村上春樹著『ねじまき鳥クロニクル』に書かれた戦争の歴史
先月末、尖閣諸島をめぐる日中間の対立が、日に日に激しくなっていくなかで、村上春樹氏は朝日新聞にエッセーを寄稿し、「国境を越えて魂が行き来する道筋」を塞いではならない、と主張しました(9/28日刊)。この村上氏のエッセーは、その日のうちに中国版ツイッター「微博」に全文の中国訳が出回り、中国の人びとの間に、村上氏への共感の輪がひろがった、と朝日新聞は報じています(10/8日刊)。
私も、村上氏のエッセーに心打たれたひとりですが、とりわけその中で「ノモンハン戦争」について触れられた箇所に、興味を持ちました。村上氏は、小説(『ねじまき鳥クロニクル』)で取り上げた「ノモンハン戦争」の地を訪れたときの感想を、次のように書いています。
薬莢や遺品がいまだに散らばる茫漠たる荒野の真ん中に立ち、「どうしてこんな何もない土地を巡って、人々が意味もなく殺し合わなくてはならなかったのか?」と、激しい無力感に襲われたものだった。
村上氏の小説は、まだ一作も読んだことがありません。しかし今回のエッセーを読んで、氏の歴史認識の確かさを感じました。エルサレムやバロセロナでのスピーチを聴きまたは読んだときも、同じような感想を持ったものでした。これまで、人気作家故に避けてきたのですが、今回のエッセーを機に、村上作品を読んでみることにしました。初めての作品は勿論、『ねじまき鳥クロニクル』。文庫本で1400頁という長編ですが、比較的平易でわかりやすい文体なので、読みはじめて間をおかずに、村上氏の小説世界へと入っていくことができました。しかし、物語が進むにつれて、時間と場所が複雑に重なり合い、そこで起こった事件のもつ意味も多義的となって、頭は混乱します。だから、たった一回の読書で、この小説について文章を書くことは、私には到底無理です。そこで、村上作品を読む切っ掛けとなった「歴史」記述について、メモ程度に概要を書いておきたい。村上春樹氏の歴史認識について考える材料となれば、今後、村上作品を読んでいくうえで何らかの役に立つだろう、と思います。
小説『ねじまき鳥クロニクル』には、アジア太平洋戦争という歴史を背景にした三つの物語が、回顧的に語られています。一つは、ノモンハン戦争(1939年)前年の満・蒙国境における関東軍の謀略活動について、二つ目は1945年8月の、満州国の首都・新京の動物園での猛獣抹殺について、そして三番目は、敗戦後の日本人将兵たちのシベリア抑留について。まさに、戦中・敗戦・戦後のクロニクル(年代記)が、記されているのです。ここでは、最初のノモンハン戦争に至る歴史の章を取り上げます。同書「第1部 泥棒かささぎ編」の「12 間宮中尉の長い話・1」「13間宮中尉の長い話・2」の2章です。
語り手は、戦争中陸軍中尉として満州に駐留していた間宮徳太郎氏。間宮氏は、僕ら(主人公夫婦)が昔通っていた占い師・故本田大石氏の形見をもって、僕を訪ねてきました。二人は満蒙国境で、生死をともにしたことがありました。間宮氏は、、本田氏の死去にあたっての故人の強い遺志で、故人の形見を僕に届けにきたのです。そして、間宮元中尉と本田元伍長がともに、戦後ずっと口をつぐんできたある事柄を、間宮氏は僕に語りました。
間宮中尉は、浜野軍曹と本田伍長とともに、満蒙国境地帯のモンゴル人の生活・風俗を調査するという山本という男の警護を命じられます。山本は、平服を着ているが目つきや喋り方などから、情報関係の高級将校だと推定されました。間宮中尉は、何か不吉な予感をかぎつけます。
4人は新京を発ち、汽車とトラックを乗り継いで、満州国西部国境へ向います。そこは、砂漠のような荒野が果てもなく広がり、国境線などないようなものでした。しかし、満州国と国境を接するソ連と外蒙古は、国境線の侵犯に対しては非常に神経質で、それまでも国境線を巡って激しい戦闘がありました。間宮中尉は、荒涼とした風景の中、「自分という人間がまとまりを失って、だんだんほどけていくような錯覚に襲われる」ことがありました。
