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2013年4月17日 (水)

福島の被災地を訪ねて

 先週末、日帰りのバス旅行で、福島の大震災・原発事故被災地を訪ねました。群馬県内の脱原発グループの主催する被災地視察と仮設住宅支援のため。主催者の「一握りの米を通して福島の被災者とつながり続けていこう」との呼びかけに共感し、参加しました。

 常磐自動車道を広野ICでおりて一般道に入り、前方に東京電力・広野火力発電所の大煙突を見ながら、Jヴィレッジの脇を通りすぎました。そのJヴィレッジは、福島第一原発から20㎞の地点にあります。3・11以前はサッカー・グランドであったという広大な面積の地に、ぎっしりとバスや乗用車が駐車しており、原発の事故収束や除染作業をする膨大な数の労働者の存在をうかがわせます。道路のあちこちに、日本共産党の貼り出したポスターが、目を引きました。「原発で働くみなさん 危険手当をもらっていますか」「原発事故処理のコスト優先を許しません」と書かれています。現地案内人によると、このポスターを貼り出した後、危険手当のピンハネ告発が共産党市議に多数寄せられ始めた、とのこと。このピンハネによって除染作業よりも低賃金になったり、被曝線量が許容限度を超えて働けなくなった熟練労働者が、事故現場から姿を消し激減している。この1ヶ月の間に起こった冷却停止や地下貯水槽の汚染水漏れなどの、お粗末だけれどきわめて深刻な事故の背景に、こうした労働事情がある、と案内人は指摘しました。

 広野町から楢葉町へ向って、国道を北上しました。道路沿いの水田では、除染作業が行われていました。すでに除染の済んだ水田には、夏場伸び放題だったセイダカアワダチソウの枯れ草や剥ぎ取られた表土を入れた黒いビニール袋が、累々と積み上げられていました。そのすぐうしろには、人影のない農家が建っています。福島第一原発から20~25㎞圏内にある広野町は、緊急時避難準備区域に指定されていましたが、2011年9月に解除され、役場は2012年3月1日に元の地に戻りました。小中学校も、その年の8月に再開しました。しかし、事故前の人口5,500人のうち自宅に戻って住んでいるのは、825人(3/27現在)に過ぎません。85%の町民が未だ、仮設住宅等で生活をしながら、地震で壊れた自宅の修理や後片付けに通っています。「帰還地域」となったため、国と東電からの支援は、打ち切られました。

 バスをはじめて降りたのは、楢葉町の宝鏡寺でした。福島第一原発から南約15㎞の地点にある浄土宗の寺で、住職の早川篤雄さんは、この40年間、福島県の反原発運動の先頭に立ってきた人。楢葉町は警戒区域に指定され、檀家も住職自身も、区域外での避難生活が続いてます。昨年8月10日からは、避難指示解除準備区域に変わり、日中だけ帰宅が許されるようになりました。私たちの訪問した時はあいにく住職は不在で、話を聞くことが出来ませんでした。ただ、庫裏の入り口の張り紙が、住職の苛立ちを物語っていました。書いたのは、娘さんとのことですが。 
 「コラー !! ドロボー !! よく聞け !!  3月12日、町のみんながどんな思いで町を離れたか分かるか !! 絶対バチがあたるからな ! 必ずバチがあたるからな ! 仏様がみてるから !!」
 境内の草地で空間放射線量を計ってみると、0.575μSv/h(3回平均、1.5m高測定、以下同じ)でした。政府の除染対象規準の0.23μSv/hの倍以上の線量です。また山門前にあった畑地の上では0.746μSv/h。どちらも、除染済みの地区だと思いますが、未確認。境内の間伐して整備された竹林に、住職の寺を想う気持ちを感じました。 
 楢葉町では、除染作業をする人びとを除けば、人気を全く感じませんでした。

 バスは楢葉町からさらに北上し、福島第二原発を右手に見ながら、富岡町に入りました。第一原発から10㎞内外にある富岡町は、警戒区域に指定されていましたが、今年の3月25日、帰還困難区域(年間50mSv超)・居住制限区域(年間20~50mSv)・避難指示解除準備区域(年間20mSv以下)の3つの区域に見直され、帰還困難区域を除いて立ち入り制限が外されました。当初富岡町には入らないということでしたが、実際にはバリケードの張られた境界域まで進み、締め切ったバス車中で2.329 μSv/hを観測、空間線量の高さにあらためて驚きました。散り初めの染井吉野が、誰に見られることもなく、美しく咲いていました。富岡町の除染作業はほとんど手つかずで、枯れたセイタカアワダチソウが、田んぼ一面を覆っていました。また、地震で壊れた家屋や瓦の落ちた屋根も、おそらく3・11直後のまま放置されて来たのが見て取れます。建築途上の中学校の校舎も、3・11以降時間が止まったまま、放置されていました。

