3・11から2年 ― 福島原発事故はなかったのか?―
日曜日の午後、高崎市城址公園で開かれた「さよなら原発アクション」の集会とデモに参加しました。朝から好天に恵まれ、前日からの季節はずれの暖かさに、上着なしのセーター姿で出かけたのですが、会場についた頃から急に雲行きが怪しくなり、気温も下がり始めました。集会最初の発言者が福島の現状を訴え始めたとき、猛烈な突風が巻き起こり耐え難い寒さが襲いました。しかし、会場に詰め掛けた老若男女の参加者たちは、寒さと突風に耐えながら、福島からの報告にじっと聞き入りました。発言者の「福島を忘れないで!」の声が、突風に吹き飛ばされそうでした。
夜、その二日前の深夜に放送されたNHK・BSスペッシャル『波のむこう~浪江町の邦子おばさん~』をビデオで観ました。番組では、浪江町の避難者たちが戻りたいけれど戻れないことに呻吟する様子が、伝えられました。浪江町の除染と帰還についての説明会場のシーン。三人の発言が記録されています。
女性の発言「もう帰れないことは、絶対なんです。黙っていても壊れる。そんななかに帰るといっても、帰れない」
男性の発言「水も飲めない、海の魚も食えない、わらびも食えない。そんな生活するところに、除染したら帰す、というのは間違っている」
他の男性の発言「われわれは最低、家に帰って死にたい。それが一番の望みなんです。われわれのような先のない人間も数多くいることを、念頭においてもらいたい」
説明会の後、ひとりの男性が、友人の町会議員に迫ります。「1万人になったって三分の一になったって構わないから、全員を扇動するような仕組みはやるべきでない。まずは個人の意思を尊重して、減ったっていい。さも、みんなで帰らなきゃならない、って扇動しないで。行けるのか、住めるのかも分からないのに、町の絆だコミュニティが崩壊します、といってみんな戻らなきゃいけないように言うのは、いかがなものかなと思う」。
二年目を迎えた3・11の日は、終日、『世界』4月号の特集『終わりなき原発災害-3・11から2年』を読みつづけました。月刊誌『世界』は、脱原発の意志を持続させながら執拗に、「フクシマ」を追いつづけている数少ない雑誌のひとつです。以下、特集記事を紹介したい。
1.山下祐介稿『原発避難問題の忘却は何をもたらすのか ― 新たな「安全神話」とナショナリズムを問う』
福島第一原発事故から2年たち、被災地からの避難者に対する理解は進まず、原発避難問題は、新たな「安全神話」と新しい形態のナショナリズムをもたらしつつある、と筆者は指摘します。
ここで云う「新しい安全神話」とは、①第一原発は低温停止状態にあり、再爆発はない、②空間放射線量年間20mSvなら健康被害はない、③被災地の多くは帰還可能である、といったことを指しています。そして「新しい形態のナショナリズム」とは、グローバル経済競争下で避難者問題も賠償も早くケリをつけて、被災者にこれ以上足を引っ張られたくない、という世論の心性を指します。
筆者は、こうした新しい安全神話とナショナリズムは、日本社会に亀裂を生みだし自己破壊につながっていく、と警告します。「リスク問題とは、未来に起きることを予測して、それを回避するために現在の中でどれぐらいきちんと準備できるのか」と定義し、新しい安全神話とナショナリズムこそが、原発事故後のリスクだとして、その回避の努力を促します。
2.今井 照稿『「仮の町」が開く可能性 ― 住所はふたつあってもよい』
原発避難者たちは、国による避難区域再編計画(年間20mSv未満の地域は早期帰還を目指す)によって、「戻る」「戻らない」の選択を迫られています。上に紹介した浪江町の様子からも、このことを知ります。筆者は、、「戻る」「戻らない」を「選択しない」という選択肢を提示します。避難元に戻るのか、それとも避難先で生活を続けるのかの二者択一ではなく、避難元と避難先のいずれの自治体にも住民登録を可能として、いずれの市民としても活動できる二重の住民登録を認めよう、という提案です。これによって、市民としての権利と義務が、避難元と避難先の両方の自治体で確保されます。このことによって、原発避難者が、多少なりとも避難生活の質を高め、生きる力を回復させることにつながるはずだ、と筆者は主張します。
3.原発作業員座談会『いま、イチエフはどうなっているのか ― 真の事故収束に向けて』