満州国軍の国境監視所でトラックから馬に乗り換え、満蒙国境線のハルハ河沿いに南下し、やがて山本は、ハルハ河を越えて対岸にいくと言いました。対岸のハルハ河左岸は、外蒙古の領土です。ハルハ河右岸でさえ、満州国は満州国領土としていますが、外蒙古はそこを自国領だと主張しており、危険な国境紛争地域なのです。ハルハ河左岸へ渡ることは、明らかな国境侵犯なのです。しかし、山本の指示により4人はハルハ河を渡って、外蒙古領土へ入っていきました。
その日の夕方、遊牧民の恰好をしたモンゴル人の男がやってきて、山本とともに西に向かって走り去りました。残された3人は、野営しながら山本の素性と彼の目的を、推測しあいます。山本は、特務機関の者で、興安軍あがりの蒙古人を集めた謀略部隊を作ろうとしているのではないか。山本を訪ねてきた蒙古人は、日本軍に内通を図っている反ソ派の外蒙古の将校ではないか。浜野軍曹は、このように語りました。満蒙国境で相対立する満州国と外蒙古は、一方が日本軍に実権を握られているように、他方がソ連に首根っこを抑えられいる。その中で反ソ派は暗躍し、満州国の日本軍と内通して、何度か反乱を起こしている。反乱分子の中核は、ソ連軍人に反感を抱く蒙古人軍人と農業集中化に反抗する地主階級とラマ教の僧侶たち。前年1937年(昭和12)には、首都ウランバートルで大規模な反乱計画が露顕し、何千という数の軍人や僧侶が大量処刑された。
浜野軍曹は、さらに語り続けます。反ソ派の反乱が成功すれば,ソ連軍が即時介入して反革命を圧殺するだろう。反乱軍は日本軍の援助を要請する。すると関東軍は軍事介入の大義名分ができる。外蒙古をとればソ連のシベリア経営の脇腹にナイフを突きつけることになる。内地の大本営にブレーキをかけられていても、関東軍参謀にとって、こんなチャンスはない。そうなれば国境紛争ではなく日ソ間の本格的な戦争となる。満ソ国境で本格的な日ソ戦争が始まれば、ヒットラーもそれに呼応して、ポーランドやチェコに攻め入るかもしれない。
間宮中尉は、歩哨に立ちながら、夜明けの光景を呆然と眺めていました。そして世界の果てに置き去りにされてしまった、と次のように述壊します。
「どうしてこんなぼさぼさとした汚い草と南京虫しかいないような広大な土地を、軍事的にも産業的にもほとんど価値のない不毛な土地を、命をかけて争わなくてはならないのか、私には理解できませんでした。故郷の土地を守るためなら、私だって命を捨てても戦います。しかしこんな穀物ひとつ育たない荒れた土地のためにひとつしかない命を捨てるなんてまったく馬鹿げたことです。」
翌日の夜明け時、山本は軍司令部に運ばねばならないという重要書類を携えて、戻ってきました。そして4人は、満州国への渡河地点にたどり着きました。そこには危惧したとおり、重装備の8人からなる外蒙古軍が、警戒に当たっていました。山本は、夜を待って歩哨を始末し渡河を強行する、と言い残してすぐに眠りました。戦闘と死の恐怖から、神経が昂ぶって眠れない間宮中尉は、歩哨に立っていた本田伍長のところに行き、腰をおろします。子どもの頃から霊感のようなものを持っていたという本田伍長は、「この中国大陸で少尉殿が死ぬことはありません」と予言します。
未明、ライフル銃の音に起こされます。渡河前に、蒙古兵に見つかったのです。拳銃や弾薬はもちろん、身包みはがされて裸となり、紐に縛り上げられました。歩哨に立っていた浜野軍曹はナイフで喉を切り裂かれてすでに死に、本田伍長の姿は見えません。ソ連製偵察機でやってきたロシア人将校は、山本に書簡の在り処を尋問しますが、山本は自分たちは地図の作成をしていただけで、そんな書簡のことは知らないと、白を切ります。山本は蒙古人将校によって、身体の皮を剥がれるという残酷な拷問を受けますが、口を割らずただ悲鳴を上げるばかりでした。「彼は両方の脚の皮を剥ぎ、性器と睾丸を切り取り、耳をそぎ落とし・・・頭の皮を剥ぎ、顔を剥ぎ、やがて全部剥いでしまいました」。何度か失神と覚醒を繰り返し、山本はついに、殺されてしまいます。間宮中尉は、その拷問と処刑の終始を見つづけるように、強いられました。
