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2012年12月 4日 (火)

週末から週明けにかけて

 週末金曜日、はじめて官邸前の抗議行動に参加しました。職場のOB会のあと、友人と二人で霞ヶ関に向かい、すでに声高に発せられていた「原発再稼動反対!」「原発やめろ!」のシュプレヒコールのなかに入り込みました。経産省前のテント広場から首相官邸までの5-600メートルほどの歩道は、通行余地を残して整然と、抗議する人びとで埋まっていました。街路樹の銀杏の黄葉が、とてもきれいでした。

 官邸前に向かう途中、ひとりの少女と出会いました。まわりの大人たちに交じって、ひときわ幼さが目立つその容貌にひかれ、声を掛けてみたのです。すると彼女は、函館からきた大学受験生で、この機会に脱原発行動に参加した、と自己紹介しました。ああ、こんな具合に、人びとが集まってきているのだな、と妙に納得しました。途中はぐれた少女は、帰路、地下鉄の反対側プラットホームから、笑顔で我々に手を振っていました。

 都知事選候補者の宇都宮健児さんが、歩道を歩きながら、参加者と握手を交わしました。「東京なのにウツノミヤ、弁護士なのにケンジ」といった駄洒落が、宣伝カーから流れてきました。穏やかな笑顔が、印象的でした。東京から脱原発の烽火をあげるに相応しい人だと思いました。反貧困運動の闘士でもある宇都宮さんと、力を込めて握手を交わしました。共産党、社民党、未来の党の3党連携での選挙戦の勝利は、日本の政治に希望をもたらすものと確信します。 

 翌日高崎で、福島いわき市から避難してきている女性の話を聞く機会がありました。3・11の地震・津波・原発事故の体験とその後の避難生活について、悔しさと苦しみをこらえながら、熱く語りました。印象に残ったことを、いくつか書き留めます。
 福島の子どもの叫びが、紹介されました。「僕は大人になれますか?」(小3)「せめて友だちにさよならといいたかった」「私は健康な赤ちゃんがうめるの?」(小2)「お父さんと一緒に暮らしたい」。
 福島に残った人たちは、「何故、避難しないのか」と問われる。そして「そんなところで子育てしてはいけない」と非難されます。しかし、ほとんどの人たちが、本当に行く宛てが無いのです。逃げるところが無いのです。いちど避難しても、仕方なく自宅へもどらざるを得ないのです。ひとりひとりが、言葉に出来ない苦汁の決断を迫られたのです。わたしたちを非難しないで下さい。どうか、私たちを支援してください。
 「今、何を求めるか?」の県民アンケートに対して、福島の人びとは、次ぎのように答えました。①家族と一緒に暮らしたい。②希望を持ちたい。③差別されることなく、生きたい。

 今朝、このブログ記事を書いているとき、区役員の一人が訪ねてきて、山にひとり住むSさんが行方不明らしい、と知らせてくれました。民生委員のTさんが市報をもってSさん方を訪ねたところ、新聞受けに数日分の新聞がたまっていた。家の中やまわりをさがしても、どうもいる様子がないので、思い切って警察に電話をした。こういう報告でした。早速、Sさんの住む山へ行きました。すでに私服と制服の警察官が数人きて、家の内外を捜していました。刑事が、近くの市に住む妹さんや県外の弟さんに連絡をとって、安否の確認をしましたが、どちらも連絡を受けていない、とのこと。近在の病院にも確認しましたが、やはり、どこにも行っていない。Sさんが普段乗っていた軽自動車も軽トラックも、駐車場に留めたままです。警察は早々に、事故か事件か、いずれにせよ異常事態と判断したようで、応援を要請しました。事情聴取のとき以外は、私たちは、あまり動き回らないようにと注意されました。
 一時帰宅し用を足して1時間後に現場に戻ってみると、民生委員のTさんは暗い顔をして、云いました。「Sさんは、だめだった。山の雑木林の斜面で、下枝刈りをしていて、事故にあったらしい。仰向けに、太い丸太を抱きかかえるようにして、倒れていた。原因は、警察の検死でわかるだろう」。
 Sさんの山の家は、昨年5月頃まで犬の散歩コースの折り返し点にあり、畑仕事をするSさんと、よく声を掛けあったものです。そんな時、とり立ての野菜をいただいたり、お返しに、夕飯のおかずを届けたりしました。ところが、わが家の犬が腫瘍で片手を失い、長距離散歩ができなくなったため、Sさん宅まで足を伸ばすことは、なくなりました。こうしてSさんと会う機会はすっかり減ってしまいましたが、今年の春から始めた区の「ふれあいの日」に誘ったところ、熱心に通ってこられました。11月上旬にやった芋煮会では、山の畑の里芋は美味しい、と昨年に引き続きりっぱな里芋を提供してくれました。まだ80歳に手が届く前でした。

 Sさんが安らかに、永久の眠りにつかれることを、心からお祈りします。

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