地元出身で事故前から原発に勤務する30代と40代の作業員と、事故後県外から来て働いている30代の作業員、計3人による座談会。
3人に共通した懸念は、「このままでは作業員がいなくなる」ということです。しかも、熟練労働者が減少する一方で、新人は未経験の若年労働者が多い。その結果、ヒューマン・エラーが起きやすくなっている、と危機感を募らせます。その背景には、①熟練労働者は限度とされる被曝線量を超えつつある(年間50mSv、5年間で100mSv)、②作業員が除染作業や公共工事へ流失している、そして、③競争入札-低コスト落札-賃金低下・危険手当不払いなど、事故前より待遇が悪化している、と3人は声を揃えます。
東電社員と作業員との待遇格差、例えば昼食の場所について、語られます。東電社員には、除染と鉛遮断で放射線非管理区域となった免震棟2階が用意されますが、作業員は、放射線管理区域である免震棟1階で昼食をとっている。そして作業員が2階へ上がっていくときには、作業用装備を脱がなければならない。賃金格差だけでなく放射線リスクの負荷でも、格差があるのです。
3人は、作業員たちの必死の努力と協力によって、事故収束に向けて少しずつ前進している、と確言します。そして最後に、「自分の仕事をきちんと評価して欲しいのです。今はむしろ、少しずつ、世間の人が冷たくなってきているように思う」とつぶやきました。
4.長谷川健一稿『偽りの「復興」では、「美しいむら」は戻らない ― 飯舘村の2年』
飯舘村の酪農家・長谷川健一さんは、国は「除染を行った」から「帰村できる」というシナリオを押し付けようとしている、と政府の「除染=帰村」方針を厳しく批判します。それは、次のような無計画で無責任な除染現場を、目の当たりにしているからです。
・屋根瓦をペーパータオルつきモップで、作業員が一枚一枚ふきとっている。
・農家の防風林を伐採し、伐られて木はその場に放置されている。
・土壁や古いセメント瓦は、「除染困難」として放置される。
・除染困難として母屋は放置される一方で、牛舎と納屋が除染される。
・山に囲まれた飯舘村で、森林は住宅から20mの範囲しか除染しない。
・農地は5㎝の深さで削り、汚染土壌は袋につめてそのまま放置されている。
長谷川さんは、放射能に汚染された飯舘村の現状と原発事故の恐ろしさを伝えようと、全国各地で講演活動をつづけ、さらにドイツやベルギー、韓国などへも出かけています。大勢の人びとが集まり、真剣に耳を傾けている外国の反応を知って、長谷川さんは、次のように述懐します。
「今の日本の状況を見ると、原発事故を起こした当事者である日本が、もっとも原発事故を忘れようとしているのではないか」。前稿同様に、福島の人びとは、日本社会に浸透しはじめた「3・11忘却」の危機感を募らせます。
5.NHK「ETV特集」取材班稿『埋もれた初期被曝を追え』
NHK取材班が、ヨウ素131による初期被曝の実相追った迫真のルポルタージュです。国と福島県の不作為によってヨウ素131の拡散と甲状腺被曝のデーターがほとんど無いなか、一部の研究者や町職員がわずかの手がかりを探り寄せながら、初期被曝の実態にアプローチします。
取材班は、研究者たちの被曝解明の努力に対して、国や県からあからさまな妨害があった事実を突き止めます。政府の原子力対策本部が、原子力安全委員会からの甲状腺被曝の追加調査要請に対して、「地域社会に不安と差別を引き起こす恐れがある」などとして認めなかったり、事故直後福島に入った弘前大学チームが、独自に浪江町住民の甲状腺測定を行っていたことに対して、福島県地域医療課は、「県民の不安を煽るので検査を中止して欲しい」と要請し、途中で中止に追いやりました。
しかし、国と県の不作為や妨害に関わらず、浪江町は住民の健康を守るため、町独自の施策を実行します。18歳以下の甲状腺無料検査と「健康手帳」の発行です。町長と町職員には、「町民の健康を守ることこそ自治体の使命」という思想が、力強く脈打っています。
失われていたと思われていた初期被曝データーが、研究者たちの私的ネットワークを通して生き返り、より精度の高いシミュレーションへとつながりました。その結果、次のようなことが判明しました。
①ヨウ素131による最大の被曝は、3月14日夜から15日にかけて、これまでの推定より早い時間から始まり、長時間続いたこと。
②ヨウ素131放出は、3月12日、3月21日、22日など複数回あったこと。