ロシア人将校は、間宮中尉に対して、殺すかわりに生き延びるチャンスをやろう、といって砂漠の中の涸れた深井戸の脇へと連行しました。銃口に向けられた間宮中尉は、撃たれて死ぬか井戸に飛び込むかの二者択一を迫られ、思い切って井戸に飛び込みました。間宮中尉の体は、砂袋のようにどさっと井戸に底に打ち付けられました。
間宮中尉は、世界の果ての砂漠の深い井戸の底、深い沈黙と深い暗闇の中にひとり残され、激しい痛みに襲われ、絶望と孤独に苛まされます。円形の井戸の入口からは、太陽の光が差し込み、あるいは数え切れない星が見えました。やがて時間がたち、暗闇と冷気の中、死ぬことを意識しはじめます。同時に、本田伍長の「中尉は中国大陸で死ぬことはない」という予言を、信じるようになりました。
三日目の朝に、間宮中尉は本田伍長に助け出されました。
間宮元中尉は、長い話の最後に、僕に伝えたかった事を、次のように語りました。
「私の本当の人生というのは、あの外蒙古の深い井戸の中で終わってしまったのだろうということです。私はあの井戸の底の、一日のうちに十秒か十五秒だけ射しこんでくる強烈な光の中で、生命の核のようなものをすっかり焼きつくしてしまったような気がするのです」。帰国後、社会科の教師になったが、生徒たちとの間に人間的な絆もできず、人を愛することもなかった。人を愛するということがどういうことかも、わからなくなった。「日本に戻ってきてから、私はずっと抜け殻のように生きておりました。・・・抜け殻の心と、抜け殻の肉体が生み出すものは、抜け殻の人生に過ぎません。私が岡田さん(僕)にわかっていただきたいのは、実はそのことだけです」。
間宮元中尉の長い話は、このようにして終わりました。
間宮中尉の長い話は、小説『ねじまき鳥クロニクル』の一部分に過ぎませんが、そこで語られた戦争の暴力性と井戸のエピソードは、一貫してこの小説の底辺に、流れつづけます。そして歴史的背景であった満蒙国境紛争とノモンハン戦争への強烈な関心が、冒頭に紹介した村上春樹氏のエッセーの歴史認識の土台となっていることを、読者は了解します。尖閣諸島における領土紛争の不毛性と危険性を、ノモンハン戦争に見出した著者の慧眼に、脱帽します。
初めて読んだ村上春樹氏の小説は、事前の予想以上に刺激的で、強烈な印象を私に残しました。村上氏の戦争の歴史への関心は、井上ひさしのそれに近いものを感じます。今後徐々に、彼の作品を読みつづけたいと思います。
« かんら薪能 | トップページ | 「売炭翁」ごっこ »
コメント
« かんら薪能 | トップページ | 「売炭翁」ごっこ »
数か月ぶりにKさんのブログを拝見ました。「ねじまき鳥クロニクル」の最もセンセーショナルな場面を的確に要約されているのを見て、偶然の邂逅にちょっとびっくりしてコメントしています。村上春樹を15年以上読まなかった自分が、この10月中下旬に「ねじまき鳥・・」を同様に読んでいたからです。ただ、コメントを書きながら経緯を思い起こすと、村上春樹の投稿に対する新聞の論評で、「村上春樹のノモンハンの記述」があったことに触発されたようです。同氏の書いたもので戦前・戦争中を舞台にした作品などあったかな?と思い、久しぶりに同氏の作品を読んでみました。全体の構成は難解で今一つ理解できませんが、ノモンハンの章は高校生の教科書に載せたいものであると思いました。
投稿: 昔の弟子のひとり | 2012年12月 3日 (月) 15時34分