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2012年8月 8日 (水)

8月6日の朝

 一昨日の朝、いっときロンドン・オリンピックの興奮と喧騒から離れ、NHKの報じる広島原爆祈念式典の静かな映像を見ました。8時15分、会場の参加者とともに、1分間の黙祷。その後、広島市長と小学生の誠実な挨拶を聞いたあと、毎年ひどく違和感を感じる核抑止論者の首相の登場前に、NHKからDVDに切り替え、井上ひさし原作、黒木和雄監督の映画『父と暮せば』を観ました。

 8月6日、広島に落とされた原子爆弾によって、すべての身寄りを亡くした若い女性が、ひとり生き残りました。彼女は、亡くなった人びとに対して、「うちゃあ生きとんのが申し訳のうてならん」と言い、「うちがしあわせになっては申し訳が立たんのですけえ」と思いつめています。ある日、彼女に好意を寄せる青年が現れ、彼女も魅かれます。しかし、自分だけが生き残ったことの負い目から、必死になって、自分の恋心を抑え込もうとします。そこに、「恋の応援団長」をかってでた父親が、現れます。父親はあの日、原爆の閃光にうたれ、倒壊した家屋の下敷きになって、娘の面前で死んでいったのです。この作品は、こうした父と娘の会話からできています。

 この映画をはじめてみた7,8年前、岩波ホールの暗がりのなかで、娘の痛々しいほどの死者への思いと、青年へのいたいけな恋心に、何度も目頭を押さえたことを思い出します。原作者の井上ひさしは、脚本『父と暮せば』の文庫の「あとがきに代えて」で、この芝居を、「一人二役」の手法に助けてもらったと書いています。「しあわせになってはいけない」と自分をいましめる娘と、この恋を成就させることで「しあわせになりたい」と願う娘との、「一人二役」。しかし、「願う娘」は、亡くなった父親が演じます。つまり脚本は、「二人一役」となりました。作者の仕掛けは、映画でも十分に生かされて、観客を泣かせそして笑わせました。

 数日前の深夜、NHK・Eテレは、2000年に制作された「井上ひさし『原爆を語るということ』」を、再放送しました。このなかで井上は、原爆について語るにあたっては、被爆者の言葉がぎっしりと書かれた1万点以上の原爆手記を読みとおし、それを5冊の手帳に、写経として書き写した、と語りました。テレビに映し出された手帳には、細かな文字が几帳面に、縦書きされています。「私らはここをはなれまいね」「そこにはお話もないし、画もないし、詩もないんです。すべてがなくなるんです」「父に、苦しいから殺してくれ、と」。こうした被爆者の言葉が、脚本『父と暮せば』として結実したのです。

 このテレビ番組のあとにDVD『父と暮せば』をみたので、手帳に書かれていたこれらの言葉を、映画のなかで聞き落とすことはありませんでした。メモの一部を文庫から引用すると、次のとおりです。「中央電話局に入った乙羽さんは、ピカに打たれて動けんようになってもうた後輩二人を両腕に抱いて、「私らはここを離れまいね」いうて励ましながら亡うなったそうです」。父・娘の、ともに饒舌ともいえるたくさんの会話の中に、そっと入れられた、たった3行の挿話。井上は、このテレビ番組の中で、語ります。「(被爆という)とんでもないことになっているなかで、後輩たちを集めて、ここから離れないよ、と励ましながら死んでいく。ここまで人間らしくなれるのか。とんでもない理不尽で不条理な運命の中で、それをがっちりと受け止めて堂々としている。これら被爆者の言葉は、聖書の言葉と同じだ」。
 小説家にして劇作家・井上ひさしの世界は、こうして作者によって発見された言葉から成り立っているのだ、とあらためて認識しました。

 もしも井上ひさしが生きていて、3・11を体験していたならば、彼はただひたすら、被災者たちの声に耳を傾け、そのなかに『父と暮せば』に貫かれていた堂々とした人間たちを発見したに違いない、と想像しました。
  

 

 

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