③放出されたヨウ素131の総量は、206ペタベクレル(千兆倍、10の15乗)で、チェルノブイリ原発事故の10%程度、日本原子力開発機構推定の1.7倍だったこと。
原発事故の全容解明に最も重要だとされる事故初期のデーターが、決定的に不足しているなかで、一部の科学者や行政担当者が総力を挙げて、手探りの努力をしていることに、わずかな救いを感じます。
6.太田昌克稿『3・11が啓示する教訓とは何か ― 「救護の不可能性」という核の非人道的帰結』
オバマ政権は、事故発生から3日後の2011年3月14日、核事故の特殊専門チームCMRTの日本派遣を決定し、そのCMRTは2日後の3月16日、横田基地に到着しました。そして翌日から3日間、米軍機にて上空から放射線量を測定し、原発から40㎞圏の「放射能汚染マップ」を作成し、直ちに日本政府に提供しました。しかし、この事故後最初に作成された「放射能汚染マップ」が公表されたのは、3月23日のことでした。この「一刻一秒を争う住民避難措置に死活的ともいえる重大データー」は3日間放置され、しかも官邸にも届けられていませんでした。文科省のSPEEDIによる予測結果の放置と同じことが、繰り返されていたのです。
筆者は、米屈指の核特殊専門チームCMRTが福島にいち早く派遣されたのは、核分裂生成物が広範囲に拡散した状況下での「救護の不可能性」を米政府が意識していたためであり、この非人道的な帰結である「救護の不可能性」こそ、核事故が内在する本質的問題だ、と指摘します。国際世論がこの核使用の非人道性や「救護の不可能性」を論じるなかで、北欧諸国等16カ国が主導して国連に、「核軍縮の人道的側面に関する共同声明」を提出しました。しかし、「3・11」で核爆発の非人道的帰結をあらためて体験したはずの日本が、共同声明への同意を拒否しました。世界から取り残される日本。
筆者は呻きます。
「「救護の不可能性」を示した「3・11」の経験を「核なき世界」にすくさまリンクさせられない被爆国の"非核政策"のひ弱さと脆さ、欺瞞性を憂いているのは、筆者だけではあるまい。」
7.孫 歌(Sun Ge)稿『「ノーマル・パラノイア」と現代社会』
『世界』特集記事を1~6まで読んできて、各記事に通底している二つの言葉に気がつきます。忘却と隠蔽。前者は1、3、4に、後者は5,6にあらわれます。これは、3月9日、東京・明治公園にて開催された「つながろうフクシマ!さようなら原発大集会」での大江健三郎さんの「政府や政治家たちは、原発事故をなかったことにしょうとしている」という発言につながります。また、高崎集会での福島出身者の「フクシマを忘れないで!」の訴えの切実さを思い起こさせます。
中国の社会科学研究者・孫歌(Sun Ge)氏は、日本と世界を被う「3・11忘却」の社会心理を、「ノーマル・パラノイア」と評しました。
筆者は云います。「危機を脱し「ノーマル」を回復することは、人類の自己防衛本能である。しかし、3・11のような、後遺症を除去しがたい事件が発生した後に、すぐにもとの状態を回復する・・・(こと)は、危機的な真実の状態を、虚偽の「ノーマル」で覆い隠す危険性をはらんでないだろうか?「ノーマル」に対するパラノイア(偏執病)に近い依存と執着は、眼前に突きつけられた危機から目をそらさせる。生活を日々繰り返し、続けられさえすれば、たとえ危機が存在していても、人は相変わらずもとどおり生活できる。・・・生命本能が・・・惰性のメカニズムに転化しうる」。そして日本と世界は、野田政権の2011年12月の原発事故収束宣言を信じることで、「全世界で「ポスト3・11」時代が始まり、人びとは「ノーマル」へ回帰した」と筆者は断じます。
こうしたノーマル・パラノイアの状況下では、「他者志向型個人主義」が容易に生まれる、と筆者は指摘します。「他者志向型個人主義」とは何か? 脚注に次のように記されています。
「現代世界の各種の事件に対して敏感で、しばしば義憤と熱狂を示すが、こうした関心は自分の生活状態および責任と関連性がなく、自分とは関わりのない「他人事」であるとする精神状態である」。
2年目の3・11を迎えた私たちは、まさに「他者志向型個人主義」を克服することが、求められています。
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