.池塘に映しだされた雲は、ゆつたり浮かんでいます。
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. 湿原には、小さな花たちが、夏を名残り惜しむように、咲いていました。タテヤマリンドウ(立山竜胆)
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10時ちょっと前に、 駒の小屋に到着。頂上までは0.7㎞、約20分の行程。何組かのグループが、昼食をとっていました。私たちは、登頂後に食事することにして、早速、頂上を目指しました。コバイケイソウ(小梅蕙草)やオオクマザサ(大熊笹) の群落の間をとおり、背の低い針葉樹林帯をくぐって、進みました。
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. 10時30分、会津駒ケ岳頂上に到着。海抜2132m。丁度4時間かかっての登頂でした。年齢平均65歳の登山隊の記録でした。
登頂のあとは、中門岳にむかうなだらかな尾根筋を半分ほど行って引き返し、途中、駒の小屋で昼食をとって、下山しました。滝沢登山口に戻ったのは、14時20分。全行程10.6㎞、約8時間の登山行でした。
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いつも山から元気をもらっている、山好き50歳女性です。
会駒はいつか登りたいと思っていましたが、具体的にイメ-ジがつかめました。参考になりました。
投稿: | 2012年8月22日 (水) 16時54分