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2013年2月 3日 (日)

地域の絆

  去年の5月から始まった、月1回の地域の人びとの交流の場「ふれあいの日」は、10回目の開催となりました。毎回、20人から30人ほどの人びとが集まり、茶菓を味わいながらお喋りや出し物を楽しんでいます。主催者の意図は、老若男女の定期的な集いによって地域の絆を強めていこう、というものでしたが、蓋を開けてみると「老若男女」のうち70歳未満の「若」は殆ど参加せず、「男」は世話役を除くと2,3人のみ、その結果、「老・女」が圧倒します。

 当初は「老・男」も、10人近く参加していました。ところが、回を重ねるにつれ、その数は減ってきました。いつも庭でとれた枝ものの花を提供してくれたMさんは、持病の腰痛がひどくなって、不参加がつづきます。組長で一人暮らしのKさんは、農作業中に膝を骨折して入院、ここ2ヶ月ほどご無沙汰しています。いつも原付バイクで用足しをしていたMoさんは、長年無免許運転だったことが見つかって警察に厳しく叱責され、最近はめっきり、引きこもりがちとなりました。秋の芋煮会では、美味しい里芋を提供してくれたSさんは、昨年の暮れ、自宅裏の雑木林で枝打ちをしていて丸太の下敷きとなり、亡くなりました。遺体が5日後に地区の民生委員によって発見される、という痛ましい事故でした。いずれも、80歳前後の人たちです。

 これではいかんと、いつもニコニコ顔で小柄のTさんが、「赤城の山も今宵かぎり」の踊りをみんなの前で披露したい、と申し出てくれました。地元の皆さんの前で踊れたら、もういつ死んでもいい、とも云いました。Tさんは、中村○峰という芸名をもち、踊りにはなかなかのいれこみ様です。前回までの出し物の全てが、地域外の人たちによって演じられていたので、内部からの出演者は、大歓迎です。早速、「地元出身の股旅舞踊家・中村○峰さん来る!」の回覧板をまわしました。それから10日ほどたって、「中村○峰って誰?」の声が近所で噂され始めたころ、突然Tさんから電話が入りました。「赤城の山を踊れなくなった」と、電話の向こうのTさんが、弱々しい声で云いました。朝起きたら腰のヘルニアがでて立てなくなった、と云うのです。衣装も音楽もみんな準備していたのだけど・・・と気落ちした言葉がつづきます。

 世話役に相談したら、すぐに代案が出てきました。みんなで八木節を踊ろう! 
 その昔、地区の女衆はみんなで八木節を習い、年一度の町の夏祭りでよく踊ったものだよ、と世話役は云いました。ハナちゃんもせっちゃんも踊りが大好きで、練習のときは随分叱られたわ、ともう一人の世話役が云いました。いま、70歳前半の人たちが、80歳半ばの人たちから踊りの指導を受けていたのです。30年も前のこと。
 八木節を踊ることに決まると、彼女たちの動きは速かった。赤い半被が押入れから取り出され、花輪がどこからともなく集まってきて、口コミで女性たちの間に、「ふれあいの日」に八木節を踊る、というニュースが行きわたりました。そして、その日がやってきました。

 世話役の女性たちは、節分の太巻き寿司を作った後、八木節の踊りを練習し本番に備えました。みなさん、数10年ぶりの踊りながら昔取った杵柄で、中々様になっている。定刻10分前には、いつものメンバーが揃って、いよいよ開始です。手に花輪持ち、背に農協マークの赤い半被(はっぴ)を着た踊り手が、粋な鉢巻姿で登場し、会場からやんやの喝采を浴びました。踊り手のなかには、電動椅子でやってきたせっちゃんの姿が見えます。85歳の彼女は、地区一番の踊り手だったとのこと。この日を楽しみにしていた一人です。もうひとりの地区1番の踊り手ハナちゃんにも、一緒に踊ろうよとの声がかかります。もう忘れたよといって彼女は、手提げから数枚の写真を取り出し皆さんに披露しました。そこには、30年ほど前に撮った八木節を踊る地域の皆さんの姿がありました。目の前で繰り広げられる八木節と写真の中の八木節が、30年の年月を超えて一体となり、会場の公民館は、祭気分でおおいに盛り上がりました。

 

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