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2012年9月 1日 (土)

脱原発 二つの集い

 毎週金曜日の首相官邸前での脱原発・原発再稼動反対デモは、「一時の現象(ブーム)」という見方を乗りこえて持続性を発揮し、しかもその影響は、日本社会に広くかつ深く、浸み込んでいくようです。当初、無視あるいは軽視を決め込んでいたマスメディアも、最近では、さかんに取り上げるようになりました。
 北関東の地方都市での脱原発運動も、地味ではありますが、継続して取り組まれています。

 先週日曜日、町の公民館で「吉井9条の会・結成6周年の集い」がありました。この日のメインは、元高校教師の歴史研究家・内藤真治さんによる『原発と憲法9条-なぜ再稼動に執着するか』と題した記念講演でした。会員中心の40名近い参加者の内訳は、9割高齢者・8割女性といったところ。区主催の「ふれあいの日」の参加者模様と、同じです。この地の脱原発も地域再生も、高齢者と女性が、主役です。
 
 内藤さんの話から、強く印象に残ったことを二つ、紹介します。
 
 ひとつは、3・11以後の大手メディアの動向を語ったときに出た話題。「7・16さようなら原発10万人集会」翌日の紙面比較から、脱原発へのスタンスが、「東京・毎日・朝日VS読売・産経・日経」の様相を呈していると断じ、とりわけ積極的に、脱原発の論陣を張っている東京新聞の「反省」について、同新聞コラム「筆洗」を引用して紹介されました。孫引きします。

 「殺人や汚職事件の取材にかける百分の一の労力を、政局の取材に使う百分の一の知恵を、プロ野球や五輪、サッカーのワールドカップの取材に向ける百分の一の情熱を、国の原発政策の監視に注いでいれば、この人災は防げたのではないか」(2011/4/7東京新聞「筆洗」から)

 この「反省」コラムは、東京新聞の編集者や記者たちが、福島原発事故から受けた大きな衝撃のまえで、謙虚にうなだれ、そして誠実に反省しょうとしている姿として、目に映りました。普段は、ネットのNPJ(News for the People in Japan)ホームページから東京新聞のネット記事を読み、その報道姿勢に共感したり教えられることが多かったのですが、その背景に、こうした反省があったのだと、初めて知りました。メディアへの信頼を引き止める、貴重なコラムだと思いました。

 内藤さんの講演から、もうひとつの話題。
 国会事故調査委員会の指摘にある、原子力ムラが戦前の「無責任な体系」と共通している、ということに関する話。原子力ムラの組織と人びとは、自分たちにとって「望ましくないことは起こらない」ことと、決めてかかっていた。だから、原発事故時の対応マニュアルも住民の避難訓練もみな、おざなりで非現実的なものだった。同じことが、軍隊にあった。日本兵は、絶対に捕虜にならない。なぜならば、1941年に陸軍大臣・東条英機がだした「戦陣訓」には、「生きて虜囚の辱めを受けず」とあったから。しかし現実には、日本兵は捕虜となった。そして彼らは、米軍に対して、日本軍の機密を「ベラベラとしゃべった」。捕虜になったときの教育を受けていなかったのです。
 内藤さんの話を聞きながら、スティーブ・マックィーンの『大脱走』を思い出しました。米軍捕虜たちが執拗に、独軍収容所から脱走を繰り返し、敵軍をかく乱させるシーンです。米軍では絶対に、捕虜になったら「生きて虜囚の辱めを受けず」といった教育はしなかったはずです。

 脱原発の集いの二つ目。昨日の夜、「放射能から子どもを守ろう!高崎の会」主催の映画会がありました。鎌仲ひとみ監督の新しい作品『内部被ばくを生き抜く』。福島はもとより、日本列島全域での放射能汚染とそれによる内部被ばくに警鐘を鳴らしつづけている4人の医者が登場します。肥田舜太郎(広島で被曝、長年内部被ばくを研究)、鎌田實(チェルノブイリやイラクの白血病やガンの子どもたちを支援)、児玉龍彦(東大アイソトープ総合センター長、毎週末福島の現場で活動)、スモルニコワ・パレンチナ(チェルノブイリの小児科医)。印象に残った4人の発言。

 肥田舜太郎さん:被ばくとたたかう唯一の方法は、健康にいいことに集中すること。人の命は自分で守るもの、何が起こっても他人にたのまず、全力で生きる努力をしょう。
 鎌田實さん:放射能の影響は、ガンばかり言われるが、すべての病気に影響を与えます。遺伝子への攻撃と同時に、内部被ばくでフリーラジカル(活性酸素)がつくられ、動脈硬化、脳梗塞、高血圧、心筋梗塞、脳血管性認知症などすべての病気の進行を早める作用をします。
 児玉龍彦さん:放射線被害を真剣に考えたお母さんたちが日本の流れを変えています。
 スモルニコワ・パレンチナ:福島の住民は、常に放射能を浴び続けます。楽観的に対処してはいけません。

 映画上映の後、事務局から今後の取り組み計画が紹介されました。群馬県内の脱原発アクション・グループの交流会、放射線高崎市民測定所開設(食品、土壌等の検査)、そして東京の首相官邸前の金曜日デモに呼応した、「金曜日高崎駅西口・原発再稼動抗議行動」の呼びかけ。この金曜日行動の呼びかけ文に、次の一文があります。
 「原発事故は他人事でしょうか?柏崎刈羽原発は福島第一原発よりずっと群馬に近く、しかも事故が起きれば放射性物質の飛んでくる風下になります」。群馬の北半分は、直線距離で柏崎刈羽原発から100㎞圏内に入ります。東京電力はすでに、来春の柏崎刈羽原発の再稼動を公言しています。今後、毎週金曜日の夜、高崎駅西口で、東電・柏崎刈羽原発再稼動反対の声が、ひびき渡ることでしょう。

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