 常磐線富岡駅とその周辺は、津波の直撃を受けて駅舎や住宅は破壊され、自動車は流失しました。そして直後に襲った原発事故によって、その後2年間、まったく手つかずのまま現在に至っています。現地案内人も指摘された「原発震災」の表徴が、ここにありました。ただ、津波被災地は宮城以北の被災地と比べると限定的で、駅から少しはなれた真新しい住宅地は、ほとんど無傷の状態でした。しかし、放射能はそうした境界域をつくることなく、全世帯に降りかかりました。3月26日から入れるようになったばかりのこの地域には、いまだ人影は見られません。無人のままの新しく瀟洒な住宅を見ていて、住民の悲しみと憤りを感じぜざるを得ませんでした。

 富岡から楢葉町に戻り、常磐線竜田駅に寄りました。駅の公衆トイレ入り口には、「平成17年度福島県核燃料税交付金施設」と表記された小さなプレートが、貼り付けてありました。また、トイレ裏の自転車置き場には、放置され自転車の横に「自転車も乗ればあなたもドライバー」といった標語を掲げた看板があり、そのなかに「東京電力㈱浜通り電力所」と記されていました。そして、駅前の道路沿いに立つ電柱には、「子供たちの未来のために 東北電力」と書いた看板が、掲げられていました。これらは、3・11以前の竜田駅周辺の日常の景観を構成していた小さな要素です。
 駅舎入り口の壁には、2013年2月9日の日付の入った大人の三毛猫の飼い主を探すチラシが、当の三毛猫の写真入りで貼ってありました。駅前のジュースと煙草の自販機は破壊されており、宝鏡寺の庫裏の張り紙を思い出しました。駅前の落ち着いた感じの住宅地は、人気のない沈黙の町となっています。ここの空間放射線量は、0.795μSv/hとカウントしました。

 いわき市に戻り昼食をとったあと、おもに広野町と川内村からの避難者の住む仮設住宅を訪ねました。今回の参加者約80名が持ち寄った米325㎏とカンパや現物提供で確保した野菜と卵をセットにして、250戸ほどの仮設住宅に住む人たちに、届けました。留守宅が多く、直接手渡すケースは少なかったのですが、在宅された人たちはよろこんで受領されました。先に書いたとおり、広野町と川内村は「帰還地域」となりましたが、役場や小中学校とともに帰ったのは住民の一部です。国や東電の支援もなく、仮設と自宅との二重生活を強いられ、しかも収入の道を絶たれた人たちが圧倒的に多い。こんなに理不尽、不条理、無理無体なことが、3・11から2年たった今日現在、福島の地で起こっているのです。人里はなれた山中に建つ、もうひとつの仮設住宅を訪ねたときには、多くの参加者が言葉を失いました。それはまさに「難民キャンプ」そのものでした。

 現地案内人は、今福島で生じつつある原発震災被災者間の反目と対立について、大変心配していると話しました。たとえば、混雑する病院やゴミ収集の問題で苛立ついわき市民は、双葉郡からの避難者を、賠償金をもらっているのに住民税を払っていない、といって非難します。いわき市の津波被災者と双葉郡の原発事故被災者は、賠償金をもらえるもらえないで、反目しあいます。これらの反目と対立は、原発からの距離や放射線量で線引きがされ、賠償金に格差が生じたことで、いっそう強まります。地域住民は分断され、県民の対立はひどくなるばかりだ、と案内人は声をおとしました。しかし、これら反目し対立する住民は等しく、放射能被曝のリスクの下で暮すことを強いられているのです。この共通点にたって、いわき市民822人が、「あやまれ、つぐなえ、なくせ原発・放射能汚染!」をスローガンに、「原発事故の完全賠償をさせる会」を結成し、国と東電を相手に民事裁判をはじめた、と案内人は声を強めました。人権を取り戻し、真の地域復興をめざす市民の闘いが、いわき市で始まったのです。

 私のはじめての福島被災地訪問記は、以上のとおりです。

 

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コメント

福島被災地訪問の記事,読ませていただきました.とても参考になります.フクロウさんと同じように,私の住んでいる埼玉の地元のNPOの人々と,福一原発の周辺市町村を見てきたいと思っております.やはり自分の目で確かめたいと感じます.
避難指示解除準備区域などを訪問するのに,許可証などは必要ないのでしょうか.また,現地で案内をしていただける方がいるといいのですが,そのような方にどうようにご依頼をしたらよいでしょうか.
いきなり,勝手なお願いで恐縮ですが,アドバイスをいただけましたら助かります.よろしくお願い申し上げます.

加藤博

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